人生長いか短いか
今年(2018年)の1月22日昼前から翌日の明け方にかけて、東京、横浜など南関東の平地でも20センチを越える積雪が観測され、雪に弱い都会の交通機関が大きく乱れて、私も延べ7回にわたる慣れない雪かきで足腰もかなり鍛えられましたが、東京に雪が降る頃になると毎年思い出しているのが、中学1年生の時のこと、1965年1月30日の土曜日に降った大雪です。当時の降雪記録を見ると、あの雪はせいぜい6センチくらいの深さだったようですが、中学入学してから初めての雪、しかも小学校時代とは比べ物にならないほど広かった校庭が一面真っ白、当時の一年坊主どもは大喜びで放課後はグラウンドに飛び出し、大規模なクラス対抗の雪合戦になりました。
隣のクラスの友人に雪玉をぶつけるだけでなく、けっこう皆でいろんな作戦を考えたりして楽しかったですが、汗びっしょりになりながら帰宅して考えたこと、こんな楽しい人生はあとどれくらいあるのだろうか。とにかく何をしても楽しい学校生活でしたから、その年の元旦からの1ヶ月なんてあっと言う間だったのですね。
年が明けてからもう1ヶ月も過ぎてしまったのか、こんな1ヶ月が12個集まって1年になり、そんな1年があと50個か60個も過ぎ去れば、もう人生あっけなく終わりではないか。人生って意外に短いものなんだなあ。
特に感傷に浸るというわけでもなく、そんなことをツラツラと日記帳に書きつけた覚えがあります。私は中学1年生にして初めて、自分の生涯に残された時間というものを意識したわけです。もう一度言いますが、そんなに感傷的になったり、悲壮感があったりしたわけではなく、あっけらかんと考えただけです。
しかしそれ以後、冬になると必ずあの時に考えたことがふと脳裏に浮かびます。ああ、また1年経ったのか、今は寒いけれど、もうすぐ暖かい春が来て、蒸し暑い夏が過ぎて、秋が終わるとすぐに風も冷たくなって、また次の冬が来るんだな、1年て短いものだな。去年も考えましたし、一昨年も考えました。毎年毎年考えながら、1ヶ月が12個集まっただけの1年がもう50個以上過ぎ去ってしまいました。
さてそれで私の人生は長かったのか、それとも短かったのか。結論から申しますと、あの時に考えたほど短いものではありませんでした。と言うよりは、確かに50年や60年、矢のように飛び去る1日1日、1ヶ月1ヶ月が有限の個数あつまった暦の集合であり、50年は600ヶ月で18260余日、約44万時間でしかないのですが、その割には良い事も悪い事もいろいろあったなあ…と思います。高校から大学時代、研修医になって小児科医から病理医へ、働いたこと遊んだこと、あの時この時いろいろ瞼に浮かぶさまざまな情景が、すべてこれだけの限られた時間のうち覚醒していた時間の中に凝縮されているかと思うと不思議です。
最近の若者たちも40年50年の時間を過ごした後に、やはり同じようにいろいろあったなあと思えるような人生を送ってくれたら良いのですが、私には一つだけ心配なことがあります。敷かれたレールの上を進んで行けば良いと信じ込んでしまっている若者たちが多くないだろうか。周囲の大人どもがレールに沿って進んで行けば間違いないと、疑う余地も無いくらい頑迷に教え込んでしまっているのではないだろうか。
高校時代に成績が良かったら少しでも偏差値の高い大学を目指しなさい、人生を堅実に生きていける最良の方法だよ、それがレールの上を進んで行くということです。そもそもそういうチャンスに近づくために良い成績を取りなさい、良い成績を取るためにはこれとこれとこれを丸暗記して、決められたとおりに答案を書きなさい、それがそういう“間違いない人生”のレールの出発点です。なるべく偏差値の高い上級学校へ進学し、なるべくつぶしの利く資格を手に入れることだけに汲々とする学生さんを数多く見てきました。そういう人生のレールを歩むことに成功し、他人から羨ましがられるような生活を手に入れた若者たちは40年後50年後に、ああ、自分の人生にはいろいろあって楽しかったなと思えるでしょうか。
例え話をすると、東京駅から新宿に行くなら中央線快速電車に乗りなさい、それが一番早くて時間の無駄もないとしか教えない大人どもが多すぎる。他にも山手線を北回りする、南回りする、あるいは総武線の各駅停車を使う、JRでなくても地下鉄に乗ってみる、それも丸ノ内線だけではない、途中で銀座線に乗り換えて渋谷から山手線に乗ってみる、または山手線を新橋で降りて地下鉄銀座線に乗ってみる、電車を使わずに路線バスにも乗ってみる、等、等…、行き方は無数にあるのです。そして生き方も無数にある。
中央線快速に乗れば神田〜お茶の水〜四谷の次が新宿だよ…それしか教えない大人は最低です。若者たちは東京都区内の広さ、東京の交通網の複雑さを実感しないまま大人になってしまう。これが単なる例え話だと思っていてはいけません、他府県から上京して4年間東京で学生生活を送った子が、下宿と大学の通学路しか知らない…なんてことはざらにあります。まあ、実家からのお小遣いの仕送りを大切に使って、真面目に勉強に励んでいたのかも知れませんが、何を勉強していたかと言えば、教員からこれを丸暗記しなさいと言われたことだけバカ正直に丸暗記する、それだけだったら悲惨です。東京の広さも、勉強する教科の深さも、人生の長さも気付けないまま終わってしまう恐れがある。
東京は自分の足で迷子になりながら交通機関を乗り継いで歩くから広いのです、学科の内容も何でこれが大事なのかと自分の頭で悩みながら答えを見つけるから深いのです、人生もいろいろ無駄な回り道をするから長いのです。最近の大学の教育方針はカリキュラムマップとか言って、何年生でこれを教える、何年生までにこれを覚えさせると細かく規定されていて、教員が作成した問題集を早く正しく答えた学生に単位を認定する、そんな促成栽培みたいなことをやって、教員も学生も父兄も何の疑いも反省もない。
「これだけやっておけば良いんですか?」
「どこまで覚えておけば良いんですか?」
「正解を教えてくれなきゃ意味ないです。」
大学で教えていた頃、何度も学生さんから問われて愕然としたものでした。
思えば私が初めて“人生の残り時間”を意識した日、私が在校してした中学高校は、徹底して自分で考えろという教育方針でした。丸暗記しろなんて言わない、しかし丸暗記しなければいけないものはたくさんある、何でこれを覚えなければいけないのかと疑問を感じ、他にもっと有効な方法は無いかと悩み、時にはこんなものクソ食らえと反抗した挙げ句、やっぱりこれは必要だと納得してから丸暗記した。
しかしそれは丸暗記ではないのですね。ただ強制されるままに意味も判らず暗記するから“丸暗記”なのであって、これは覚える価値があると自覚して記憶するのは“学習”といいます。丸暗記と学習を混同してはいけない。人生も決められたレールの上を進んで行けば幸せというものではない。私も今だから言えますが、医師という職業に疑問を感じた時期がありました。このまま他人様の健康を預かっていて良いのかと悩みながら、かなり本気で法律を勉強したりしましたが、今にして思えば迷い道だったのですね。それも人生を長いものにしてくれたことは確かです。何年かぶりの大雪にふと来し方を思いました。行く末の方はまだ迷い道です。
平昌冬季五輪終わる
2018年2月8日に韓国の平昌(ピョンチャン)で予選が開幕した冬季オリンピックが25日に閉会式を迎え、日本選手団の活躍もあって何だか2月いっぱいはオリンピック競技に振り回されていた印象がありますね(笑)。やはり隣国の韓国ですからほとんど時差もなく、テレビのリアルタイム中継についついチャンネルを合わせてしまいました。
心配されたテロもなく無事に終了して良かったですが、国際関係も互いの国民感情も微妙な隣国で開催された冬季オリンピック大会、「どうせ何かボロを出すだろう、何かミスをしでかすだろう」と、何かあったらネット上で揚げ足を取ってやろうと内心待ち構えていた日本人もたぶん少なくなかったのではないですか。
テレビ放映権の莫大な金と引き換えに選手を無視した競技時間帯とか、突風吹きまくる極寒の競技場で強行されたジャンプ競技とか、日本だけでない世界各国から韓国の競技運営体制に対する批判があったらしいですが、これは「そら見たことか」と韓国だけを指弾することはできません。さっそく次の2020年東京オリンピックでは、酷暑の炎天下で行われるマラソンや競歩に対する批判として同じことが言われるはずです。プロスポーツのテレビ放映に配慮して北半球でも真夏に行わなければいけない夏季オリンピック大会を、何で北海道ではなくTOKYOに招致したのか、選手を危険に晒してまでそんなに金が欲しいのか。この批判は覚悟しておかなければいけないし、場合によってはロードレースなどは本当に北海道に舞台を移すことを考えた方が良いのではないでしょうか。その方が日本の観光の宣伝にもなるし…。
今回のオリンピックでは日本の選手団も素晴らしい活躍を見せてくれて、冬季大会で過去最多のメダルを獲得したと国内でも盛り上がりました。別にメダルに届かなくても、あのオリンピックの舞台に立てるだけでも偉大なアスリートだと思うのですが、やはり選手の方々はメダルを目指して技を磨いてきたのでしょうから、その努力が実った選手たちを見ると、何だか私たちも嬉しくなってしまいますね。
今回は男子フィギュアスケートの羽生結弦選手の2大会連続の金メダルは別格として、私には女子のスピードスケート陣が特に印象に残りました。日本女子スピードスケートの獲得メダルを総ナメにしたかのごとき高木姉妹(菜那&美帆)は、まるでスポーツ漫画のヒロインのようです。いや、漫画でもこんな痛快なストーリーは滅多に書けないんじゃないでしょうか。妹が金銀銅を3つとも取って日本初と持て囃されれば、ライバルの姉も負けじと金を2つも取ってこれも日本初…、天晴れとしか言いようがありません。
その高木姉妹が菊池彩花選手、佐藤綾乃選手と組んで金メダルを獲得したチーム・パシュート(団体追い抜き)は3人並んで滑り、最後にゴールした選手のタイムで競うのがとても面白い競技です。日本チームは3人が1匹の昆虫になったかのような、まさに一心同体の動きを見せて圧勝、あの見事な動きは他の出場チームの中でも群を抜いていました。しかしこの競技では開催国の韓国にちょっとイヤなことがあったのは残念です。韓国チームは3人目が置いてきぼりにされて遅れてゴール、先にゴールした選手が「あの人のせいで記録が悪かった」的なコメントをして、チームワークも何もあったものではなかった。まあ、悪いことは何でも他人のせいにする国民性が出たのかなと思っていたら、さらに悪いことにそんなコメントをした2人の選手の代表権を剥奪しろと国民が激昂したのも戴けません。誰かがサイトか何かで火をつけると、大勢が尻馬に乗って感情的に怒りまくるのも韓国の悪い国民性か。
あと女子スピードスケートでは500mで金メダルを取った小平奈緒選手も良かった。この人もスポーツ漫画の主人公になれますね。レースに勝った後、ライバルの韓国選手と抱き合ったシーンも、スポーツでは当たり前のことだけれど、当たり前のことを当たり前にできる舞台に立てた小平選手が羨ましいです。さらに小平選手の場合、所属が相澤病院というところも凄い。同業者としては感動的でさえある。信州大学卒業後、就職先も決まらず、選手としての活動継続も断念せざるを得ない情況の小平選手を、医療系の資格など何も持っていないのに、地元長野県内の一病院が職員として雇って、選手としての遠征費なども援助していたというのですね。それもオリンピックで活躍するような選手に育つという保証もないのに、経営もそんなに楽でないはずの医療業界が援助の名乗りを上げたというのは、相澤病院の理事長もまた金メダルに値します。将来の広告塔になることを期待して雇ったというようなゲスな下心があったわけでないところが本当に素晴らしい。どこぞの大病院の経営者どもに爪のアカを煎じて飲ませてやりたいものですな。
カーリングも面白かったです。最初にこの競技がオリンピック種目として採用された頃は、氷の上をモップでお掃除しているみたいで何だかユーモラスでしたが、ルールが分かってくると手に汗を握るものがありますね。スピードやテクニックやパワーだけでない、見た目の美しい芸術点だけでもない、まるで将棋やチェスのような頭脳プレーまでが要求されるのですから、男子も女子も文武両道でなければこんな競技はできないと思います。
ところで女子カーリングは日本初のオリンピック銅メダルを獲得して、「カー娘」とか呼ばれて日本中を湧かせましたが、しばらく前の女子グループアイドル「モーニング娘」を「モー娘」と呼んだのに引っ掛けているのでしょう、しかしAKB48全盛の時代になってもまだ、いつまでもモーニング娘にあやかった愛称しか思いつかないマスコミのセンスの無さには少しガッカリです。誰か早く斬新な愛称を奉ってあげて下さい。
女子カーリングがベスト4に進出した後は2試合とも、とうとうリアルタイムで開始から終了まで全部テレビ観戦してしまいましたが、本当に不思議な競技だと思います。大体いくら氷上とはいえ、あんなに優雅に投げたストーンが40メートルも先まで滑っていく、摩擦係数なんてほとんどゼロに近いんではないのか?しかも人工的に磨き上げた鏡面の上ではないから、氷が溶けたり、その上を歩いたり走ったりモップでゴシゴシこすったりして氷が削れてしまえば、ストーンの進路予測など困難ではないのか?もしかしたら探査機を小惑星に軟着陸させたコンピューターをもってしてもピンポイントで40メートル先のストーンを狙うことは不可能ではないのか?ストーンを投げるのも、氷をモップでこすって進路を調整するのも、まさにコンピュータ−クラスの頭脳プレイですね(笑)。
3位決定戦で最後に英国のスキップが投げたストーン、日本のストーンを2個とも弾き出して逆転勝利を狙う意図が外れて、逆に日本のストーンを中心に押し込んでくれる結果になってしまった、テレビ観戦している素人の目からは、あれを失投と言うのは少し酷じゃないかと思うのですが、試合後のテレビ解説者や相手コーチの談話もあれは英国スキップのミスショットだったとコメントしていました。40メートル先からミリメートル単位のコントロールを要求されるとは、やはりこの競技は奥が深い。あと10年くらいしたら、チェスや将棋みたいに人間vsロボットの試合が行われるかも知れませんね、それまで長生きしよう…っと(笑)。ちなみにスキップは司令塔の役目をするポジション、そう言えば艦長や船長は英語でスキッパー(skipper)とも言いました。
この3位決定戦で面白いと思ったのは、メンバーの吉田知那美選手が、氷の神様が味方してくれたとコメントしたこと、最後の英国スキップのミスショットが一番印象に残って言わせた言葉だと思うし、テレビ観戦の私もあのコメントを聞いて英国戦の幕切れのシーンを思いました。この“氷の神様”、英国にはいないんですね。森羅万象、自然界のあらゆる事物に八百万(やおよろず)の神々が宿ると信じている日本の選手なればこそ言えるコメントだったと思います。
