かけがえのない地球
私がまだ大学に入学して2年目の1972年(昭和47年)に出版された『かけがえのない地球:人類が生き残るための戦い』という本があった。原題は“ONLY
ONE EARTH: The Care and Maintenane of a small planet”といい、バーバラ・ウォードという経済学者と、ルネ・デュボスという細菌学者の共著、その年に初めて国際的に開催された地球環境を議論する国連人間環境会議(通称ストックホルム会議)の論点などを一般向けに啓蒙する書籍だった。
都市化や工業化を伴った人類文明がデリケートな地球環境を傷つけでいくことを初めて国際問題として取り上げ、エネルギー問題、人口問題、食糧問題など多方面からの検討を加えており、多くの人々がこのままでは地球も人類もヤバイと薄々感じ始める時代の先駆けとなった書籍でもある。ただし出版以来もう半世紀近くも経ていて私も内容まで詳細に覚えているわけではなく、この本の表紙の画像もAmazonの古書オークションにやっと1枚見つけただけだった。かなりレアな古本ということだ。
当時は私も高校を卒業して医学部進学課程2年生に進級したばかり、このままでは医者になっても人類の命脈を看取ることにさえなりかねないという危機感を持って読み進んだものだったが、あの焦燥に満ちた危機感と、大学教育を受ける人間として何とかしなければいけないという使命感はどこへ行ったのか。
考えてみれば、現在の21世紀の世界で政治や経済や産業をリードしているメンバーの中には、地球環境危機が叫ばれ始めたあの時代に私と同じように青年時代を過ごした者も多いはずである。それなのに海洋や大気を汚染し、二酸化炭素排出の負荷をかけ続け、食糧消費の偏在化に拍車をかけるような人類の文明活動をいっそう加速させるような決定を止めようとしない。
最近では頻繁に開催されるようになった地球環境に関する国際会議では、各国首脳とも一応もっともらしい数値目標を掲げてみせたりはするし、大企業は自社製品がいかに“環境にやさしい”かをCMでアピールしたりもするが、かつて青年時代に気付かされたはずの「かけがえのない地球」=「宇宙船地球号」の危機に、真剣に向き合っていると思えるほどのレベルではない。そういう大人世代、つまり1970年代の若者世代の偽善を、現在の若者世代は鋭く見抜いており、現在18歳のスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんをはじめとして世界各地で声を上げている。
彼らもまた半世紀後には狡猾な大人になれる世界がこれからもずっと続いてくれることを心から願うが、はたして地球環境はこれまでどおり騙し騙しでもうまく作動してくれるかどうか。『かけがえのない地球』が出版された時代以降、ノストラダムスの大予言とかピラミッドやマヤ暦の終末予言など数多のバカバカしい人類滅亡予言の類は別としても、それなりの科学的根拠(エビデンス)に基づいた文明終末予測は幾つかあった。例えば○○年までに二酸化炭素排出を○%以下に規制しなければ地球の温暖化は二度と元に戻せなくなり、陸地の○%が海面下に沈む…というようなものである。
しかし2021年現在のところ“まだ”そうはなっていない。そうなると人間の心には気の緩みや油断が生じてしまうのは仕方ないのだろう。昭和の御世からずっと警告されてきた首都圏直下大震災も“まだ”起こっていない。新型コロナウィルスも“まだ”感染していない人の方が圧倒的に多い(抗体を持つ日本国民は1%未満だそうだ)。しかしだからと言って、大震災が今日にも首都圏を襲うかも知れない、今日の会食の相手はたまたま不顕性の新型コロナ感染者で、不運にもその人から感染してしまうかも知れない、その可能性は常にあるのだ。
人間にはそういう都合の悪い情報を無視または過小評価して、悪いことや困ったことは「まだ起こらない」「今回は起こらない」「自分には起こらない」と軽視してしまう“正常性バイアス”という心理学的特性がある。おそらくかけがえのない地球環境が致命的なダメージを受けてしまう事態の予測についても、全人類的規模あるいは文明的規模で“正常性バイアス”が働いてしまっているのだろう。1970年代から人類文明の恩恵を受けてきた身としてはそれを痛感する。