あともう一つ、女子カーリングの3位決定戦でちょっと残念だったのは、我が国営放送の報道の拙さでした。日本チームが英国チームと銅メダルを争って熱戦を繰り広げていたのとちょうど同じ時間帯に、スピードスケートの高木菜那選手(あのお姉さんの方)がもう1つ金メダルを獲得して、カーリングの中継画面の上にそのテロップが流れました。今回のオリンピックから新たに採用されたマススタートという種目で、やはりこれもスピードだけでなく頭脳プレイも要求される競技ですが、テロップが流れてから30分くらいでカーリングの試合が終了した時、あの国営放送は何を電波に乗せていたか。
確かに日英戦は最後の最後まで結果の読めぬ素晴らしい試合で、劇的な日本の勝利に感動して興奮するのは当然です。あの試合をリアルタイムで観戦していて最後に興奮しない日本人はたぶんそんなにいないでしょうが、中継放送のスタジオにいたアナウンサーやスタッフまでが一緒になって同じように興奮していては困ります。高木選手金メダルのテロップを見た視聴者が、カーリング試合終了後、次に何を知りたいかを予測できたスタッフはスタジオには誰一人いなかったのでしょうか。アナウンサーは興奮してカーリングの試合を振り返るコメントばかり、裏方のスタッフも高木選手優勝の画像を準備することも忘れるほど興奮していたに違いなく、なかなか始まらないカーリング選手のインタビューを無為に待って、無秩序な映像をカメラで垂れ流すばかり。この人たち本当に報道のプロかよ…と情けなく思いました。あのテロップを流したら、カーリング選手のインタビューが始まるまでの空き時間を利用して、高木選手の試合の模様を流せるように準備しておくべきでした。報道も視聴者の求める情報を予測するのがプロの仕事です。視聴者と一緒になって熱狂するだけの国営放送では、今後は政治的にも国際的にもますます困ったことになっていくと思いますよ。
定年プラス1年
昨年(2017年)3月に定年退職してからちょうど丸1年が過ぎました。ちょっとこの辺で近況報告などしておきたいと思います。その前に退職金も頂きましたが、私の勤めた職場には妙な規定があって、定年まで勤め上げなければ退職金は満額頂けず、さまざまな都合で途中退職した場合は減額される。まあ、私は定年退職だったから問題ないわけですが、もう一つ、25年以上勤務していなければ定年退職であっても満額の6割しか頂けないそうです。25年以上働かなければ4割も減額されてしまうのですから、これは大変です。
私の場合、これがギリギリ25年セーフだったわけですね。それで就職した25年前(今から26年前)を思い出してみると、まさに冷や汗ものだったのです。私が東京大学病院から帝京大学病院に異動するに当たって、当時の帝京大学病理部長だった先生が、4月から来るか、それとも東大病院の夏のボーナスを受け取って7月から来るか、と非常に親身に私の給料を心配して下さったのですが、皆さんだったらどうされますか。たぶん前の職場のボーナスを貰ってから新しい職場へ移るという道を選択する人が多いと思いますが、私はどうせ新天地に移るのだから早く異動して職場に慣れたいと言って、東大病院の夏のボーナスは諦めました。今になって考えてみれば、あの時に東大病院の夏のボーナスに未練を残していれば、帝京大学の在職期間は24年9ヶ月ということになって、みすみす退職金を4割も減額されるところだったわけです。しかも25年前の就職時にはそんな妙な退職金規程などなかったのだから、どんな時でも目先の利益に惑わされることなく、次のステップへ移る際には前向きな気持ちで立ち向かうことが大切だという教訓でもありますか。ポジティブで前向きな姿勢こそ、長い目で見れば結局は得になるということです。
さて退職してしばらくは、それまでも週1回お手伝いしていた病院の病理診断を続けているだけでしたが、そのうちに検査センターの細胞診の顧問の仕事も頂き、さらに健康診断の業務も回して下さる事業所とも御縁ができました。健康診断、つまり健診ですが、小児科医時代の乳児健診や学校健診などは別として、無給だった研修医時代に生活費稼ぎでやって以来40年ぶりのことです。しかし健診など研修医でもできる簡単な仕事と思っていると大間違いであることに気付きました。青二才の研修医だった時は、人生の大先輩に当たる受診者の胸に聴診器を当てながらこちらがドキドキしたり、あるいは年頃の女性受診者を問診して顔を赤らめたりしながら、それでも身にまとった白衣のおかげで何とかサマになっているような情けない情況でしたが、定年後にもう一度、健診車に乗ってさまざまな施設を巡りながら健康診断をしていると、研修医時代のあのオドオドした緊張感が無いのですね。受診者の不安にかなり自信を持って助言できてる気がするし、受診者から信頼されていろいろ打ち明けられてる気もする、あと余裕で世間話なんかしながらいつの間にか健康談議もしちゃってる、という感じで、これが医師としての40年の年輪なのでしょうね。楽しくやっているうちに信用もして頂けたのか、健診協会の副理事長などという今まで想像もしていなかった肩書きまで添えて頂きました。
公的な仕事もそんなわけで順調にやっておりますが、それ以外の生活面でも病理医のオーケストラの団長(回り持ち)とか、福島県相馬市児童のためのキャンプの付き添い医師とかやってますし、歴代の教え子たちはめでたく結婚したとか、子どもが大きくなったから抱っこしてくれとか、久し振りに会ってお話ししたいとか言ってくれて、けっこう頻繁に会いに来てくれますし、病理部の部下たちも何かあると声を掛けてくれますし、最初に思っていたほど定年後の生活1年目は侘びしいものではありませんでした。2年目、3年目になると次第に寂しくなってくるのかも知れませんが、そうしたら今度は念願の旅行三昧でもやりますかね(笑)。とりあえず近況のご報告まで。
小学校の校歌
今年(2018年)も石神井川沿いの桜の花も散って葉桜になるのと競うように、対岸の銀杏並木もみるみる新緑の輝きを増してくる時期になると、私はまだ小学校時代の式典や行事のたびに歌わされた校歌の歌詞をふと思い出すのですね。その中に「銀杏の緑」という言葉があって、何となく違和感を感じた自分が恥ずかしいなと思った記憶があるせいです。小学校入学までは、秋の紅葉の時期のイメージで銀杏は黄色という固定観念があって、なかなか抜け出せなかった、そんな自分を小学生ながら恥ずかしいと思ったわけですが、今さら子どもの頃の小学校校歌を思い出す理由は必ずしもそれだけでないような気もします。
とりあえず私の出身小学校の校歌の歌詞ですが、私の入学する3年前に新しく制定されたものだそうです。作詞は乗松明広さんという方、作曲は大木惇夫さんという方、目白小学校校歌です。
一)あけぼの匂う 目白台
我が学び舎に 誇りあり
銀杏の緑 健やかに
力の限り 励みなん
明るく 楽しく うるわしく
常に仰がん あけぼのを
二)青雲笑もう 武蔵野や
わが友どちに 光あり
桜の花の うららかに
互いに助け 愛しまん
明るく 楽しく うるわしく
常に仰がん 青空を
三)夕星映ゆる 富士の峰
我が拠るところ 望みあり
若木のいよよ 伸びらかに
安らいの世を 来たらせん
明るく 楽しく うるわしく
常に仰がん 夕星を
まあ、文語体で小学生にはかなり難解な語句も多いと思うのですが、けっこう大人になってみると懐かしく思い出されますね。もしこれが「僕ら」とか「私たち」とか「学ぼう」とか「進もう」などという子どもにも分かりやすい言葉が歌詞になっていたら、子供騙しの校歌だったなということで、たぶんもう大人になってから思い出すこともなかったでしょう。
もっとも小学校低学年の頃は、馴染みのない語感をとんでもない意味に解釈していたものでした。
あけぼの→“あけぼの”という花か果実のようなもの
我が学び舎(わがまなびや)→わがままな何か(笑)
誇りあり→当然のことながらハウスダストいっぱい
励みなん→銀杏(いちょう)が出てくるから銀杏(ぎんなん)のようなもの
仰がん→青い眼(“がん”は眼科の“がん)”
友どち(友同士)→友だちのこと
笑もう→???
我が拠るところ→私の立ち寄る所
来たらせん→来たらダメ
恥ずかしいですね。やはり格調高い文語表現は小学生には理解できないのです。しかし深く理解できないから小学生には歌わせなくても良いかと言えば、それは違います。今は幼くて意味が判らないかも知れないが、いずれ中学とか高校に進学すれば文語体も読めるようになるし、それ以前に格調高い文語調のリズムが小学校児童の脳裏に刻まれることになる、これは大事なことだと思います。日本語にはこういう語感、こういう響きもあるのか、それが大人になってからの日本人としての言葉の感性を磨いてくれるのではないでしょうか。何でもかんでも元気溌剌で意味明瞭な口語調の校歌だったら、そんな歌詞は小学校時代に行き交ったさまざまな言葉と共に消えてしまったに違いありません。
「甍(いらか)の波」が難しいから『鯉のぼり』の歌は教えない、「苫屋(とまや)」は分からないだろうから『われは海の子』は歌わせない、最近の小学校児童たちが音楽の授業でどんな歌を習っているのか知りませんが、口語調の歌詞ばかりしか耳に入って来なければ、大人になってからの日本語の感性はどんどん薄っぺらなものになってしまいそうな気がします。
『ふるさと』の「うさぎ追いし…」だって、うさぎの肉が美味しいと思わなかった小学生はおそらく1人もいなかったのではないかと思いますが、あの歌の持つ全体の情感は、それを子供の頃に文部省唱歌として歌ったすべての世代の日本人の胸に受け継がれているのではないでしょうか。
電車の中のやせ我慢
私はこれまで幾つもの職場に勤務しましたが、幸せなことに長距離の電車・バス通勤というものをしたことがありません。通勤や通学のために最も長く電車に乗った区間は、東京メトロ丸ノ内線の池袋〜銀座間の19分です。この程度だと別に座席に座れなくても、どうせすぐ降りるから立ってようと思えたものでしたが、最近西武や小田急や東急や京王や京成などの私鉄で30分から1時間近くもかかる駅まで健診の仕事で出かけてみると、そういう長距離通勤や長距離通学の乗客にとって、座席に座れるか座れないかは死活問題とまでは言えないものの、その日一日の体力温存のために譲れないものがあるのかなと思う機会が多くなりました。
20歳代から40歳代くらいの気力も体力も充実しているはずの世代の乗客が、車内に乗り込んでくるなり、必死の形相で左右を見回し、他に老人や身体の不自由な人がいるかどうかも無頓着なまま、空いている座席に突進してきてドカッと腰を下ろす、時によっては中学生や高校生までが同じことをする、私は同じ年齢の頃に長距離通勤をしたことがないから、30分以上も電車に揺られるのはやはり大変なんだろうなと同情していたら、そうばかりとも限らない。老人や身障者を押しのけて座った若者が、ほんのわずかな間だけ目を閉じてまどろんだかと思うと、2駅か3駅先で降りていくこともあります。おいおい、まだ若いのに毎日そんなに疲れてるのかよと突っ込みたくなりますね。
やや混み加減の電車の中で私の隣にたった1個だけ席が空いていた場合、私は自分より若い人に座って欲しくないですね。それとあと両隣が男性だった場合、特に男性には座って欲しくありません。何かの心理学の雑学本で読んだ話ですが、昔々1台のジープに最大何人乗れるかという下らない実験をした人がいて、男だけ、あるいは女だけだとせいぜい20人も乗れないところ、男女ほぼ同数ずつだと20数人乗れるらしい。その本の著者はやはり男女は心理学的に融合傾向が強いから、男女混合チームの方がたくさん乗れると結論していましたが、決してそればかりではないと思うんですね。
男性の身体は解剖学的には骨盤が狭く、考古学者や法医学者が人骨の性別判定に使用する重要な基準の1つですが、男性は骨盤が狭い割に肩甲が張り出しているから、男性の身体は逆三角形▼に近似でき、反対に女性の身体は骨盤が広いから上向き三角形▲に近似できます。だから女性の場合、空いている座席にお尻さえ入れば、かなりふくよかに見える人でも上半身まで1人分の座席に収まるのに対し、男性の場合はたとえお尻が入っても上半身は左右にはみ出すことが多い。肥満の進んだ男性ですと逆三角形▼どころか円形●に近くなってますから、左右両隣の人に与える圧迫感は“心理学的要素”だけでは済みません。
男ばかり並んで座った場合、▼▼▼となって見るからに窮屈、間に女性に入って貰って▼▲▼となった場合に比べると、こんな単純な図形に近似しただけでもずいぶん違いが明らかではありませんか。女性だけで▲▲▲と並んだ場合はもっと余裕が出ます。私は自分の隣に1つ席が空いた時は、ぜひ女性乗客に座って欲しいと願ってますし(別に若い女性に限らない)、電車に乗った時に男性乗客同士の間に1つだけ座席が空いていても、絶対に自分は座りません。混み合ってきたような車内空間では、そうやって見知らぬ他人同士でも互いの距離感を保つことがトラブルを避けるためにも大切です。
しばらく前にJR某線の車内で見かけた光景ですが、手すりの鉄棒で二人掛けに仕切られた座席に、逆三角形▼を通り越して円形●になった中年男性が2人はまり込むように座っていて、見るからに窮屈そうでした。互いに隣の相手を敵意に満ちた目でチラッ、チラッと睨みつけている。気の毒とは思いながらも、何か漫画のようで滑稽でしたね。たぶん最初に腰掛けた方は、「この野郎、こんな狭いスペースに割り込んでくるんじゃないよ」と言いたげな表情でしたが、ご自分の体型も考えれば、自分が二人掛けの座席に陣取ってしまえば、よほど小さな子供でなければもう1人掛けられなくなることを考えてあげなさいよと私は思いますけどね。不幸なことに、その●●の電車は信号機故障か何かで目的の駅への到着が10分以上遅れ、電車が停まっている間ずっと2人は無言のまま憎しみの視線を投げつけあっていました。
何を言いたいかといえば、男性▼は自分の体型の特徴をよく理解して、その解剖学的特徴が災いするようなトラブルを未然に防ぐことが大切です。残念ながら男性の隣に座らなければいけなくなったら、できるだけ背筋を伸ばして肩幅を縮め、隣の乗客との身体的接触を最小限に食い止めなければいけません。ところが座席に座るや、いきなり腕組みをして全身の筋肉を緩めてリラックスしたり、大きな手荷物やリュックを膝の上に抱えたまま居眠りモードに入る無警戒な男性乗客が多いように思います。昨日の通勤までは何事も起こらなかったかも知れないが、たまたまムシの居所の悪い男性の隣で同じことをすれば、今度は不愉快な思いをさせられる可能性も無いとは言えない。
そもそも座れるならば少しでも座っていたいと思う心が、特に男性の場合は下腹部の皮下脂肪増加にもつながってしまうのです。よほど空席の目立つ車両でない限り、俺はそんなに疲れてないぞ、空いている座席はお年寄りや女性や子供が座ればいいと思って、少しでも立ったまま余分なカロリーを消費することを考えましょう。昔は『武士は食わねど高楊枝』といって、どんなに空腹でも自分は腹一杯食っているように見せかけるのが武士の心意気でした。最近の男性には武士のプライドが無くなってきたのでしょうか。単なる見栄っ張りと言ってしまえばそれまでですが、これが本当のやせ我慢、飽食の時代に必要な男子のたしなみだと思います。
いい年こいて
今年(2018年)も4月頃からちょっと芸能界が騒がしいですね。ロックバンドの男性アイドルグループ『TOKIO』のメンバーが、某国営放送の番組を通じて知り合った女子高校生を自宅の部屋に呼んで、強制的にキス〜性的行為に及び、強制わいせつ容疑で警察に書類送検されたという事件です。朝鮮半島の南北首脳会談や、アメリカのイラン核合意離脱など重大案件そっちのけで、TOKIOの事件報道に過熱していたマスコミも多く、そんなマスコミに視聴率をプレゼントしていた視聴者にも唖然ですが、やはり今回の事件だけに限って言えば、未成年の女子高校生を夜遅くに自宅に呼び出した男が、一言の弁解の余地もなく絶対的に悪い。
電話で呼び出されてノコノコ出かけていく女子高校生にも問題があるとか、女性を部屋に呼ぶ男にいやらしい下心が無いはずないことなど分かっているだろうなどと、ドヤ顔で知ったようなコメントを垂れ流している人たちも多いですが、男は皆スケベだと言わんばかりのコメントは特に悲しいですね。私も帝京大学在職中は仕事柄、学生や卒業生などの若い女性が昼も夜もよく部屋に出入りしてました。ほとんどは20歳を過ぎた成年女性で、一緒にご飯やお茶したり、スナップ写真など撮ったりする機会も多かったけれど、私は1回も彼女たちの肩や膝に手を置いたことはありません。世間を見渡すと、そういう一見さりげない“スキンシップ”を好むオジサンもいらっしゃるようですが、止めた方がいいです。
10歳も20歳も30歳も40歳も年長の者は、相手が異性であれ同性であれ、もしかしたら相手がイヤだと感じるかも知れないことは絶対にしてはいけないし、そんなスキンシップがなくても相手を楽しませて向上させてあげなければいけない、それが年長者の義務であり、今回TOKIOのメンバーの部屋を訪れた女子高校生もそれを大人の男性に期待していたと思います。
まあ、そんなことは当然の社会人の掟だと思ってますが、今回驚いたのは事件を起こしたTOKIOのメンバーの年齢です。46歳だっていうじゃありませんか、彼らももうそんな分別のつくべき年齢に達していたんですね。
ドイツ語ではTokyoをTokioを表記しますが、1979年にジュリーこと沢田研二さんの歌った曲が『TOKIO』、
TOKIOが空を飛ぶ〜♪
とか
スーパーシティーが舞い上がる〜♪
とか
やさしい女が眠る街〜♪
などという歌詞が印象的な曲でしたが、TOKYOではなくてTOKIOというのがちょっと気障(きざ)だなと思っていたところ、10年後の1989年にはTOKIOという別の新しいグループが結成された、私が東大病院で専属の病理診断医をしていた頃です。当時は最年長でリーダーである城島君でさえまだ20歳になるかならぬかという若さ…というか幼さ、それがもう40歳代という分別盛りですからね。最年少の長瀬君がしばらく前に、私と同じ病理診断医を描いたテレビドラマ『フラジャイル』を主演してけっこうハマリ役だったことも思い出しました。
かつてアイドルと言われたような少年・少女たちも、今ではもう皆オジサン・オバサンなのですね。私が大学生だった時に『花の中3トリオ』と言われて一世を風靡した3人娘(知らない人は黙って読み飛ばして下さい・笑)などどうなっているのでしょうか。東宝の若大将だった加山雄三さんも今や我々高齢世代の希望の星ですし、『私がオバさんになっても』なんていう歌を歌っていた森高千里さんも、本当にもう50歳近く(“アラ・フィフ”)になっちゃったらしいですよ。
芸能人ばかりではありません。学校時代の同級生たちも同じように年齢を重ねてきたはずですから、存命であれば私と同じ老境を迎えていることでしょう。つまりかつての自分たちと同じ若い世代を守るべき、少なくとも傷つけてはならないと知るべき相応の分別を求められる“いい年”になっているということです。
今回の事件を起こしたTOKIOのメンバーは、まさに自分がデビューした時と同じ年代の若者を傷つけてしまった、それも「心ならずも」と言えるような状況ではない、自分の欲望を制御できないまま若い世代に傷を負わせてしまった、年長者としては「いい年こいて」などと他人様から後ろ指をさされないよう肝に銘ずべき教訓だと思います。
大人げないタックル事件
芸能界の強制わいせつ事件に引き続いて、よくまあ次から次へとマスコミを騒がせる“悪役(ヒール)”たちが登場するものですが、今度はアマチュアスポーツ界、それも日本人一般にはあまり馴染みのないアメリカンフットボール(略してアメフト)の世界に火がつきました。何でも今年(2018年)5月6日にアミノバイタルフィールドで行われた日本大学vs関西学院大学のアメフトの試合の第1プレイで、日大の選手がパスを投げ終えて無防備になった関学のクオーターバック(QB…チームの司令塔みたいな重要なポジションらしい)に猛烈なタックルをぶちかまして負傷させたのが引き金となって、今やアメフトどころか普段はスポーツに関心のなさそうな一般大衆までが一緒になって、もはや社会問題と言ってもいいくらい世論がヒートアップしています。
何度もテレビの電波に乗り、ネットの動画にも拡散された反則シーンをちょっと見ただけでは、他のスポーツの試合でも発生する偶発的な反則行為と同じではないかと思ってしまうのですが、アメフトという競技はボールが動いている間だけのせいぜい10秒か20秒程度の細かいセットプレーの積み重ねであり、1つ1つのプレーの中で各選手の動きが、角度も歩数も神経質なくらい正確に決まっているらしいので、パスを投げ終えた選手が2秒もしてからタックルを受けるなんてことはあり得ないそうなのですね。それでアメフト経験者の解説者や議員までが、あのプレーはおかしい、誰かに指示されたに違いないと疑念を表明したことから騒ぎに火がつきました。
その後、関学アメフト部から日大アメフト部への抗議文書が送られ、日大側の回答に誠意が見られないという理由で再度抗議文書が送られて、それでもさらに再回答に満足しなかった関学はついに警察の捜査の介入を要請、また反則タックルを受けて負傷した関学選手の父親が日大の選手だけでなく監督・コーチも傷害罪で告訴…と本当にこれがアマチュアスポーツの世界の出来事なのかと、目を疑うような方向に事態が進展してしまったことは皆さんもマスコミの過熱した報道によってご存知のことと思います。
この間、反則タックルをした日大の選手が異例の弁護士同席の下、単独で記者会見を開き、タックルは監督・コーチの指示だったと告白、深い謝罪と反省を表明してアメフトの競技から身を引くと述べたことから、その潔さと率直さに世論ばかりか関学アメフト部からも賞賛が相次いで、却って男を上げた感がありました。
「1プレイ目で相手のQB(クオーターバック)を潰せ」「やらなきゃ意味ないよ」
と言われたようですが、これを受けて監督とコーチも翌日急遽会見を開き、「潰せ」は「思い切って強く当たれ」という意味で、「怪我をさせろ」という意味ではない、と傷害の故意を否定したが、それだったら「1プレイ目で…」ではなく「1プレイ目から…」と言うべきですから、監督とコーチに対する風当たりはさらに強まって、ついに監督と該当するコーチは辞任することになり、監督は日大の常務理事まで辞任する羽目になったようです。
しかし何と大人げない事件だろうと思うのですね。アマチュアスポーツの試合中の反則行為が刑事事件にまで発展してしまう、普通なら「まあまあ、今度だけはそう怒らないで」と誰かが仲裁しそうなものですが、そうはならなかった。またタックルを受けた選手の父親までが出てきて刑事告訴に踏み切ったことを公表する、普通なら「まあまあ、お父さんまで出て来なくても」と20歳前後の息子なら制止しそうなものですが、そうもならなかった。
こうして見ると問題の根はかなり深いのでしょう。“文春砲”の異名まで取る週刊誌が試合後の日大監督の談話として収録された音声を公開し、故意の傷害を裏付けるものだと報道しましたが、その音声とされるものの中に気になる内容がありました。「何年か前の関学の方がもっと汚いのだから、あれくらいやっても良い」という趣旨でしたが、それが本当なら今回の事件は単なる偶発的な反則行為ではなく、少なくとも日大の監督は“遺恨試合における正当な復讐”と捉えていたということです。真偽のほどはともかく、こんな極道の御礼参りのようなイメージがアメフト競技を傷つけてはたまらないという思惑も働いたのでしょう、その後この文春砲のすっぱ抜きの内容がこれ以上検証されることはありませんでした。もし検証する気があれば、日大監督が“遺恨”に思っている“何年か前の関学のプレイ”を確認しなければいけないはずですがね。
要するに世間やマスコミは、女子高校生を部屋に呼んで乱暴狼藉する芸能人とか、相手チーム選手に怪我させろと命令するヤクザの親分みたいなスポーツ監督とか、とにかく分かりやすい悪役(ヒール)の存在を待ち望んでいるような気がします。そうやって皆で寄ってたかって袋叩きにする悪役の存在が、社会に溜まっている不満の捌け口として安全弁の役割を果たすことは事実です。いわゆる“ガス抜き”というヤツですね。昔々読んだことがあるのですが、ある会社の地下の休憩室には社長の等身大の人形が置いてあって、社員たちはこれをまるでサンドバックのように口汚く罵りながら殴ったり蹴ったりするらしいし、また社長はじめ会社の幹部たちはそれを黙認しているらしい。そうやって社長人形を殴ったり蹴ったりすることで社員の不満やストレスが解消され、会社の業績は却って向上するので社長も大喜びだと書いてありました。
不埒な芸能人やスポーツ監督を世論・マスコミこぞってバッシングすることで日本の社会に溜まる不満やストレスは確実に減圧されたと思います。日大の監督やコーチが、「潰せ」は「怪我をさせろ」という意味ではないのに選手の受け取り方に乖離があったと、いくら一生懸命弁明しても、そんなはずはない、お前らが選手をそこまで追い込んだのだ、と世論はますます激昂しました。しかし憲法改正で国民に愛国心を強要しようとする政治家が、国有地を食い物にした疑惑の売買に関与した事実はないとコメントすると、世論もマスコミもあっさりスルーしてしまう。もう当事者に任せた方がよいアメフト界のドロドロに関してはけっこう執念深く食いつくくせに、自分たちの国の行く末に関係する疑惑の解明には意外に淡白、日本国民は政治に関してもっと大人になるべき時、少しは考え直した方が良いと思いますけどね。
暗いよう、狭いよう
「ワーン、暗いよう、狭いよう、怖いよう」というセリフで、高橋留美子さんの漫画『うる星やつら』に登場する面堂終太郎を思い出す人は多いでしょうね。能天気な主人公
諸星あたるとカミナリ娘ラム、クラスメート三宅しのぶの三角関係に割り込んでくるライバルの超イケメン男子です。ルックスだけでなく、秀才で運動神経抜群、男に対しては傲慢だが女性には優しく、おまけに面堂財閥の御曹司というわけで、クラスの女子からは絶大の人気を誇りますが、唯一の弱点が閉所・暗所恐怖症、狭くて暗い場所に閉じ込められると錯乱して「暗いよう、狭いよう、怖いよう」と子供のように泣き叫ぶという、いかにも高橋留美子さんの作品にふさわしいユニークなキャラクターでした。
しかし面堂終太郎に限らず、暗い場所に閉じ込められる恐怖は考えただけでもゾッとします。2018年7月5日現在、雨期のタイの洞窟に閉じ込められた地元のサッカー少年たち13人が元気で救出を待っていると報じられていますが、こういうニュースは聞いているだけで息が詰まりそうです。何でも6月23日の午後に、10キロ以上もある複雑な洞窟の奥に入ったまま豪雨による増水で外へ出られなくなり、7月2日の夜にイギリスのダイバーに発見されるまで9日間も外部との接触を断たれて孤立していたそうで、その絶望感たるや想像を絶するものだったでしょう。
このまま救助の望みもなく、自分たちはここで死ぬのかという思いは何度も胸に去来したに違いありませんが、そんな状況の中で年端もいかない少年たちがコーチの指示の下で乏しいお菓子も分け合い、互いに励まし合いながら救助を信じて規律を保っていた、その事実に私はタイ人の並々ならぬ底力を感じますね。
最近ではネットなどに、第二次世界大戦や東日本大震災など未曾有の悲劇の中で発揮された日本人の美徳や底力を自画自賛するサイトをよく見かけるようになりましたが、そういう資質が決して自分たちだけのものだと自惚れてはいけません。今回の洞窟の事故を聞く限り、タイ人の国民性の中にも侮りがたい資質が脈々と受け継がれていることを知るべきです。しかも最近の日本人はこういう事故が起きるとすぐ“自己責任”なる言葉を発しますが、タイではそんな事を言う人はほとんどなく、少年たちが元気で良かったという報道一色だとも書かれています。
(少年たちは7月10日までにダイバーたちによって無事に救出されたようです。)
それはともかく、狭い場所や暗い場所に長時間にもわたって閉じ込められるのは苦痛以外の何物でもありません。中世ヨーロッパの魔女狩りでは、人の字の形をした横穴の奥に容疑者を何人も詰め込んで魔女であることを自白させる拷問もあったとか(自白すれば“魔女”として殺されてしまうが、穴に閉じ込められたままよりはその方がマシだったのでしょう)、アメリカに送られる黒人奴隷は狭い船倉に鎖で繋ぎ合わされて身動きもできないまま航海を続けたとか、そういった話を岩波新書などで読みましたが、そういうまさに息詰まるような地獄は、必ずしも人間の底知れぬ無慈悲さや冷酷さのみによって強いられるわけではなく、またタイの少年たちのようにちょっと危険な好奇心によってもたらされるものでもないことを先日改めて思い知らされました。
今年(2018年)6月18日に通勤時間帯の大阪市を襲った震災で、非常停止した満員の通勤電車に長時間乗客が閉じ込められたというニュースを読んで、やっぱりそうなったかと思いました。中にはホームに到着しているのに安全確認が取れるまで1時間近くも扉を開けて貰えなかったという事例もあったようですが、これは鉄道マンの方々にぜひ再考して頂かなければ、次に想定される南海トラフ地震では何万人という乗客の生命を左右することにもなりかねません。
私も通勤通学客が集中する朝の通勤時間帯に電車に乗る時はまさに“命がけ”ですね(笑)。例えば池袋〜新宿間の上り埼京線、新宿止まりの電車ならば比較的空いていて車内で動き回れるくらいの余裕がありますが、新宿より先へ行く電車では乗客がスシ詰めになっています。乗客がドアの窓ガラスに張り付くようにようにして出発していく電車をホームで見送るたびに、もしこの電車が駅間で非常停車してしまったら皆さんどうなるんだろうと身の毛もよだつ思いです。まして車両火災でも起こしたら…。だから私は新宿より先へ行く電車には乗らないように時間調節しています。