最近よく耳にする言葉にSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)というのがある。限りある宇宙船地球号の中で全人類が今後も安定した発展を続けていくためには、もはや環境問題だけではなく、さまざまな課題を同時に解決しながら進まなければいけない。その多様な課題を17個の大きな目標にまとめたものがSDGsであり、2015年の国連サミットで採択、2030年までに達成するということになっている。2030年までに達成できない場合には今度こそ本当に地球は困難な状況になってしまうと言われているが、1970年代を経験してきた大人世代には「ああ、またか」で終わってしまう恐れもあるので、この際それは言わない。
SDGsには具体的な169個の方策も示されているが、とりあえず17個の大きな目標とは次のようなものである。
【社会問題】
01)貧困をなくそう
02)飢餓をゼロに
03)すべての人に健康と福祉を
04)質の高い教育をすべての人に
05)ジェンダー平等を実現しよう
06)安全なトイレと水を世界中に
【経済産業問題】
07)エネルギーをみんなに そしてクリーンに
08)働きがいも経済成長も
09)産業と技術革新の基盤を作ろう
10)人や国の不平等をなくそう
11)住み続けられる街づくりを
12)作る責任 使う責任
【地球環境問題】
13)気候変動に具体的な対策を
14)海の豊かさを守ろう
15)陸の豊かさも守ろう
16)平和と公正をすべての人に
17)パートナーシップで目標を達成しよう
環境問題ひとつとっても1970年代からほとんど解決できなかったというのに、残るすべての課題までもあと10年未満の短い期間に達成しなければいけないのか。まさに日暮れて道遠し…といった思いになる。先日NHKでこのSDGsの2030年問題(2030年までに解決できなければ期限切れという意味)に関するシリーズ特集番組を見ていたら、先進国が肉食文化を止める必要があると論じられていた。牛肉1キロの生産にはその飼料となる穀物栽培に使う分も含めて約20000リットルもの水が必要である。これだけでも先進国と途上国の不平等が生じることになるが、はたして世界の先進国民は肉食文化を諦められるのか。コロナ禍が終息するまでの有限の自粛生活でさえフラストレーションが溜まり、経済活動が低迷して大混乱になっているというのに、持続可能な発展のために畜産・飼料農家を直撃するような農業構造の変革を実行し、グルメに驕る先進国民に未来永劫にわたって肉食を放棄させる、そんなことが平穏のうちに10年足らずで実現可能とは思えない。だいたい誰がリーダーシップを取るのか。そのリーダーを誰が決めるのか。そしてその激しい変革の中でどうやって自由と民主主義を守るのか。
大人世代の環境対策に鋭い批判の声を上げ始めた今の若者世代が、1970年代の私たちのように50年後の若者世代に対して「そんなに焦らなくても世の中なんとかなるものさ」と余裕の説教をこけるような楽観的な未来が到来することをひたすら祈るしかないのか。個人でいくら節約したって、政府や企業にいくら意見したって所詮は蟷螂の斧、巨大な産業システムの前に無力に等しいことはこの50年間いろいろ見聞きしてきた。まさに人類文明は抜き差しならない泥沼に足を取られてしまったことを痛感する。
ボランティア27年
1995年(平成7年)、阪神・淡路大震災が起こった年、日本ではこの年を“ボランティア元年”と呼ぶことがあります。それまではボランティアというと何か政治や宗教が絡んだ慈善活動のようなイメージがありましたが、大震災の凄まじい傷跡を目にした一般市民が神戸を中心とした被災地の復興や救援に自発的に起ち上がり、日本の市民運動が新たな展開を見せたことで、こう呼ばれるようになったと記憶しています。
あの年の1月17日朝、私は小田原市立病院で非常勤職員としての毎週1回の勤務に出かけるため、東京駅から新幹線に乗ろうとしたら動いておらず、「関西方面へのご旅行はお取り止め下さい」というアナウンスが繰り返し流されていました。やっと動いた名古屋止まりのこだま号の車内で震災の発生を知った時の驚き、それまでは日本の大震災と言えば1923年(大正12年)9月1日の関東大震災、しかも関東地方は関西に比べて地層が弱いので周期的に大地震が襲うという震災周期説が広く信じられていて、次に東京が大震災で壊滅するのは明日かも知れないという潜在的な恐怖が首都圏住民にはありました。だから地層が頑丈なはずの関西で大震災が起こったのはショックだったのです。