そういう非常事態に乗客の事を真っ先に考えて現場の判断をしてくれる車掌さんや運転士さんは、日本には1人もいないことを覚悟しておくべきです。まさにそれが南海トラフ地震で膨大な犠牲者を増やす要因でもあるわけですが、日本の鉄道マンの服務規律はおそらく世界でも最優秀のものでしょう。それが幾つかの世界から賞賛された事故対応にもつながっていますが、裏目に出れば多くの乗客を死地に追い込むことになる恐れもあります。
鉄道マンに限らず、日本人はマニュアルに厳格に規定された事項や、上部から指示された事項に関しては、自らの危険もかえりみず実にみごとに対応する資質を持っていますが、自分で責任を持って現場の判断を下す能力に関してはおそらく世界最低ランクに属すると思われます。今回の大阪の地震で非常停車した電車の車掌さんや運転士さんたちは、運転司令所から出される指示を待っていたに違いありませんが、運転司令所で直接電車と連絡を取っている職員も、監督する上司の指示が無ければ列車に指示を出せない、しかし監督する上司もまた非常停車している何十本もの列車に対して一つ一つ適正な指示を出せるような精神状況ではなかったでしょう。余計な指示を出したら、後から会社上層部やマスコミから何を言われるかわからないと戦々恐々となっていて、おそらく車内にスシ詰めになって身動きできない乗客に真っ先に思いを馳せていた上役はほとんどいなかったと思われます。後から責任を問われないように、我が身可愛さで一番無難な方法を模索して金縛り状態、車内の乗客以上に身動きが取れなかったと言ったら語弊があるでしょうか。
現場の目視判断で電車を10メートル前進させれば踏み切りを開けられるのに、それをせずに消防庁の救急車を足止めした鉄道マンのことは別の記事に書きましたが、上からの指示が無ければとにかく判断停止・思考停止・行動停止するのが日本人の特性です。大阪の満員電車に閉じ込められた乗客の皆さんには大変お気の毒でした。二酸化炭素中毒や持病の発作などで大事に至った方がそれほどいらっしゃらなかったらしいのがせめてもの救いです。
閉じ込められることが何故恐怖なのか。それは肉体的にも精神的にも自分の判断で物事に対処する術を奪われるからです。やりたいと思っても何もできない、怖いと思っても逃げることもできない、面堂終太郎でなくても「暗いよう、狭いよう」と泣き叫びたくなります。大阪の鉄道マンの方々は日本人特有の厳格な服務規律に従って心ならずも乗客を長時間閉じ込める結果になってしまったと思いますが、それが次に想定される南海トラフ地震では多数の乗客を死地に追い込む可能性があることをぜひ再考して頂きたいと思います。
南海トラフ地震では東海道や紀伊半島、四国、九州などの太平洋岸に何百本もの列車が非常停車すると思われますが、その時に現場の車掌さんや運転士さんや駅員さんたちが運転司令所や上役の指示を待って無為に時間を費やしていれば次に何が襲ってくるか。東日本大震災の時は津波の襲来までに数十分の時間的余裕がありましたが、それでも避難が遅れて悲劇を招いた学校があったことは別のコーナーに書きました。南海トラフ地震では大きな揺れの10分ないし20分後には津波が襲来すると予測されています。今回の大阪地震の通勤電車のように1時間近くもグズグズしていれば、確実に列車は多数の乗客と共に水に呑み込まれることになるでしょう。
鉄道マンの方々はこれを歴史的教訓として、いざという非常事態には現場の判断だけで適切な避難行動を決定する心構えを新たにして頂くと同時に、鉄道を利用する乗客の方も南海トラフ地震に遭遇したと悟った時には、自分の身を守るために列車のドアの非常コックでも何でも使用できる心づもりをしておくことをお勧めします。私もかつて和歌山を旅した時には紀勢本線に乗りながら、この路線は海に近いけれども反対側の山も近いから、津波が来たらすぐに列車を飛び降りて山へ向かえば助かる確率は大きいなどと考えていたものでした。
閉じ込められる話がずいぶん現実味を帯びてしまいましたが、閉所恐怖症の人には絶対に勤まらないのが潜水艦乗りでしょうね。この写真はほぼ同じスケールのジェット旅客機と海上自衛隊の潜水艦です。潜水艦の方は横須賀で売っていた玩具のボールペン、旅客機の方は昔なつかしいダ・ヴィンチの構想したヘリコプターマークの全日空トライスターですが、私はヨーロッパやアメリカには行きたいけれど、もうこんな旅客機に10時間も乗りたくない(笑)、あの狭い機内に閉じ込められた感じが何とも言えないと別の記事に書いたことがあります。
しかし世界中の潜水艦乗組員の方々はあんな狭い艦内で10時間どころか何週間も閉じ込められたまま勤務されているわけですね。最近の潜水艦は長期間にわたって隠密裏に海面下を行動していて、いったん出港したら任務終了まで陸地を見ることも日光を浴びることもない、艦内には酸素を発生させる装置も、太陽光の代用となる照明装置も完備しているでしょうが、それでも長期間にわたる閉所での生活は乗員にとって物凄いストレスであることは確かです。地球を見下ろせるだけ宇宙ステーションの方がまだマシか(笑)。
第二次世界大戦中はもっと劣悪な潜水艦に乗って、太平洋と大西洋を往来した日独の潜水艦があったことは別のコーナーに書きましたが、本当に古今東西の潜水艦乗りの方々には頭が下がります。潜水艦は複雑な機械を操作しなければいけないからバカじゃ勤まらないが、頭が良すぎてもいろいろ考えすぎてストレスで参ってしまうから、潜水艦乗りの適性というのはどこの国でも難しいらしいです。
あと閉じ込められる話題といえば、何と言ってもフランスの文豪デュマの『モンテ・クリスト伯』ですね。恋人に横恋慕した腹黒い友人たちの裏切りによって無実の罪を着せられたダンテスは何と14年間もシャトー・ディフの牢獄に閉じ込められる、気の遠くなるような幽閉ですね。原作は岩波文庫で全7巻あるのですが(山内義雄訳)、最初の1巻はダンテスが無実の罪で捕らえられて投獄され、獄中で知り合った年老いた囚人ファリア司祭と交流することでさまざまな知識を得ていく様子が描かれています。このダンテス幽閉の場面は全7巻中、第1巻の後半から第2巻冒頭の脱獄までのそんなに長いものではないのですが、何しろ読んでいて本当に息が苦しくなるような描写ですから、かなり印象に残りますね。物語の残りの6巻で何をするかといえば、脱獄したダンテスがファリア司祭の遺言で手に入れた莫大な財宝を使って、自分を陥れた友人たちに執拗な復讐を果たしていくわけですが、この残りの部分に、さらに悲惨で息苦しくなるような“閉じ込め”が描写されています。それこそダンテスの14年間の“閉じ込め”でさえ影がかすむくらい重苦しい“閉じ込め”です。
実は脱獄したダンテスの復讐劇に重要な役回りをするノワルティエ氏という老人が登場しますが、この人物は脳梗塞か脳出血の後遺症で眼球より下部の運動神経がすべて麻痺しているのです。つまり眼球だけは自分の意志で動かせるが、それより下部、手足の運動はもとより、顔面の運動も発語機能もすべて失われてしまっている。眼球運動以外の運動神経が束になって通っている部分に脳卒中が起きると、実際にこういう症状が見られ、医学的にもまさに「閉じ込め症候群」と呼ばれていますが、たぶんデュマはそういう患者さんを見たことがあったのでしょう。
意識もしっかりしているし知能も保たれている、しかし自分の意志を周囲に伝える言語も表情操作もできない、もちろん手足も動かせませんから筆談もできない。すべて麻痺した肉体の中に精神が閉じ込められる症候群という意味ですから、何とも恐ろしい病名だと思います。もしあなたがこうなったらどうするかと学生さんに訊ねたことがありましたが、その学生さんは「自殺します」と答えました。しかし動けないから自殺もできないし、自殺したいという意志を表明することも、殺してくれと頼むこともできないのです。私はこの病気のことを考えると居ても立ってもいられない気持ちになりますね。夜も息苦しくなって眠れなくなることがあります。
では『モンテ・クリスト伯』のノワルティエ氏はどうして物語で重要な役回りを果たせたかというと、最愛の孫娘が常に寄り添っていて、ノワルティエ氏が目をギョロッと動かして合図をすると、孫娘が辞書を持ってきてこの老人の前でパラパラとページをめくって見せる、物を見ることはできますから、老人は自分が伝えたい単語の頭文字のところで目をギョロッと動かす、それを手がかりに孫娘がさらに辞書を繰っていって次の文字でまた目をギョロッと動かす、そうやって気長に単語を紡いでいって老人の言いたいことを通訳するのですね。
もし自分がそうなってしまったらどうして欲しいか。もはや「どうするか」という問いかけに意味はありません。閉じ込められているわけですから、どうしたくても何もできません。ノワルティエ氏はそうなっても、まだ自分の存在が周囲に影響を与え、自分の決定を必要とする者もいることを自覚できていたから、孫娘による通訳を必要としてでも生き甲斐を感じることができたのでしょう。実際の患者さんたちが閉じ込められた精神の中で本当は何を考えていらっしゃるのか推測するしかありませんが、もし私自身がそうなって病院や施設のベッドに永久に“閉じ込められる”存在になったことを悟ったら、きっと魔女狩りで横穴に閉じ込められた哀れな犠牲者と同じように考えると思います。
今回は最初の表題の割に、かなり重苦しい結論になりました。
新世代の動物型エンジン
先日、神奈川県の綱島街道沿い、日吉と綱島の間で水素ステーションなるものを初めて見かけました。次世代のクリーンエネルギーとして注目されている水素燃料電池を搭載した自動車に水素ガス(H2)を供給する場所です。現在ではまだガソリンやディーゼルの自動車が圧倒的多数ですから、このような水素ステーション(水素スタンド)はほとんど見かけませんが、二酸化炭素排出も規制できるということで今後はどんどん普及していくのでしょうか。
水素ガスを使った交通機関というと、我々20世紀人は子供の頃から聞かされてきたツェッペリン飛行船を思い出します。20世紀初頭にドイツのツェッペリン伯爵が開発した大型飛行船の代名詞でもあり、最大級のグラーフ・ツェッペリン号は全長236メートルという軽金属製の化け物のような外殻に水素ガスを詰めて浮揚、悠々と世界中の大空を飛行するものでした。世界一周の途中、日本の霞ヶ浦にも立ち寄って、当時の少年たちの心をときめかせた有名なドイツの飛行船でしたが、当時の大型飛行船は必ずしもドイツの専売特許だったわけではなく、イギリス、フランス、イタリア、アメリカなども続々と軍事用、旅客輸送用の大型飛行船を開発していたのです。
ツェッペリン飛行船はいわゆる気球のような風船ではなく、アルミニウムなどの軽金属の合金で作られたガスタンクのような外殻に比重の軽い気体を詰めて浮揚するのが特徴で、ガスタンクの下に船室がぶら下がった形をしていました。本当はヘリウムを使うのが理想だったのですが、当時のヘリウムは高価でほとんどアメリカの独占状態に置かれていたので、特にナチス政権下のドイツはアメリカからヘリウムの供給を受けることができず、やむを得ず水素ガスで浮揚していたドイツの大型飛行船ヒンデンブルグ号が1937年5月6日、大西洋横断後にアメリカニュージャージー州のレイクハースト基地に着陸しようとした時に水素爆発による大事故を起こし、この惨事を契機に飛行船は衰退していきました。爆発の原因は船体が帯びていた静電気の放電と言われてます。
水素ガスは非常に引火性が強いので危険なわけですね。1925年に墜落したアメリカのシェナンドア号ではヘリウムを使っていたので火災は発生していません。21世紀になってからも時々日本の空を飛んでいる新型飛行船ももちろんヘリウム使用です。
ところで飛行船の話が長引いてしまいましたが、その水素ガスで自動車を動かすのが水素燃料電池です。用途は必ずしも自動車に限りませんが、上の写真の水素ステーションは自動車向けですね。別に自動車を宙に浮かして走らせるわけではないのでヘリウムで代用はできません。水素電池(水素エンジン)搭載の自動車と聞くと、ガソリンの混合気をシリンダー(気筒)に送り込んで燃焼させる従来のエンジンのイメージから、水素ガスをシリンダー内で爆発させるミニ・ヒンデンブルグのイメージを思い浮かべてしまうのですが、実はまったく違う原理なのですね。その原理が我々動物の細胞とほとんど同じであることに興味を惹かれました。
水素燃料電池は、簡単に言ってしまえば、供給ノズルから引き込んだ水素ガス(H2)を水素イオン(H+)と電子(e-)に分離して排出口側に流し、その電子の流れ(電流)をエネルギーとして利用するわけですが、これは何と動物細胞が持っているミトコンドリアの膜で行われている電子伝達系とまったく同じなのですね。動物は10億年以上かけてやっと進化に追いついた…(笑)。水素燃料電池もミトコンドリアも水素イオンは最後に酸素と反応させて水にするわけですが、実に見事な相似形だと思いませんか。(なお“水素エンジン”というと水素の爆発的燃焼をイメージしてしまうので、“水素燃料電池”という呼称の方が正確です。)
水素燃料は環境に対してクリーンで優しいと言われますが、水素と酸素が水になる反応では地球温暖化の原因となる二酸化炭素が発生しないからです。しかし肝心の水素ガスはどうやって作るかと言えば、水の電気分解のほか、製鉄所のコークス燃焼や石油精製過程で発生する水素ガスを精製する方法などあるそうですが、ちょっと考えればわかるとおり、燃料の水素ガスを製造する段階で火力発電や原子力発電や化石燃料の燃焼などが絶対不可欠であり、完全にクリーンなエネルギーとは言えません。ただし水素燃料で走る個々の自動車は二酸化炭素を撒き散らすことをせず、二酸化炭素排出源を大きな発電所や鉄鋼プラントなどに集約することのメリットは大きいと思いますが…。
面白いことに、動物のミトコンドリアもどうやって燃料の水素を得ているかというと、炭水化物(糖質)を酸化して水素イオンを叩き出しているわけですね。この過程で炭水化物の分子から二酸化炭素が発生していて、人類の発明した水素燃料電池と大同小異と言ってよいかも知れません。
さてこうやって考えてくると、人類の科学技術が22世紀に向けて次に何をすれば良いか、おぼろげに見えてくるような気がします。人類はミトコンドリアの電子伝達系と共通原理で動くエンジンを発明した、まさに動物原理のエネルギーです。進化の順番は逆になったが、今度は植物原理のプラントを発明すれば、動物原理のエンジンを補完して、この地球の環境を安定させることが可能になるのではないでしょうか。
植物原理、すなわち葉緑体による光合成の原理で、大気中の二酸化炭素と、水を電気分解した水素とから炭水化物(糖質=食糧)を合成するプラントです。動物エンジンと植物プラントを両輪として稼働させることで、人類は大気中への二酸化炭素蓄積を防ぎ、食糧を増産し、豊富なエネルギーを獲得する、まさに究極のユートピアと言ってもよいでしょう。そこは間違いなく、人類の科学技術が究極的に到達すべき目標の1つとなるはずです。
東京医大の女子受験生