さてあの時、私も医師として何か救援活動に役立ちたいと思い、あちこち聞いてみましたが、当時は帝京大学病院の病理部に助教授として赴任して4年目でしたから、そんなに長く職場を空けられない事情もあり断念しました。その時はちょっと後ろめたい気持ちもあったのですが、今になって考えてみれば、無理に被災地に行かないのが正解だったのです。ボランティアというのは個人が無理なく可能な範囲でやるという大原則がありますが、そればかりでなく、例えば私のような医療資格のある者が被災地の病院や保健所などへ軽々しくボランティアで出かけることには大きな問題があることが後に分かったのです。
医療スタッフは先ず自分が正規に勤務する職場を守らなければいけない。被災地支援に入るという正義感に酔って何週間も何ヶ月も休暇を取って留守にするわけにはいきません。これはちょっと考えれば分かることですが、実は被災地で支援を受ける側の医療保健機関も困ったことになるのです。“ありがた迷惑”な面があるのですね。
これは東日本大震災の後に実際に現地のドクターたちと話して気付かされたことですが、ボランティアなどの厚意またはいろいろな組織の支援業務として被災地に入って診療業務などを分担して手伝ってくれたとしても、彼らは結局1ヶ月か2ヶ月すれば帰ってしまう、そしてその後は再び自分たちだけで頑張らなければいけなくなる、そういう話を聞いてなるほどなと思いました。
同業者が1ヶ月か2ヶ月でも来て手伝ってくれるだけでも本来なら感謝しなければいけないところですが、私もかつては高度な医療を遂行するユニットのチーフをやっていた経験から、何となく理解できるような気がします。新しく着任したドクターやナースはいくらベテランであってもすぐにチームに加わって動けるわけではない、機材や薬剤の保管収納場所や、カルテ記入方法や申し送り事項確認などの業務手順、さらに常勤スタッフとの役割分担やコミュニケーション方法など、直接医療とは関係ない雑務を覚え込んでチームの一員としてスムースに動けるようになるまでに1ヶ月や2ヶ月はかかってしまう、しかもその間は常勤スタッフが1人程度教育係としてつきっきりになるわけで、そうやってやっと皆と一緒に仕事ができるようになった頃に支援期間が終了してしまうわけです。
私も被災地の医療関係者から直接間接に話を聞いて、これが必ずしもすべてではないのだろうけれど、かなり現地の本音に近いものがあると感じました。新米の研修医であっても、今後一定の長期間スタッフとして働いてくれる人たちならば1〜2ヶ月かけて教育する甲斐もあるが、相手がベテランだと気を遣わなければいけないうえに短期間で帰ってしまう、もし手伝ってくれるならばせめて1年や2年はいてくれよ…。
今回の新型コロナ感染症でも、医療が崩壊寸前になってしまった地方の医療機関へ、限定的な期間で自衛隊の医官などが支援に向かったという報道がありましたが、彼らが専門家としてどのくらい力になれたのか、今後被災地での医療支援活動の参考になるので、ぜひ検証して報道して頂きたいと思います。あの短期間ではおそらくコロナ感染患者さんの治療まで手伝えたわけではなく、他の一般軽症患者の外来診療の場面などで補助的、限定的な役割に終始したのではないでしょうか。まあ、それだけでも助かると言えば助かるわけですが…。
さてボランティア元年(1995年)の16年後、あの3・11が起こりました。今度は私も還暦を控えており、もうこれで正規の職場は退職して被災地支援に飛び込むつもりで都内の某NPO組織の事務所を訪ねました。阪神・淡路大震災の時は正規に勤務する職場が足枷になって、被災地のお役に立てなかったという悔いもあったので、2011年は年度末いっぱいで退職する準備を万端整えて、それなりの覚悟で行ったのです。
ところがその某NPO事務所の所長らしき女性は、私とはウマが合わないと思ったのかどうか、国内外の災害支援の実績を積んできた自分たちでさえ何をして良いか分からない、とにかく被災地に入るのは大変だから私には来ないでくれと、執拗に何度も何度もおっしゃった。それで私も出鼻を挫かれた思いで被災地入りを断念、退職届けまで用意していた職場は取りあえず辞めないことになりました。被災地に行くこと自体を否定されたような釈然としない思いは残りましたが…。
その後に飛び込んだのは『子どもの心と身体の成長支援ネットワーク』という団体で主宰する“ニコニコキャンプ”という企画、ボーイスカウト、ガールスカウト、YMCAといった奉仕団体や愛育病院のスタッフなどが中心となり、福島県相馬市の児童や親子のためのキャンプを毎年春と夏に実施、昨年はコロナ禍で中断せざるを得ませんでしたが、それでもお互いに連絡を取り合ったりしてお陰様で震災10年目の今年も続いています。
ボーイスカウトやYMCAの野営場を借りて、野外料理とかキャンプファイアとか雪滑りとかお祭りとか、おもちゃ美術館の方々のご協力も得ていろいろな玩具で遊ぶイベントを被災地で開催したり、私の所属している病理医のオーケストラでコンサートを開催したり、そんな活動です。相馬市ばかりでなく、その後に震災に見舞われた熊本や、豪雨被害の大きかった広島や岡山や、台風に襲われた千葉などにも行きました。
ヘルメット姿で被災地に入って医療活動や救援活動を行うなど、最初にイメージしていた活動とは何か違っているような気もしますが、被災地を巡るボランティア活動はそんなに大上段に構える必要はないのだと気付きました。医療支援に関しては上に書いたとおりですし、人命救助やインフラ復旧などの救援についても自衛隊や消防をはじめとした超プロ集団が揃っています。どんなにささやかな事であっても誰かが喜んでくれれば良い、まなじりを決して肩肘張って犠牲的精神を発揮しなくても自分のできる範囲で少しずつやれば良い、東日本大震災後の10年間にそんな気付きもありましたね。
若くて体力に自信があれば被災地の後片付けなどもできるでしょう、さらに技能があれば家屋の修繕も手伝える。輸送手段を使える人ならば食糧や生活必需品の運搬を手伝える。美術や音楽で被災された方々を元気づけることもできる。特殊な技術がなく、お手伝いの時間を割くことができない人でも、被災地の商品を購入してあげたり、自分の贅沢を我慢して募金に応じることもできる。そういうすべてのことを含めたものがボランティアだということに日本人が気付き始めた、それが1995年の“ボランティア元年”だったのだと思います。
コロナ対策から見える昭和激動期
今年(2021年)4月9日だったと思いますが、テレビの報道番組から流れてきた政府の新型コロナウィルス感染症対策分科会の尾身茂会長の発言にちょっと耳を疑いました。新型コロナウィルスの感染急拡大でも緊急事態宣言など強い対策が(政府から)取られない場合は、今後は専門家としてあまり政治的配慮などせずに分科会から宣言を出すべきであると提言を行う考えがあるというのです。
日本政府や各自治体のコロナ感染対策は、見通しが甘い上に後手後手に回っているとの批判が強い。昨年暮れには、そろそろ流行も下火になるのではという希望的観測に基づいて経済刺激策の目玉Go
To トラベルキャンペーンをダラダラ回し続け、第3波が明らかになるまで緊急事態宣言発出のタイミングを逸してしまった、私に言わせれば太平洋戦争において、兵力小出しで米軍の反攻を食い止められなかったとされるガダルカナル島争奪戦の教訓を知らなかったとしか思えません。ガダルカナル戦では最初に上陸した米軍を侮って、このくらい手当てしておけば間に合うだろうと、支隊レベルの小兵力の逐次投入で初期対応したのが甘かったと言われています。
さらに第3波の感染に対して発出された2度目の緊急事態宣言、大阪府の吉村知事は、ウィルス感染が蔓延してきたら緊急事態宣言など強力な対策、感染者が減ってきたら解除して経済を刺激、これを繰り返してワクチン接種の完了を待つなどと一見もっともらしい戦略を立てていたようですが、これも私に言わせれば太平洋戦争緒戦期における海軍の戦略、敵艦隊を誘い出しては決戦を挑み、また誘い出しては決戦を挑み、これを優位に繰り返しながらアメリカが講話に応じてくるのを待つ…とうまく行けば理想的な戦略でしたが、敵を甘く見て油断したのが命取りになってミッドウェイ海戦で空母4隻を失う大敗を喫した。大阪府も感染者が減少した機会を捉えて意気揚々と政府に緊急事態解除を要請、大丈夫かなと思っていたらあっと言う間に第3波を凌ぐ第4波を招いてしまいました。