今年度(2018年度)に入ってから東京医科大学(東京医大)の入学試験が大変なことになっている。文部科学省の次期次官候補と目されていたS局長が、医療コンサルティング会社の役員を仲介として、私立医大への事業予算の配分で便宜を図った見返りに、息子の入試の得点をかさ上げして貰って合格させたという事件。いわゆる「裏口入学」であるが、昔から私立医大の裏口入学など「あって当然、無いのは不思議」というくらいのもの、私が高校時代に医学部を受験すると言ったら、担任教師が私の親に向かって「お宅の息子さんが寄付金なしに入れる医学部なんかありません、お金はあるんでしょうね」と言った話はこのサイトにも書いたし、私が私大医学部に併設された医療系の教授をしていた頃に、「お前も教授なら(裏口の)枠を幾つか持ってるだろう、俺の知り合いに学長を紹介しろ」と凄んだ無礼な友人もいたものだ。
しかし今回の東京医大のはそういう“普通の裏口入学”ではなく、文部科学省の官僚たる父親が大学に予算配分の便宜を図った見返りということで、れっきとした贈収賄事件に当たる。大学も官僚も歯止めの利かないところまで落ちたという感じだ。“普通の裏口入学”ももちろんだが、“地獄の沙汰も金次第”で入学した医者に将来健康を預けることになる国民こそいい面の皮である。医者なんてそんなもんで良いんだよと言われたも同然で、同業者としてはちょっと軽く見られているような気もする。
今回の事件を機に東京医大に調査が入ったら、贈収賄事件にならないような“普通の裏口入学”は理事長の指示で毎年数件くらいずつあったこともわかり、親が収めた数千万円の寄付金と引き換えに受験生の息子や娘は得点をかさ上げして貰っていたらしい。これは大学としては正規の収入に勘定されない資金源だから課税もされず、理事長としても喉から手が出る思いだったろう。一般の人々は絶対許せないと怒り心頭かも知れないが、私を含めて私立医大の教職に在った経験を持つ者のほとんどが、どうせそんなもんだろうと妙に醒めている現状も困ったものである。
いずれそういう困ったことについて書くこともあるかも知れないが、今回の東京医大の調査が進む過程でとんでもないパンドラの箱をひっくり返したんじゃないかと思われることがあった。女子受験生に対する“不当差別”とされる問題である。報道によれば、東京医大では過去の入学試験で女子受験生の得点を1〜2点低く抑えて、男子の方が合格しやすくしていたということである。この文面どおりなら明らかな男女差別であり、多くの国民からも女性差別を許すなという怒りの声が上がり、さらに国際的にも波紋を呼んで、日本は男女差別の国という認識が広まってしまったという。余談だが、「東京医科大学」における“男女差別入試”が海外に報道される際、誤って「東京医科歯科大学」のキャンパスの写真が使用されたとかで、東京医科歯科大学の関係者はとんでもない迷惑を蒙っているらしい。
それはさておき、今回明らかになった東京医大入試における女子受験生の扱いについて、医学部入試の実情や医学部教育の内容を知る者の立場から、少し視点を変えて考えてみようと思う。一般国民ばかりでなく、東京医大の女子受験生の扱いはひどい差別だと頭から信じ込んでしまっている医学関係者も多いことから、このままではとんでもない方向に事態が転がってしまう恐れがあるからだ。
もちろん私は東京医大の関係者ではないので、大学の入試を仕切った者たちが本当は何を考えていたかは断定できないが、私なら、あるいは私でも、受験生の合格判定に際してこういう処置はするだろうということを書いておく。
当然のことだが、最初から全部の女子受験生に対するハンディとして、一律に1点ないし2点のビハインドを与えるはずがない。そんなことは誰が見たって明らかな男女差別の暴挙である。最近の医学部入試は国公立大学に限らず、どこの私立大学まで含めても競争率が数十倍にもなる難関である。この狭き門に満を持した粒よりの受験生が多数殺到するのであるから合否の差は紙一重、ボーダーライン前後の得点には1点あたり数十人の受験生が分布することになる。
例えば補欠まで含めて全部で150人の受験生を選抜するとして、300点満点中270点までに140人の受験生が入ったとすれば、この140人に関しては男女を問わず全員合格である。さて募集定員まで残りあと10人であるが、ここの選抜が難しい。次にボーダーラインを1点下げて269点にしたところでちょうど150人になれば良いのだが、このあたりの得点には1点あたり多数の受験生が分布するので、269点を合格ラインとすると160人になってしまったとする。つまり269点を取った受験生は20人いるのだが、それを全員合格にすると10人過剰になってしまう。同じ269点を取った受験生20人のうち10人を合格、10人を不合格としなければいけないのだ。
以上の数値はすべて「例えば」の話としてなるべく分かりやすくしたつもりだが、公平なボーダーラインより1点低い得点層の受験生を選別しなければならない状況はご理解いただけただろうか。上記の数値でいけば、269点を取った受験生20人のうちから10人を選ばなければいけないのである。筆記試験の結果が同じなのだから、この選抜にはあらゆる恣意的な基準が適用される余地がある。東京医大においては男女だった。他にも家庭の資産状況、人種、家柄などどんな基準が適用されてもおかしくない。高校時代のクラブ活動やボランティア活動を面接で評価すればいいじゃないかと能天気な人は考えるかも知れないが、高校の担任や大学の面接官の前で平気な顔でシャアシャアと嘘をつくようなとんでもない人材を誤って採用してしまう可能性がある。
これが医学部入試の実情であるが、こうなったら私でも269点の受験生に対してはまず男女で選別する。それが家庭の資産状況や人種、家柄で選別するよりもはるかに合理的だからだ。ではどのように男女の基準を適用するかといえば、270点以上で合格した上位の受験生の男女比を考慮して、もし例年以上に男子合格者が多ければ269点の層からは女子を選び、女子合格者が多ければ269点の層からは男子を選ぶ。そうやって最終合格者の男女比をある程度一定にしておくことが医学部教育には必要なのだ。
医学部ばかりでなく、看護や臨床検査など医学系の大学は人体を学ぶために、学生同士が必然的にお互いの身体を使ってさまざまな実習をする。胸に聴診器を当てて心臓や肺の音を聴いたり、心電図の電極を装着したり、腹部を触診したり、というような実習である。まだ免許を取得していない学生のことだから、たとえ実習といえども男子学生が女子学生の胸や腹を触るわけにはいかない。男子同士、女子同士がペアになって、あるいはグループになって実習するわけだから、1学年のクラス内での男女比は年度ごとにあまりころころ変動しては困ることが多いのである。
これで医学部の実習における男女比は入学試験の段階である程度の調整が必要なこともお分かりいただけたと思うが、さて上位合格者の男女比をボーダーライン上の受験生の選別によって補正することになった場合、女子を優先的に選抜する状況よりは、男子を優先的に選抜せざるを得ない状況の方が圧倒的に多いのも事実である。日本の大学受験のような筆記試験を行うと、女子の方が真面目に勉強するので、医学部入試でも上位を独占してしまう。以前から医学部入試関係者の間では密かに語られていたことであって、一時男が頑張る時代が到来したかと思った時もあったが、やはり女性軍に盛り返されて医学部入試でも男子陣の旗色は悪いらしい。
そういうわけで東京医大でも入試の合否判定で最終的に男女比調整をするに当たって、男子を優先した年度が幾つもあったと私は推測している。もちろん以上のことは私だったらこうするという仮定の話であるが、東京医大の理事長が根っからガチガチの男尊女卑論者であったかのごとく報道する一部のマスコミよりはずっと理性的であろう。先ほども某国営放送のニュースで浪人生や女子の得点への“差別”を問題視していたが、こういう感情的な男女差別論が横行するようになると、日本が国際的な信用を落とすことになるし、また私大医学部における最大の問題である寄付金と裏口入学という論点をぼかしてしまう。さらに男女の適性が科学的に検討されることもないままに医師の男女比が変動していくことも考えられるだろう。医師の業務の中には、男性医師が得意な分野もあるし、女性医師の方が得意な分野もあるのだが、これはまだ医師同士が漠然と雑談程度に語り合っているだけであって、どういう男女比が国民にとって最も望ましいかは、まだまだ今後の課題なのである。
暑い!
今年(2018年)の夏はとにかく暑いです。6月中に早々と梅雨明けしたと思ったら、7月は連日のように物凄い猛暑が続きました。何でも今年は夏の太平洋高気圧に加えて、さらにその上からチベット高気圧までが覆い被さって、日本上空の高気圧が二重構造になっているから異常な暑さなんだそうです。
二重の高気圧が日本上空で威張っていたから異常な猛暑が続いたらしく、7月初めの頃は台風も日本列島にはなかなか接近できなかった、お陰で遠距離移動の予定なども台風や前線の悪天候による交通機関の乱れを心配せずに済んだので炎暑の晴天続きも我慢していたのですが、7月下旬に台風12号(Jongdari:ジョンダリ)が発生するや、この居丈高な高気圧どもは、まるで「どうぞどうぞ」と言わんばかりにあっさり台風に道を譲ってしまったのです。
高気圧どもが逃げたので、ジョンダリの野郎はとんでもない方向から日本列島に上陸、普通の台風とは逆に紀伊半島から瀬戸内を西進して九州方面に抜けるという信じられないようなへそ曲がりなコースを取ることになり、こいつらのせいで私たちの月末の予定はキャンセルの憂き目を見ました。台風12号も恨めしいが、あれだけさんざん威張り散らして酷暑をもたらしておきながら、肝心な時に台風に道を譲った高気圧どもには怒り心頭(笑)ですね。皆さんの職場にもいませんか、普段は横柄に威張り散らしているくせに、社長だとか会長だとか理事長だとか○○長だとかもっと偉い人の前ではへーコラしているイヤな上司…?
それはともかく(笑)、二重高気圧のせいで7月から8月上旬にかけては異常な暑さで、猛暑日や熱帯夜や日中最高気温などの記録が続々と塗り替えられました。摂氏40度を超える気温を記録した地方もありましたし、東京などでも連日35度超え、予想最高気温が37度38度などと言われてもちっとも驚かなくなりました。若い人たちには信じられないかと思いますが、私たちの世代が子供だった頃、盛夏の東京の気温は30度止まり、たまに31度とか32度とかいう日があると、異常な高温であるかのように感じたものです。これは私の記憶違いかと思って同世代の人にも訊ねると、やはり昔は30度を超える日は滅多になかったと言っています。予想最高気温32度という天気予報を聞いてホッとするような時代ではありませんでした。
毎日毎日暑いとこんなサイトの更新も億劫になります。私の頭脳もボーッとして何か考えるのもイヤになるというのもありますが、パソコンの起動にも制限がかかる。7月の中旬頃、自宅でパソコンの作業をしていたら突然ブワーンという今まで聞いたこともないような変な音がしてビックリしました。冷却用のファンが最大限に回転する音だったようですが、我が家は8年前にエアコン故障して以来、私もカミさんもほとんど冷房をかけない生活に順応しているのですね。パソコンの方が先に悲鳴を上げてしまいました。それで私はエアコンをかけないで耐えられる時間帯はパソコンも起動させず、したがってこのサイトの更新も停滞しがちというわけです。
ちなみに昨年初夏に我が家のエアコン復旧しましたが、たぶんエアコン無しのままだったら私はこの夏を越せなかったかも知れません。何しろ扇風機を回せば吹きつけるのは熱風ばかり、きっと熱中症で病院に運び込まれる羽目になっていたでしょう。そう言えば今年の夏はあちこちで救急車が停まっているのを見かける機会が多いように思います。ご近所でも数回見ています。全部が全部ではないでしょうが、今年は熱中症で救急搬送された患者さんの数も記録的だそうで、皆さんもお気をつけ下さい。
とにかく日本の夏は蒸し暑い。暑いというよりジメッとする。英語でもhotではなくてwetだそうです。先日ある職場の健診をしていたら従業員の中にエジプト人の青年がいらして、エジプトじゃ太陽の当たる場所では50度になるけど木陰は涼しい、それに空気が乾燥しているから日本よりもずっと過ごしやすいと、流暢な日本語で教えてくれました。
ところで健康な成人でも熱中症で倒れる恐れがある猛暑、今年の天気予報では「危険な暑さ」という表現が目立ち、この異常高温は自然災害と認識されているようです。そんな中でちょっとホッとするような良いニュースがありました。山口県の周防大島町で行方不明になった2歳の男児が3日ぶりに無事発見されたというニュース。祖父がちょっと目を離したすきに迷子になってしまい、連日最高気温が33度を超える炎天下の山中で、いくら何でも2歳児が独りで生き延びるのは困難だろうと絶望の色が濃くなっていた3日目に、ボランティア男性の捜索で発見され、無事に生還したという話です。
そのボランティア男性ですが、大分県からはるばる捜索に駆けつけて独りで山に入り、長年の勘を頼りにわずか30分ほどで迷子の子供を発見してしまったそうです。現在何と78歳というから驚きですね。ヘタすりゃご自分の方が捜索隊のお世話になってもおかしくない年齢なのに、平然と山に登って子供を見つけてしまう。さらにその後は今年豪雨災害に遭った広島県の方へボランティア活動に出かけられたそうですが、やはり自分の体力と気力を保つ努力をしなければ人を助けることもできないのだと改めて思い知らされました。
また独りぼっちで3日間も生き延びた2歳の坊やですが、確かに木陰や洞穴で直射日光を防げたり、夜間も冷え込むことがなかったなど偶然の幸運が重なったことは事実でしょうが、それにしても飲まず食わずで人間が3日間も元気な意識を保ったまま生存できるはずがありません。2歳児といえども人間に備わった生来の生存本能の力強さを感じますね。小児科などやっていると、何から何まで世話を焼いてやらなければ食事も満足にできそうもないように見える2歳児ですが、おそらく自然の生命力に導かれるままに水場を探して水を飲み、狩猟本能を発揮して食べられそうなものは何でも手に掴んで口に入れた、そうでもして体力を温存しなければボランティア男性の呼びかけに「ぼく、ここ」などと元気に答えられたとは思えません。まさに自然界の生き物の一員たる人間の力強さを見た思いです。
ちなみにこの2歳児が独りぼっちの山中で何を食べていたか。多くの方々は気味悪がられると思いますが、私の小学校から高校までの同級生だった友人がしょっちゅう語っていたことを思い出しました。その友人は赤ん坊の頃、自宅の庭に独りで置かれていた時に地面を這っていたある虫を食べたそうです。その虫の名前は敢えて書きませんが、周囲の大人たちが気付いて慌てて止めた時にはすでに半分くらい食べてしまったとのことでした。私も友人からそんな話を聞かされるたびに、何と気持ちの悪い話かと嫌悪感があったのですが、今回の2歳児生還のニュースを聞いてふと思い出しました。やはり人間というものは野生の生物としてこの世に生まれてきて、人類文明の中で成長していくにつれ次第に生命力を失っていくものなのかも知れません。