いずれも結果論と言われれば結果論、じゃあ、お前やってみろと言われても絶対できっこありませんし、誰がやっても完璧な対策を立てられないことくらい分かっていますが、政治家たちの対策は選挙の票田や政治献金につながる財界寄りであることは誰の目にも明らかです。そんなことで見通しを誤られて感染患者が増加するのではたまらないというのが医療関係者の切実な思いであり、尾身会長はそんな医療サイドの要望を受けてあの発言になったのだと思います。
感染者が急拡大しても政府が強い対策を打ち出さないのであれば、代わりに我々医療の専門家が政治的な配慮をせずに緊急事態宣言などを出す。私もついに言ってくれたかと思いました。昨年前半くらいは安倍首相の顔色を窺うかのように政府に都合のよいコメントばかり喋っていた尾身会長が、あまりに場当たり的で後手後手の政府や自治体の対応に業を煮やして、やっと医学専門家の矜持を取り戻してくれたのか。たぶん医療現場で連日苦闘しているドクターやナースたちの中には快哉を叫んだ者も少なくなかったのではないか。
しかし尾身会長のこの発言は、少なくとも報道番組のキャスターが読んだ原稿内容といい、報道されたタイミングといい、本当はちょっとまずいのです。私はその後この尾身発言がどうなるか注視していましたが、やはり誰かがこれはまずいと考えて撤回させたのか、あまり大きく取り上げられることはありませんでした。
政府や自治体が頼りないから専門家が代わりに宣言を出して政策に口を出す、簡単に言えばこれはシビリアン・コントロールの否定につながる行為です。尾身会長がこれをやったって多寡が知れてますが、もし国家最大の暴力装置を有する自衛隊の幹部が同じことを言ったら大変なことになります。例えば中国艦艇による尖閣諸島の領海侵犯の頻度が急に増加しているので、今後は海上自衛隊の護衛艦隊司令部が適切に対応する…、東シナ海で操業の安全を脅かされている漁民たちの中には大歓迎する人もいるかも知れませんが、これでは戦前の二の舞です。
それでちょっと考えてみたのですが、日中戦争から太平洋戦争へとつながっていった昭和の“軍部独裁”も意外に始まりはこんなものだったのではないか。5.15事件とか2.26事件などの軍事クーデターを通じて軍部、特に陸軍が暴走した結果だとはいいますが、昭和日本の軍部独裁には現在世界を震撼させているミャンマー(旧ビルマ)の軍事政権のような軍人の権力臭が私には感じられません。
2.26事件などに参加した地方の寒村出身の青年士官の中には、娘の身売りまで出る郷里の貧困に対して何ら有効な政策も打ち出せないまま、安穏と政権を貪る政党政治家に対する憤りから蹶起した者も多かったと読んだ覚えがあります。大正デモクラシーの頃までは大日本帝国もシビリアン・コントロールの利いた国家であった、しかし大恐慌を迎えてもいたずらに小手先の政権争いにうつつを抜かす“頼りない”政党政治家に対する反発から国家の歯車が狂っていった…。
感染のコントロールに失敗すれば内閣不信任案だ、不信任案を出せば解散総選挙だと、肩をいからせてドヤ顔で政権の駆け引きに終始している与野党の“頼りない”政治家どもに対する尾身会長のシビリアン・コントロール逸脱発言を見ていて、昭和の軍部独裁が始まった裏にもこれとよく似た政治的状況があったのではないかと思い当たった次第でした。少なくとも現在のミャンマーの軍事クーデターとは質が違うように思います。
緊急事態も三度
2021年4月25日、大阪、京都、兵庫の2府1県と共に東京都に3度目の緊急事態宣言が発出されました。昨年4月と今年1月に次いで3度目です。“仏の顔も三度”と言いますが、まさか新型コロナ感染症に対して緊急事態宣言が3回も発出されるとはね。
確かに今年1月に発出された2度目の緊急事態宣言は菅内閣も及び腰で中途半端でした。前年の秋頃から感染者数が増加していたのにダラダラとGo
To トラベルキャンペーンを継続して事態を悪化させてからの発出だったうえに、各種事業への休業要請なども1度目に比べてはるかに緩く、しかもまだ1日当たりの新規感染者数が十分に減少しているとは言えなかったのに性急に解除してしまった、それが3度目の宣言をこんなに早く出さざるを得なくなった原因だと思います。せめて高齢者へのワクチン接種がもっと軌道に乗るまで持ちこたえていれば、医療現場もこんなに深刻な状況にならなかったでしょう。
菅首相も今回の宣言発出に当たって、申し訳なかったと言葉の上では素直に陳謝しましたが、もし3度目の緊急事態宣言で感染拡大を抑え込めなかった場合は、相応の責任を取る覚悟でやって頂きたいと思います。もし今度失敗すれば、それは太平洋戦争におけるサイパン島失落と同等以上の打撃になりますが、あの時は東条英機首相が辞職しました。今回の敵は絶対に無条件降伏などしてはいけない相手ですから、政府はしっかり対処して頂きたいし、野党もいたずらに政権の揚げ足を取ったり、自分が政権にいない気軽さに乗じて国民受けする夢みたいな政策を口にしないで貰いたい。
まさに昨年来の新型コロナウィルス感染症は蒙古来襲や太平洋戦争にも匹敵する“国難”です。その国難を前にして、そろそろ終息するんじゃないかと“神風頼み”の甘い期待を捨て切れていない政府や自治体、与党や野党も含めて我が国の政治は一部機能不全に陥っていると思いますね。典型的なのが小池東京都知事の発案による“東京アラート”、都内1日の新規感染者数が「20人!」を越えたら都庁やレインボーブリッジを深紅に照明して都民に警戒を呼び掛けるというものでしたが、以後それが100人単位になっても千人を越えても二千人を越えても発動されなかった。赤く染めてしまえば自分たちも何らかの手を打たなければいけなくなるわけですから、もうそろそろ何とかなるんじゃないか、何とかなって欲しいという東京都指導部の神頼み心理が手に取るようです。
しかしそういう政府や自治体の無策後手後手の楽観を非難するばかりの国民、都道府県民にも問題があります。政府や自治体がだらしないからウィルス感染が拡大してしまう、緊急事態宣言なんて何度出したって効果があるとは思えない、もう自粛も疲れたから気晴らしもしたい、政治家の言うことなんか聞いてられるか。そんな論調がSNSや街角インタビューなどに増えているのが気になります。営業停止を要請されれば今日明日の生活にも影響が出る飲食・旅行・娯楽業界の方々なら話も分かりますが、そうでない人たちも自粛生活に倦んでそんな論調に共鳴し始めている。とんでもない話です。世界中の人々が戦っている相手は政治家ではない、情け容赦なく我々の健康や生命を脅かすウィルスなのですから…。
少なくとも1度目の緊急事態宣言の時は国民の間に今よりも政府に対する信頼感があった、まあ未知のウィルスに対して政府の要請どおりに自粛せざるを得ない面もあったわけですが、ほとんどの人々はマスクも着用した、リモートワークにも協力した、外出も最小限に控えて自宅時間を過ごした、繁華街の街頭も閑散として人影もまばらになった…。
しかしウィルス感染も終息しないまま緊急事態宣言が3度まで発出されて政府への信頼感がガタ落ちになった途端、国民は箍(たが)が外れたようになった。3度目の宣言初日、報道番組によると新宿や渋谷の人出はほとんど変わらない印象だそうです。一ノ瀬俊也さんが第二次大戦中の米陸軍『情報広報(Intelligence
Bulletin)』を読み解いたところ(『日本軍と日本兵−米軍報告書は語る』講談社現代新書
2014年)、日本軍の将校は有能で、その指揮下にある日本軍部隊の集団的規律は優秀だが、将校を失うと自分で判断ができなくなって散り散りになってしまう、つまり個人的敢闘精神や自発性が低いと指摘されているそうです。政府や自治体への信頼感が失われて、糸が切れた凧のようになってしまった現代日本人の弱点まで見透かされたようです。
緊急事態宣言や蔓延防止措置にしても、日本国民は政府や自治体から「やらされてる感」が強いと思います。午後8時以降の飲食は自粛して下さいと言われれば、じゃあ7時59分まではいいんだな…となる。5人以上の会食はしないで下さいと言われれば、じゃあ4人ならいいんだな…となる。学校時代に先生から一列に並べと言われれば並ぶ、これを覚えろと言われれば覚える、そのまま大人になったみたいです。我々は政府や自治体の顔色を見ているわけじゃなくて、非常に感染力の強い有害なウィルスと戦っていることを考えれば、時刻や人数が問題なのではなく、飲食という行為自体が危険を伴っていることを“自発的に”考えられなければいけません。