超人的なバンド
私は中学・高校時代、音楽部の吹奏楽班(ブラスバンド)では打楽器(パーカッション)を担当していたことは別のコーナーにも書きました。ちなみにパーカッション(percussion)という言葉はもともと2つの物体の衝突とか衝撃とか振動とかいう意味で、音楽では楽器を衝突させて音を出す打楽器のことですが、医学的には患者さんの胸や背中やお腹をポンポンと叩いて内部を探る打診法という診断を指します。
さて吹奏楽の花形と言えばマーチングバンド、管楽器や打楽器を演奏しながら整然と行進するのがとてもカッコイイ!昔は我が国の陸海空自衛隊や消防庁、警視庁などの音楽隊や各国軍楽隊が、国家的・地域的な行事や祭典で行進する映像がたまにニュース番組などに流れることがあるだけでしたが、ああ、俺たちもあんな演奏やってみたいな〜というのが当時の全国高校ブラスバンド部員たちの憧れではなかったでしょうか。しかし私の中学・高校時代の思い出では、体育祭の“仮装行列”で1回だけ、マーチングバンドの真似事みたいなことをしただけです。
ところが最近では自衛隊・警察・消防の音楽隊も顔負けのマーチングバンドを披露する高校が全国に幾つもあり、しかもその映像がYou
Tubeなどの動画サイトに見切れないくらいたくさん公開されている、私たちもこんなことやりたかったな、だけどあの頃の高校生じゃこんなことできないな(理由は後述)、と羨ましい限りです。先日徒然なるままにそういう高校吹奏楽のマーチングの映像を眺めていたら、どの高校もとても見事なのですが、中でも群を抜いて見応えのあるバンドを見つけてしまいました。その名は京都橘高校のグリーンバンド、興味のある方はぜひ動画を検索してみて下さい。
動画をご覧になれば分かるとおり、男子部員が隠し味程度の人数しかおらす(2000年まで女子校だったせいか)、圧倒的多数を占める女子部員がミニスカートの制服で行進する光景はルックス的にも他校のバンドを圧しているのですが、それだけでなく、彼女ら(彼ら)の演奏ぶりには実に驚嘆すべきものがあります。そうでなければ私もわざわざ女の子のルックスだけでこんな自分のサイトに取り上げたりしません(笑)。
彼女ら(彼ら)のバンドの名前はグリーンバンドですが、何故かユニフォームはオレンジ色、特に関西の高校吹奏楽界では『オレンジ色の悪魔』とか呼ばれているらしい。確かにあの演奏は悪魔ですね(笑)。マーチングバンドと言うからには、高校や大学のアマチュアだけでなくプロの音楽隊も含めて、演奏しながら行進して正確なフォーメーションを組み立てていく、その過程で前進と後退と横歩き、背の屈伸などの動作が整然と組み立てられてとても美しいのですが、京都橘高校のマーチングはそれにさらにダンスの要素が大きく加わる。つまり飛んだり跳ねたり、ほとんど水平まで脚を上げたり、高くスキップしたり、クルリと回転したり、管楽器奏者は楽器を90度近くも上下左右に揺らしたり、それをバンドの全員がシンクロして行なうのですね。こいつらそのうち楽器吹きながらバク転とか打つんじゃないかい(笑)。
これがどれほど難しいか、先ほど“悪魔の演奏”と言いましたが、楽器を吹いたことない方には少し分かりにくいかも知れません。トランペットやトロンボーンやチューバなどの金管楽器も、フルートやクラリネットやサックスなどの木管楽器も、原理としては楽器の管に口から息を吹き込んで振動させるわけですから、楽器の吹き込み孔と口唇の角度は非常に微妙なものがあります。ちょっとずれれば変な音が出たり、音程が狂ったりする、彼女ら(彼ら)はあんなに激しく身体を動かしながら、どうやって楽器と息の角度を正確に保っているんだろうか。
管楽器は椅子に座るか、直立するか、少なくとも両足でしっかり体重を支えた状態だからこそ、腹の底から息を吹き込んで(腹式呼吸という)楽器を自分の呼吸器と共鳴させることができると私は今まで信じていましたが、彼女ら(彼ら)は空中に飛び上がった時に音を出している瞬間がある、まさに悪魔ですね。橘高校吹奏楽の動画を見た或るチューバ奏者が、俺があんなことしたら絶対に前歯を折るねとコメントしていたのが印象的です。
じゃあ打楽器なら飛んだり跳ねたりできるかと言えば、確かに管楽器よりは音を出しやすいとは思いますが、身体と楽器の軸に対して上下・左右・前後の加速度が加わる状態で安定したリズムを刻むのは至難の技のはずです。特に私が驚いたのはこの写真中央の子(矢印)です。この姿勢、絶対に直立してませんね(笑)、しかも片足立ちですね(驚)。その姿勢で彼女は腰に装着したシロフォン(木琴)を叩いてますし、この子の隣にはグロッケンシュピール(鉄琴)を叩きながら同じように行進している子もいます。木琴や鉄琴はピアノの鍵盤のようになっていて(皆さんも小学校の音楽の時間に練習したと思います)、大雑把に引っくるめて鍵盤打楽器と言いますが、こんなに激しく身体を動かしながら叩けるものではないと、これも私はずっとそう固く信じてきました。しかし悪魔たちは簡単にやってのけてしまうんですね(驚)。
私は最近、ある鍵盤打楽器で冷や汗ものの体験をしました。癌治療学会という学会のアトラクションのコンサートでグロッケンシュピール(鉄琴)を演奏したのです。そちらにも書きましたが、医者のオーケストラは病理、脳外科、皮膚科、産婦人科、放射線科と5つくらいあって(医者は決してヒマなわけではありませんが…)、それらが合同でコンサートを開くというので、私も軽いノリで参加したわけです。まあ、5つもアマチュアオーケストラがあれば打楽器奏者は10人以上いるだろう、それならトライアングルか何かひっそりチーンと1発くらい鳴らしておいて、あとは打ち上げのビールで乾杯…と良からぬ魂胆でした。
ところが私に割り振られたのはチャイコフスキーのバレー『眠れる森の美女』(眠りの森の美女ともいう)の第1幕で演奏されるガーランドワルツのグロッケンシュピールでした。オーロラ姫の誕生日の祝宴に若者たちが踊るワルツで、この曲の中間部にグロッケンシュピールのソロがあるのですが、興味のある方はYou
Tubeで検索してお聴き下さい。たぶんディズニーアニメの『眠れる森の美女』を観たことある方なら、この曲のテーマは『いつか夢で』というナンバーとしてご存知かも知れません。
さて私は焦りましたね。グロッケンシュピールなどの鍵盤打楽器は小学校の音楽の時間で叩いた玩具の木琴以来、1回も演奏したことはない、そもそも昭和30〜40年代は、中学や高校のブラスバンドがそんな高価な楽器を買い揃えられる時代ではありませんでした。しかも小学校の音楽の木琴は普通のハ長調の曲しかやりませんが、オーケストラやブラスバンドの曲は管楽器に合わせて書かれるのでシャープ(♯)やフラット(♭)が付いている楽譜が大部分です。それでもト長調(♯1個)やヘ長調(♭1個)なら何とか対応できるのですが、ガーランドワルツはフラット(♭)が2個、ミとシの音は半音下げた鍵(ピアノの黒鍵の部分)を叩かなければいけない。おまけに忙しい医者の寄せ集めのオーケストラですから、本番直前に1日しか合同練習が無い(泣)。
結婚して初めてカミさんに真剣に教えを乞いましたね(笑)。自宅のピアノの前で、「そこフラット!」とか「またフラット落とした!」と怒られながら必死に練習しましたが、カミさんはけっこう教え方が上手なので、何とか一晩で曲のイメージを把握することができ、そして本番の日は朝から楽屋に詰めて実際の楽器を叩いて練習し、その晩の本番では何とかフラットを外すこともなく無事に演奏することができました。たぶんあれが私の鍵盤打楽器演奏の初体験だったと思った人は誰もいないと思います。
後であのオーケストラの人に、医者のオーケストラが4つも5つもありながら、何で私にあんな大事なグロッケンシュピールのソロが回ってくるほど打楽器奏者いなかったのと聞いたら、何と皆さん、プログラムに鍵盤打楽器があるから参加してくれなかったのだそうです。(それを先に言ってよ・苦笑)他に市民オーケストラから援軍で来られていた打楽器奏者の方(この方は他の曲で鍵盤打楽器叩いて頂いた)がいらっしゃいましたが、「鍵盤打楽器はイヤだねえ」とか「せいぜいシャープやフラットが1個までだねえ」とか「鍵盤と睨めっこだねえ、指揮者見てたら音を外すねえ」とか、すっかり意気投合してしまいました(笑)。
そんな大変な鍵盤打楽器を、あのオレンジ色の悪魔っ娘はニコニコ笑ってパレードしながら楽々と叩いているのです。それも校庭1周なんてもんじゃない、長い時は8キロ9キロという道のりを休まずに飛んだり跳ねたりしながら演奏しきるのです。ディズニーアニメ『リトル・マーメイド』の『アンダー・ザ・シー』のような軽快なテンポの曲もあるし、もちろんオーケストラとは編曲も違いますが『眠れる森の美女』の『いつか夢で』のような美しい曲もある、それらをすべて暗譜(楽譜を暗記)で、他の団員との一糸乱れぬステップやフォーメーションも崩さず、何でこんなことができるのかと驚くばかりですね。
では京都橘高校の吹奏楽部は、他の管楽器も含めてそんな神業パレードのできる天才的なプレイヤーを何十人も集めているのかと言えば、そんなことはないのですね。むしろ個々の演奏レベルは私たちの世代の高校生の方が上だったかも知れません。管楽器の音が割れたり、息がスカスカ漏れたり、そんなに激しいステップでもない箇所で1つのパートの音がまるまる消えたり…とあの子たちも人間らしい面(笑)を見せてくれます。
打楽器も、ああ、これは基本練習を十分やってないなという面が見られますね。例えば、スネアドラム(小太鼓)のロール打ち(連打)は2つ打ちという独特の打法を用いますが、これはスティック(バチ)を1回振り下ろした時に鼓面で1回バウンドさせて音を2つ出す技法です。これを連続すると、
タンタンタンタンが
タタタタタタタタと連続した音になり(バウンドさせた後の音はやや小さくなることに注意)、
さらにそれを裏面に張ったスネア(響き線)という金属線で響かせて切れ目を無くすわけですが、この2つ打ちをする時に両肘を張ってしまう子が何人かいる。つまりスティックをバウンドさせようと意識し過ぎて無理な力が入ってしまっているわけですが、これでは吹奏楽のスタンダードな行進曲ナンバーもきれいに叩けなくなってしまいます。
もう20年以上も昔のことになりますが、私の高校音楽部のOBが集まった時に、当時の現役部員たちの演奏について話題になったことがあります。
「最近の部員は教則本をほとんどやらないみたいなんだよな」
「俺たちはロングトーン(同じ音を安定して長く続ける訓練)とか音階練習とかさんざんやらされたけどね」
「教則本なんかやらなくてもあいつら演奏できちゃうんだよ」
最近の若い世代は下積みの基礎訓練をあまりやらなくてもノリでできてしまう。私たちの世代だって地味な基礎練習はイヤだったけど、半年や1年はこれをやり抜かなければ曲目は演奏できないんだという信念というか、信仰というか、強迫観念がありました。しかしずいぶん前の時期から、若い世代にはそういう呪縛がなくなったように思います。そう言えば2004年に矢口史靖監督が制作した映画『SWING
GIRLS(スウィングガールズ)』は、今や大女優になった上野樹里さんや貫地谷しほりさんら楽器演奏未経験の若手女優さんを集めて、本格的なジャズバンドで演奏できるまでを描いてますが、我々の世代であんな映画を作ろうとしたら、少なくとも3年はかかるんじゃないかと驚いたものでした。京都橘高校を取材したドキュメンタリー番組もネットに出てますが、4月に入部した新入生が、小中学校時代に多少経験はあるかも知れないが、1年生の初夏の頃にはもう何とかパレードができるまでになるそうです。
そんなことを言うと若い人たちも、俺たちだって、私たちだって辛い練習してるよと反論されると思いますが、先ほども書いたとおり、我々の世代には星飛雄馬のような血の滲む訓練に対する脅迫観念的な信仰があったのです。勉強然り、スポーツ然り、楽器演奏また然り、むしろ悲壮感さえ伴っていたと言っても良いでしょう。それが若い世代からは消えた。羨ましいような、ちょっと心配なような、京都橘高校のマーチングバンドの画像を見ながら、久し振りにふと考えてしまいました。
コンサート in 福島県相馬市
今年(2018年)9月16日の連休中日の日曜日、福島県相馬市でオーケストラのコンサートを開催しました。私が日本病理医フィルハーモニー(JPP)に加わっていることは別の記事にも書きましたが、東日本大震災で1年スタートが遅れて第1回演奏会を横浜で開いて以来、札幌、広島、名古屋、仙台、東京と6回の定期演奏会を、日本病理学会の春の総会が開かれる都市で開催してきました。しかし今年の第7回演奏会が開かれるはずだった札幌では、パートごとの小編成アンサンブルだけで終わってしまったので、全体の大編成オーケストラの演奏会を福島県相馬市で開こうということになったわけです。
なぜ福島県相馬市だったのか。相馬市もまた2011年の東日本大震災で大きな被害を受けました。私は震災直後から『子どもの心と身体の成長支援ネットワーク』という長い名前の団体に加わって、特に相馬市の子供たちが一日も早く震災で負った心の痛手から立ち直って貰うためのキャンプの付き添い医師として活動しています。その後、震災に襲われた熊本にも行きましたし、先日は未曾有の豪雨に見舞われた広島県にも行きました。
私は今でもこの団体の正式な構成や沿革を知らないのですが、主として関東近県のボーイスカウト、ガールスカウト、YMCAの皆さんや、愛育病院などの医師、看護師が寄り集まって、キャンプ活動やおもちゃの広場などの支援イベントを計画しています。幾らかの活動資金はあるようですが、基本的には自分の時間を割いて行なうボランティア活動です。ボランティア活動はそんな方が良いと私は思っていますが…。
2011年3月11日の東日本大震災直後、私もいろいろ悩みました。当時大学の教育職も定年まで5年を残すだけの還暦間近だった身としては、国難とも言える震災からの復興支援活動に飛び込みたいと思って、伝(つて)を頼りに都内の某NGO団体の事務所を訪ねたことがありました。国内外でけっこう幅広い支援活動を展開している団体でしたが、被災地で何かの役に立ちたいと言う私に対して、そこのチーフらしい女性はけんもほろろ、取りつく島もなかった。
「交通機関も動かなくてジープで現地に行くんですよ。」
「食事も自炊でテント生活ですよ。」
とにかく大変だから行かない方が身のためですよ、とおためごかしを言っているのが明らかです。しかしそれなりの覚悟を決めて、しかもわざわざ仲介者の紹介で事務所を訪れた人間に対して、大変だからお止めなさいとあまりにクドクド言うのは失礼ではないでしょうか。私がいつまでも引き下がらないので業を煮やした女チーフは、ついに思わずこういう活動をする者としての資質さえ疑わせる言葉を…!
「とにかく私たちでさえ何をして良いか分からないのです。」
この言葉に続くのは、「まして素人のあなたなんか役に立ちませんよ」ということでしょう。こんな非常時に何をしたら良いのか、最初から分かっている人間などいないはずです。だからこそ医療関係者だろうが、建築家だろうが、弁護士だろうが、経営コンサルタントだろうが、教育者だろうが、あらゆる道の専門家を集めて知恵を絞るべきだったのではないか。わざわざ医師の資格を持った者が訪ねて来ているのを何で無碍に追い返したがったのか、今も疑問に思っています。不謹慎な言い方をすれば、あの連中にとって被災地入りは、気心の知れた仲間と行く冒険旅行、だから見ず知らずのメンバーに加わって欲しくなかったというのが本音だったかもしれません。
私は怒りと失望を胸にその事務所を後にしましたが、その後愛育病院勤務の小児科時代の同級生に誘われて、こちらの活動に参加するようになりました。人のために何かしたいという気持ちさえあれば、『ボランティア』とか『支援活動』とかわざわざ大層な大義名分を掲げなくても、実質的な活動は発展・継続できるものなのですね。多くの人間はそういう助け合いの精神を生まれながらに持っているし、日本人はそういう気持ちが特に強い。明治年間のトルコ軍艦遭難の際に発揮された和歌山県の串本住民の救護活動はそれを物語っています。NGOなどと名乗っていても、そういう一般庶民の気持ちを結集させる能力の無い団体は、もっと勉強して努力して欲しいですね。
とにかくそういうわけで、私は2011年から主に相馬の子供たちのキャンプ支援を行なっている団体に加わって活動しているうちに、私がオーケストラの団員(今は団長兼任)であることを知った相馬の親御さんが、では相馬で演奏会を…という話がチョロッと出たという噂を聞いて、それでは第7回演奏会は相馬でやろうということになって、幾つかの紆余曲折を経ましたが、何とか実現に漕ぎ着けることができました。たくさんの方々のお世話になったことを厚く御礼申し上げます。
私がキャンプ支援活動に参加したのも、オーケストラの団員になったのも2011年、私にとって奇しくも7年の歳月の後に2つの活動が合体したイベントだったわけです。オーケストラ団員は病理医を中心とした忙しい医療関係者が多く、学会開催地ならば学会出席のポイントもありますが、仙台から常磐線で1時間近くもかかる相馬市ではそういう特典は何もありません。それでも多くの団員がこぞって演奏に参加してくれて、誰も文句を言うどころか、却って楽しい演奏会ができたと感謝してくれる、キャンプのメンバーも何人も駆けつけてくれて裏方の作業をテキパキと遂行してくれる、何しろボーイスカウトやガールスカウト経験者ですから、やることなすこと実にスマートに進行するわけですね。これには演奏会慣れしたオーケストラのメンバーも舌を巻くばかりでした。
私も去年定年退職しましたが、公的な地位を離れてなお、こういう信頼できる幾つものグループや団体の仲間たちに囲まれて活動できる幸運に対して、ただただ感謝するばかりです。この記事の最初に載せた写真は演奏会本番のアンコール曲、『ラジオ体操第一』のオーケストラバージョン(たぶん聴いたことある人はいません)で、手空きの楽団員も、賛助出演の相馬合唱団エスポワールの団員も、客席の聴衆も一体になって皆で体操しているところです。盛り上がりましたね(笑)。皆さん、ありがとうございました。
樹木の悲鳴
今年(2018年)の9月末に日本列島を直撃した台風24号は年間最大の勢力を持った台風と言われていますが、私の実感では今年最大なんてものじゃない、私が生まれて初めて体験するような凄まじい暴風を伴っていました。つまりこの半世紀以上の間で最大級の猛威をふるった台風ということです。
私も3年間浜松に住んだ以外は生まれてからずっと東京で暮らし、その間に何十個もの台風が頭上を通過して行きましたが、こんな凄いヤツは初めてです。沖縄・九州・四国の方々は毎年猛烈な台風を経験されていると思いますが、東日本に住んでいると、どうしても台風という自然災害を甘く見てしまう。だいたい東京あたりまでやって来ると台風も息切れするのか、いつもより強い雨や風だな…という程度で済んでしまうからなのですが、今回の台風24号では本来の恐ろしさを痛感させられました。家が暴風でグラグラ揺れましたし、台風が通過した翌朝には近所の路上に10キロほども重量のある電柱の部品が落下していました。これに頭部を直撃されていたらお陀仏でしたね(恐)。
2018年の台風24号はチャーミーという名前だそうです。何がチャーミーだよって感じですが…(笑)。2000年(平成12年)から太平洋北西部から南シナ海付近で発生する台風には、この地域で用いられている固有の名前が付けられることになったそうで、加盟国から提案された140個の名称が準備されていて、順次使い回しされていくらしい。2000年の台風1号が栄えある最初の名前を貰って、これがカンボジアが提案した『ダムレイ』、象の意味だそうです。それで2018年の台風24号はベトナムの提案した『チャーミー』というわけ。花の名前だそうですが、何でこんな可愛い名前を付けるの?
ちなみに日本が提案した名前も140個の中に含まれていて、『コグマ』とか『ヤギ』とか『テンビン』とか星座の名前だそうですが、『コンパス』とか『トカゲ』とか『ハト』とかマイナーな星座も多く、どうせ星座名を付けるなら『オトメ(乙女)』を提案して欲しかったと思います。「乙女は猛烈な勢力を保ったまま首都圏に上陸…」なんて言われれば、少しは台風情報を聞く楽しみもあるというもので…(笑)。
さて『チャーミー』が暴れ狂った東京は大変なことになっていました。 あちこちの公園などで大きな木が何本も倒されていて、2週間経ってもなかなか後片付けが済んでいない。この写真の上段の2枚は世田谷区の砧公園、左は公園のすぐ外を走る道路の街路樹ですが、右は公園中央の広場です。見事に根本からへし折られてますね。別に幹の内部が腐食して空洞化していたわけではなく、年輪を数えると樹齢もせいぜい70〜80年前後、樹木としては壮年期のように思えました。
下段は練馬区の光が丘公園、これも左の写真は幹も充実した頑丈な樹木が根本からへし折られてます。しかしちょっと気になるのは右の写真。2本の樹木がまとめて根こそぎ押し倒されてますが、この掘り返されて高々と持ち上げられた根っこの部分がかなり小さい。普通は暴風で倒される樹木というものは、しっかりと地面に根っこを張って、風圧に耐えて、耐えて、耐えて、最後まで踏ん張ってそれでも耐えきれなくなって幹が裂けて倒れると思うのですが、この2本の木は根っこがあっさり降参してしまって風圧に抵抗することもなく倒れたのでしょう、幹はほとんど傷ついていません。
私は樹木の専門家でないからよく分からないのですが、この2本の木はかなり大きくなってからこの場所に移植されたのではないかと思います。しかも移植される時に根っこを切り落とされてコンパクトに縮められてしまった、その方が移植作業の手間が簡単ですからね。たぶんこの場所に元々生えていた木が何らかの理由で枯れてしまったので、別の木を植えることになったが、若木のうちから植えておいて成長を待つよりも、手っ取り早く元の木と同じくらいのサイズの木をどこかから持って来ようとした。しかし元の木と同じくらいの木は根っこも頑丈に地面に張っているから、適当に切り揃えて手軽な大きさにしてから植えた。私はそういう手抜きをしたんじゃないかと疑いますね。光が丘公園にはもう1ヶ所、同じように2本の木がまとめて根こそぎ押し倒された場所がありましたし、砧公園の環状8号線側正面入口の木もやはり根っこが剥き出しにされて倒れていました。やはり木も人間と同じで、基礎をしっかりやっていないと試練に十分耐えられないということでしょうか。
それはともかく、東京の大きな樹木が倒れるような暴風は私の記憶にありません。幹も弱った老木が1本くらい倒れたということはあったかも知れませんが、首都圏各地でこうまで多くの樹木が見るも無惨に幹を割られて倒れるようなことは絶対に無かった。倒れた木があまりにも多すぎて、台風通過後2週間以上経った時点でもなお後片付けの終わっていないものが何本もあります。その後、埼玉県新座市の平林寺にも行きましたが、武蔵野の面影を色濃く残す境内の森林でも幹が裂けて倒れている巨木が何本かありました。とにかくチャーミーはまれに見る強烈な台風だったことは確かです。
地球の温暖化によって日本列島も温帯気候から亜熱帯気候に近づいていると言われる現在、チャーミー以上の台風が今後も次から次へと来襲することも予測しなければいけません。首都圏の住民はこれまであまりにも台風の脅威を軽く見ている傾向がありました。台風で樹木が倒れる、重量物が落下してくる、家の屋根が飛ぶ、そんなことは九州や四国など南国の出来事だろうくらいにしか考えていませんでしたが、これからは台風も命がけで対処すべき災害であることを再認識しなければいけない、チャーミーはそれを警告してくれたわけです。
それにしても根こそぎ掘り返された樹木が、もし本当に根っこをコンパクトに切り揃えられて別の場所から移植されたものだったとすれば、それこそ首都圏の公園管理者がやはり台風を甘く見ていたとしか思えませんね。若木のうちから何十年もかけてしっかり根を張らせて成長させなければいけないのに、お手軽な即席の植樹で見てくれだけ立派な木立を作った、非常に危険なことだと思います。
人間の教育も同じ、医学部教育でも高校の生物学というきわめてコンパクトな根っこの上に、最新の分子生物学的な知見を駆使した壮大な臨床医学体系が花を咲かせている、患者さんの身体に起きる事態を予測できる能力を備えた医師は少ないかも知れません。さらに若者のうちから高度な科学に対応できる人材を、というキャッチフレーズで一時かなり脚光を浴びたスーパー・サイエンス・ハイスクールも、その高校の生物学さえ十分に消化しきれていない10歳代の高校生に、理科系の大学院生がやるような課題を与えて成果を発表させ、日本の科学研究の土台を作っているかのように宣伝している、そんな促成栽培の人材が科学の世界の風を受けて活躍できるとは思えません。
ご同輩へ!老いの姿見
私も昨年(2017年)3月に定年退職して、現在は健診事業や病理診断業務に不定期に関わらせて頂いたり、被災地のボランティア活動をしたり、医者のオーケストラに参加したりしていて、こう書くといかにも多方面に活動しているように見えますが、若い頃のように「俺がやらなくて誰がやる」と意気軒昂に振る舞っているわけではありません。まだ自分のような者でもお役に立てるなら、少しは若い人たちのお手伝いをさせて頂くというくらいのつもりですね。
この年齢になると身につまされて思い出す狂歌があります。根岸鎮衛(ねぎしやすもり)という江戸町奉行だった人(1737〜1815)が著した『耳嚢(耳袋みみぶくろ)』という随筆集に、『老人へ教訓の歌の事』と題して、横井孫右衛門(横井也有よこいやゆう)という尾張藩士(1702〜1783)の詠んだ7首の狂歌を紹介する一文があるのですが、それが何とも現在の自分や、自分の周りにいらっしゃるご同輩の方々にぴったり当てはまって、ハッとしたりクスッと笑ったり…。とりあえず横井孫右衛門(也有)の狂歌7首をどうそ。
皺はよる ほくろはできる背はかがむ
あたまははげる 毛は白うなる
手は震ふ 足はよろつく歯はぬける
耳は聞こえず目はうとくなる
よだたらす 目しるはたえず鼻たらす
とりはづしては小便もるる
またしても 同じ噂に孫自慢
達者自慢に若きしゃれ言
くどふなる 気短になる愚痴になる
思い付くことみな古うなる
身に添ふは 頭巾 襟巻き 杖 眼鏡
たんぽ 温石 しゅびん 孫の手
聞きたがる 死にともながる淋しがる
出しゃばりたがる世話やきたがる
いかがですか。ネット上の出典ではいろいろ細かい違いもあるのですが、私も原文を読んでいないのでこれでご勘弁下さい。大筋の意味は変わらないと思いますので。
根岸鎮衛は知り合いの望月老人が持って来た横井孫右衛門の狂歌があまりに面白かったので書き写しておいたと書いていて、7首それぞれに簡単な注釈を付けています。
(1)シワが寄ってシミやホクロができ、背中は曲がって禿げや白髪になる…これ、人の見苦しきを知るべし
これは身体所見の避けられない老化だと思うのですが、鎮衛は見苦しいと手厳しいですね。しかし確かに若い頃の溌剌とした容貌が失せたことは自覚しなければいけません。そう言えば先日、コンサート会場が満員にならなかったからとヘソを曲げて、それでも何千人ものファンがチケットを買って来てくれているのにコンサートをドタキャンした馬鹿な70歳の芸能人がいましたが、記事に付いていた写真を見て驚きましたね。グループサウンズなどやっていた全盛期の容姿からは想像もできないほどの、ただの“見苦しい”クソ爺でした。やはり容色が失せたことを自覚しないから、そんな自分にもチケットを買ってくれるファンへの感謝の気持ちもなく、ああいう醜態を演じたんでしょうね。
(2)手足の動きも覚束なくなり、視力や聴力も衰えてくる…これ、人の数ならずを知るべし
これも身体機能の避けられない老化現象ですが、鎮衛はもう役に立たないと切り捨てています。これも手厳しいと思いますが、最近もよく話題になっている老人の運転する自動車の事故、やはり身体機能の低下する老境に至ったならば、ある時点できっぱり止める決断も必要かと思います。手足の筋力や視力・聴力だけの問題でなく、自覚はなくとも咄嗟の判断力や反射機能は必ず衰えていることを知るべきです。まだまだ大丈夫と自惚れて運転しているうちに、事故を起こして若い人を巻き込んでしまってからでは遅いのです。人の数ならず…どころでは済まなくなります。
(3)涎(よだれ)を垂れ流し、目ヤニ鼻水どころか尿失禁まで…これ、人のむさがるところを知るべし
まだまだ私も、こんなサイトを読んで下さるご同輩諸君も、この域には達していないと思いますが(笑)、大きな病気や事故で死なない限りは、いずれは誰もがこうなるはずです。こうなった時の自分の未来の姿を今のうちから想像しておくのも悪いことではないかも知れません。最近私は老人介護施設の職員健診なども行きますが、そういう施設の介護士さん、看護師さんたちが本当によく老人たちのお世話しているのを見て感動しています。仕事柄と割り切っていらっしゃるのかも知れませんが、いくら仕事でも優しさのない人にはできないことだと思います。いずれ自分もそういうお世話になることを思えば若い世代への感謝を忘れてはいけません。
(4)その話は聞き飽きたよ、また同じ自慢話かよ、自分は元気だと威張って若ぶった言葉使ってみせちゃったり…
これ、人のかたはらいたく聞きにくきを知るべし
確かに聞かされる相手の身になってみれば、みっともないことです。前に同じ人に同じ話をしたことを忘れてしまうことも多いのですが、話し相手を喜ばせるような話題が少なくなるのも大きな原因ですね。この人はどういう話に興味や関心を持ってくれるだろうと、相手の気持ちを察する訓練は若い時にも必要ですが、年を取ってからはさらに大事だということを改めて感じる今日この頃です。
(5)話はくどいし、すぐ怒るし、文句をいう、大した考えもできないくせに…これ、人のあざけりを知るべし
これも精神的な老化現象と言ってしまえばそれまでですが、周囲の若い人たちにとってはウンザリすることでしょう。若い人たちは目の前ではハイ、ハイと言って従ってくれてるように見えますが、心の中では「本当にもう○○さんは」とバカにしてますよ。かつて自分が物分かりの悪い年長者をバカにしてたみたいに…。
(6)寒くなると毛糸の帽子に襟巻きを着込み、内ポケットにホカロン入れて、パンツの中には尿漏れパッド…かかる身の上をわきまえずして、以下(7)へ。
(7)もうお迎えが来てもいいとも考えずに、独りでいるのが寂しいから若い人たちの会話に首を突っ込みたがる、何かのイベントがあればしゃしゃり出て来て、俺が俺がと仕切りたがる…これを、げに姿見として、己が老いたるほどを顧み、たしなみてよろし。とにかく年を取ると何だかんだと若い人たちの仲間に加えて貰いたくなる気持ちは、今になるとよく分かります。しかし何から何まで年長者に出しゃばられては若い世代は迷惑なのです。それは年長者自身がよ〜くご承知のことではないのですか。
特に男性は年を取ったら、若い人たちに相手して貰わなくても独りで楽しめなければいけないと、何かのテレビ番組で言っていたのを覚えています。それを自分が寂しいばかりに若い人たちを呼び出して付き合わせ、いつまでも放さない、便器にこびり付いたウ○コみたいに職場や組織の一角にいつまでもへばり付いている、そんな先輩や同輩を眺めていると、いつもこの横井孫右衛門の狂歌が頭に浮かんでしまいます。
根岸鎮衛は横井孫右衛門の狂歌を紹介した最後に、然らば何をか苦しからずとして許すぞ、つまり老人は何をしていれば良いかということについて、自分でも1首つけ加えています。
宵寝 朝寝 昼寝 物ぐさ 物忘れ
それこそよけれ世に立たぬ身は
要するにもう若い人に任せておいた方が良いんだから、一日中寝ていて面倒な事は忘れてしまおうじゃないかと(笑)。賛成ですね。若い人たちも困った時だけ老人頼みするのではなく、自分たちの力で困難を克服していく気概を忘れないで欲しいです。そうしないと日本の国はどんどんダメになっていくような気がする。
補遺
これがネット頼みの悪いところですね。しばらくまたネットを見ていたら仙腰a尚(1750〜1837)という人のことが出ていました。臨済宗の僧侶で美濃国の生まれだそうです。この人の禅画も大変素晴らしくて人気があり、また自分の死に際して僧侶の身でありながら、「まだ死にとうない」と言って弟子たちを慌てさせたことも有名ですが、この坊さんが詠んだとされる『老人六歌仙』という狂歌が紹介されていました。
しわがよる ほくろができる腰まがる
頭ははげる ひげ白くなる
手は振れる 足はよろつく 歯は抜ける
耳は聞こえず 目はうとくなる
身に添うは 頭巾 襟巻 杖 眼鏡
たんぽ 温石 しびん 孫の手
聞きたがる 死にとむながる 寂しがる
心は曲がる 慾ふかくなる
くどくなる 気短になる 愚痴になる
出しゃばりたがる 世話やきたがる
またしても 同じ話に子を誉める
達者自慢に人は嫌がる
まあ、生年と没年を比べると、根岸鎮衛よりもさらに13歳若い仙腰a尚の所にも、横井也有の狂歌が誰かの手で届けられたのだと思います。江戸の根岸鎮衛はそれを『耳嚢』という随筆集に記したが、仙腰a尚の方は博多の寺で多少のバリエーションを加えて信者たちへの講話のネタとして使い、それが誤って和尚自身の作として後世に伝わってしまった。著作権とか知的財産とかうるさい時代ではなかったのでそれはどうでも良いことですが、横井也有の狂歌はあの時代にそれほど日本全国に広まった一大ベストセラーだったというわけですね。
しかしこういう話を面白いと思ったら、ネットだけの情報源で満足していてはいけません。必ず原典に当たってもっといろいろな事を調べる習慣を身につけなければいけません。
自ら動く車
何だか今年(2018年)はまだ11月のうちから除夜の鐘でもあるまいに、ゴーン、ゴーンと鐘の音のような人の名前が鳴り響いてますね。ルノー、日産、三菱自動車の提携グループの総帥、カルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕されて世界中に衝撃が走ったのが11月19日、その後ただちに日産自動車も三菱自動車もゴーン会長を解任したと報じられました。
ルノー・日産・三菱といえば世界第二位の自動車産業グループ、その総帥が逮捕された裏には、一般に報じられないさまざまな事情があると思います。かつては深刻な経営危機に陥っていた日産自動車を、きわめて短期間に立ち直らせた手腕は評価されるべきでしょうし、それは日産自動車も恩義に感じていると思いますが、ルノーの筆頭株主でもあるフランス政府がゴーン氏の会長任期を延長して、どうも日産自動車をルノーに吸収合併しようと画策しているとのことで日産側に危機感が募っているらしい。フランス側のマスコミではこれは日本人の陰謀によるクーデターだとする論調もあるようだし、日本側は日本側で国営放送NHKが世界各地にあるゴーン氏の住宅購入資金の出所を暴くような特集も組んでいる。
たぶん近いうちにこの事件は日仏間の国際問題になるんじゃないかと思いますが、そういうことは今回は置いておいて、もう一つの論調として、100年に一度の自動車業界変革期に、世界第二位のグループがこんな内紛を抱えていては業界の趨勢に立ち後れることになるという懸念が強調されています。その100年に一度の大変革とは、どうもコンピューターによる画像解析や、全地球測位システム(GPS)のサポートによって、人間が運転しなくても自動車に内蔵されたメカニズムが自動的に目的地まで安全確実に走行してくれる、そんな新世代の自動車の開発と販売の時代が間もなく到来することのようです。
蒸気機関やガソリンエンジンを搭載した初期の自動車が発明されて以降、約150年の時を経て自動車はやっと自動車になった(笑)。そもそも“自動車”という日本語はちょっと変ですね。自動車とは文字通り解釈すれば“自ら動く車”、しかし人間が運転しなければ動かないわけですから“人動車”と呼ぶべきか。まあ、牛や馬が引っ張らなくても動く車という意味で“自動車”と呼ぶのでしょうが、その意味では“自転車”も“自ら転がる車”、これも下り勾配の坂道だけですね(笑)。
そういう屁理屈はともかく、間もなく本物の“自動車”の時代がやって来るわけですが、それは人間にとって幸せな時代なのか?大いに疑問です。確かに交通事故は激減し、身体の不自由な人でも手軽に移動や旅行ができるようになる、それはとても素晴らしいことで、誰も否定しようがありませんが、我々はそれと引き換えに何を失うことになるかも十分見据えておかなければいけません。すべてがバラ色の未来を意味しているわけではないのですから。
ずいぶん昔に上げた記事の中で紹介した星新一さんか誰かのショート・ショート・ストーリーに登場するような未来カーが、いよいよ現実の世界にも登場する日が近いのです。搭載したコンピューターに目的地をインプットすれば、あとは運転者が何もしなくても自動的に安全確実に走って行ってくれる自動車。そうするとまず現行の道路交通法は完全に形骸化してしまいます。運転という行為の定義が変わってしまうのですから、万々一その自動車が交通事故を起こした場合は誰の責任になるのか。運転者は目的地をインプットしただけですから、責任を問われようがない。コンピューターの不具合ならば自動車を製造した会社の責任になるし、GPS等の自動誘導システムの障害ならばそれらの管理者の責任になる。これは当然ですね。そうすると運転者はコンピューターに目的地をインプットした後は車内で飲酒していても良いのか。飲酒運転や酒気帯び運転という禁止事項も意味が無くなります。
これは分かりやすい事項ですからこれくらいにしておいて、では近代的な都市部から辺鄙な砂漠や山岳地帯に至るすべての地球上で自動運転システムが完備した社会では、大量の失業者が発生することにお気付きでしたか。バスやタクシーやトラックの運転手さんの仕事は確実に減少するでしょう。そういう社会では鉄道の運転も自動化されるでしょうから(実際に現在大都市に存在する新交通システムなどは自動運転している)、鉄道の運転士や車掌や駅員の業務も激減するはずです。交通現場の運転に携わっていた人たちに新しい雇用を供給できるのか。もし十分な新しい雇用を促進できなければ貧困と治安が悪化する恐れがあります。交通や物流が完全に自動化された社会には、次にどのような魅力的な仕事の需要が生まれるのか、それを考えずに安易に自動運転システムへの讃美だけが先走っているような気がしますね。
しかし私が最も危惧しているのは、人類の知能と英知が作り上げたこういうシステムへの依存が、結局は人類の進化の終着駅を暗示しているのではないかということです。ある意味で恐竜の絶滅と同じ道を辿っていると言ってもよい。恐竜は身体を巨大化させることで他の種族を圧倒して地上の王者になりましたが、それは環境の変化に適応する能力と引き換えに手に入れた王座だったのです。その巨体では隕石の衝突で寒冷化した地球に適応することができず、小型の哺乳類に繁栄の座を譲らざるを得なくなってしまったわけですね。
人類もその巨大な頭脳から次々に産み出される文明の利器によって他の種族を圧倒して地上の王座に君臨しています。しかしワープロに依存するようになって人類は自ら発明した文字を手書きする必要もなくなってアルファベットの筆記体を書く能力を喪失しつつある、漢字圏の我々だって誤変換を繰り返しながら漢字はワープロの変換機能に任せっきりになっている、もし何らかの事情でワープロを動かせない時代になったら、我々は文字通り“言葉を失う”でしょう。
人間同士のコミュニケーションも電子メールやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に依存する比率が高まっています。もしこれらのプロバイダーの機能が障害を受ける事態になったら、我々の文明社会は個人個人が分断されかねません。光瀬龍さんが『ソロモン1942年』という小説の中でこの極限状態のパニックを予言しています。
最近の自動車は優秀なカーナビゲーターが搭載されていて、出発前に目的地をインプットしてやれば、右へ曲がれ、左へ曲がれと音声ガイド付きでドライブをサポートしてくれる、もうカーナビ無しでは運転できないという方もいらっしゃるようですが、自動運転装置はこれがさらに進化して、自動車がまるで命令に従う意志を持っているかのように自動的に走ってくれるわけです。確実に自動車の運転技能は人類社会から失われますね。隕石の衝突などとは言わないまでも、太陽活動がちょっと活発になって地球を磁気嵐のような現象が襲い、もしGPSがダウンするような事態が発生した場合、人類は生き残れるのでしょうか。そんな非常事態が永続しなくとも、たとえ1日か2日システムが故障しただけでも、高度な人類文明は危殆に瀕することになります。自動運転システムを讃美する開発者の方々はそんな事態の可能性も少しは考えていてくれてるのでしょうか?
紙々の嘆き
皆さんにお聞きしますが、神と髪と紙のうち無くても大丈夫なのはどれですか。まあ、この科学の世の中に神様が実在すると本当に信じている人はそんなにいないとは思います。信仰は不可欠だとおっしゃる方は確かに多いと思いますが、信じる者だけが神の国に行ける、信じない者は地獄へ落ちると、オウムも真っ青な恐怖による洗脳(洗礼)を幼児期から繰り返して、自分たちから見て異端の民族への略奪、迫害、抹殺ばかりか、魔女狩りと称して罪も無い同胞までを大量に殺戮してきた歴史さえも反省しないような、神だか悪魔だか分からない絶対者への信仰など言語道断、早く悔い改めて欲しいですね。
次に髪ですが、頭髪が失われることは世界中の男性にとってほぼ共通の恐怖だそうです。「あなたにとって恐いものは何ですか」というアンケートを実施すると、多くの国で戦争や病気と並んで必ず上位に入るんだそうですね。しかし男性にとっては“ハゲ”など気持ちの持ち方ひとつで、いくらでも明るく(笑)生きられます。まあ、外側だけピカピカ光っているだけの人もいますが、ハゲていても内側からの輝きを感じさせるような品格とか知性を持った男性の魅力は本当に素晴らしい。
ただし抗がん剤治療などで髪を失った女性にとっては話は別かも知れませんね。まさに生命と引き換えに“女の命”とも言われる髪を失うのですから、その悲しみは男の私には分かりません。女性の髪の悩みを救った蝉丸公を祀った神社が東京北区の王子にありますので、共感される方はぜひご参拝下さい。
神や髪以上に私たちの生活に不可欠な必需品はやはり紙ですか。ちょっと見回しただけでも紙(ペーパー)を使った物は必ず目に入ります。紙が無かったら現代の人類文明は成り立ちません。ペーパー(paper)の語源になったとされる古代エジプトのパピルスですが、カヤツリグサの地下茎の繊維から製造するもので、当時はもちろん貴重品だったはず、しかし紙の発明がなければ歴史や科学上の発見を記載することもできず、絵画も音符も残すことができず、人類の文明は口述のみで伝えられるわずかな成果に頼るしかなかったはずです。コンピュータ全盛の世の中になって、電子媒体に記録するいわゆる“ペーパーレス”の時代になってもなお、紙の需要が減ることはありません。
「すべての紙は書物になりたかった」という格言をどこかで読んで記憶に残っています。やはり紙一族にとって最高の出世は書籍になることですか。それも漫画週刊誌やエログロ雑誌の類ではなく、立派な装丁の書物ですね。牛乳パックからトイレットペーパーにされて汚水の泡と消える運命になった紙々の嘆きが聞こえてくるようです。私は職場のテーブルなどにお茶をこぼした人たちが無造作にティッシュペーパーを何枚も箱からつまみ出して、サッと液体を拭き取った後は情け容赦なくゴミ箱にポイするのを見ると、いつも心が痛みます。紙の原料は現在でも大部分が植物繊維ですが、パルプの原料として切り倒された樹木の恨みが聞こえてきませんか。
さて紙として最高の栄誉に輝いた書物、それもアカデミックな内容が記された立派な専門書ですが、私にとってはまさに悲劇と言ってもよい“事件”がありました。東京練馬区にある我が家の半地下式のガレージが時ならぬ豪雨で水没したことは別のコーナーに書きましたが、ちょうど定年退職の直後だったため、それまで大学のオフィスに置いてあった大量の医学専門書が運悪く段ボール詰めのまま一時的にガレージに積み上げられており、下段に積んであった大半の書籍が水没してしまいました。
高級紙で製本された専門書も、普通の紙でできた専門雑誌も、紙というヤツはいったん水を含んでしまうと、いくら後から乾燥させてもゴワゴワになってしまってページが互いに癒着してしまうものもある。ただでさえズッシリと重量感のある紙の束が2倍以上の重さになってしまうのですね。今後の自分が専門家としてこれらの書籍を必要とする期間もそう長くないということで、泣く泣く廃棄処分としましたが、やはりショックでした。1年半以上経ってやっとこのサイトにも上げる気になったわけですから…(涙)。
大切な書物を1ヶ月以上もガレージに保管していた自分の迂闊さ、悠長さを責めましたね。太平洋戦争中、フィリピンやトラック島で何の防備もしないまま敵襲を受けて貴重な航空機や軍需物資をむざむざ焼かれてしまった日本海軍の無策を、そういう教訓を何度も読んでいながら自分も同じ轍を踏んでしまったのが何とも情けなかった。
江戸時代の儒学者、林羅山(1583〜1657)は明暦の大火(振袖火事)で自宅が全焼して蔵書の大半も焼けてしまったことにショックを受け、その4日後に亡くなってしまったと伝えられていますが、しかし私はそんなことでいちいち死んでいるわけにはいきません(笑)。書物というものは積んでおくだけでは何の役にも立たないのです。昔から読書の方法として黙読(もくどく)とか音読(おんどく)と並んで積ん読(つんどく)というのがありますが、本というものは紙の媒体に記された内容こそが命なのですね。幸い小児科医時代、病理医時代、臨床検査学科の教員時代を通じて、1人の人間の頭脳が墓場まで持っていける程度の知識量はすでにこれらの専門書・専門雑誌から取り出してありましたから、水没した書籍たちは以て瞑すべし、残りはあの世に行ってから読むからねとお別れしました。
ここは病理医の独り言の第14巻です 第13巻へ戻る 第15巻へ進む
トップページに戻る 病理医の独り言の目次に戻る