また日本人は特攻隊の若者たちの話には感動するくせに、自分は国のために犠牲になるつもりはさらさらない、そういう人が非常に多い。2015年7月に当時の安倍内閣は安全保障関連法案を可決させましたが、日本も国力相応の軍事的任務を果たすべきだとドヤ顔で安倍首相を支持した老若男女の有権者も多かったはずです。国防とは政治家や自衛隊員だけに犠牲を強いるものではなく、銃後の国民も外敵に備える心構えを示すことが必要、まさに今回のウィルスという外敵に対しても国民の協力なしに勝てるはずはないのに、医療従事者の苦闘をよそに自粛を守ろうとしない国民が一部で目立つのはなぜでしょうか。無防備に昼間カラオケに打ち興じる爺婆、集団で路上飲みに気炎を上げる若僧、これらの中にあの時安倍晋三を熱烈に支持した者もいたかと思うと情けない。国のために生命を差し出した若者たちを讃えるべきなのは当然と私も思いますが、もし讃えるならば令和の今日、国をウィルスから守るための自粛くらい耐えてみせろよと思います。
日本の女子水泳界のトップエース池江璃花子選手が白血病との苦しい闘いを乗り越えて競技に復帰、日本選手権では信じられないような活躍で今度の東京オリンピックのリレー種目の出場権を獲得したというニュース、おそらく日本中の国民が心からエールを送って感動したでしょうが、池江選手を安全に競技に出場させるためには、オリンピックまでにコロナウィルスをある程度制圧しておく必要があります。そのためには国民1人1人がウィルスから自衛して感染が拡大しないように協力しなければいけません。自粛に疲れたからちょっと飲みたい?遊びたい?そんな欲求は池江さんが乗り越えた苦難に比べたら物の数ではない。政府や自治体が頼りなければ自分たちが頑張って池江さんを競技場に送り出すべきなのです。病魔を克服して競技復帰を目指した弱冠20歳の女性の並外れた努力を国民が踏みにじってはいけません。
ワクチン接種大作戦
自治体ごとに緩急の差はありますが、2021年の梅雨入りの声を聞く頃から、いよいよ新型コロナウィルス予防のためのワクチン接種が一般高齢者に向けて開始されました。これに先だって春先からは医療従事者に対するワクチン接種も始まっており、昔の職場の同僚や部下たち、各地の病院に就職している教え子たちの中にはすでに2回の接種を完了した者も多いようです。
私たち夫婦のところにも5月末に区役所からワクチン接種券が届きました。新型コロナのワクチンは“遺伝子組み換え”で人々の身体を完全支配する世界的陰謀だとか、DNAを“電子的”に改変して個人の遺伝情報に“特許権”を設定してコントロールするための人体実験だとか、空想科学小説(SF)というか妄想禍愕小説的な妄言を、さも根拠がありそうに述べて人々の不安を煽ろうとするビラが何通か我が家の郵便受けにも投げ込まれましたが、もちろん私は接種を受けに行くつもりです。皆様もこのような流言に惑わされませんように。
そもそも今回のワクチン自体も新型で、コロナウィルスの粒子から何本も飛び出している突起のタンパク質を合成するためのmRNA(メッセンジャーRNA)を体内に注射するという、従来のワクチンとは異なる新機軸のワクチンなんですね。そもそもmRNAワクチンを“エム・アール・エヌ・エー・ワクチン”などと呼ばないで欲しい。
人間の遺伝情報は細胞の核内に収納されているDNAに身体の設計図として保管されていますが、この設計図の内容をコピーして核外の粗面小胞体という製造工場に伝えるメッセンジャーとして機能するのがmRNAです。この製造工場で遺伝情報のコピーを元にタンパク質が合成されますが、今回のワクチンはもともと人間が持っていないウィルスの遺伝情報のうち、外側の突起の部分だけのコピーを注射する、すると細胞はそれが核内にあった正規の遺伝情報コピーか、後から注射された人工的なコピーかなど忖度することもなく、忠実にウィルスの突起のタンパク質だけを合成するから、それに対する抗体ができて、次に本物のウィルスが入ってきてもただちに免疫の警戒アラートが発動されるというわけです。本物のウィルスに感染してしまっても起こることはほぼ同じ、ただしこの場合は突起のタンパク質だけでなく、ウィルスが細胞内で増殖し、細胞を食い破って全身に撒布されるのに必要なタンパク質までが合成されてしまいます。
またちなみに注射されたウィルス突起タンパク質の設計図コピー(mRNA)は使用後ただちに破棄(分解)されて消滅してしまいますから、その情報が私たちの遺伝情報に組み込まれてしまうなどということはありえない。mRNAはきわめてデリケートな物質ですぐに消えてしまうものだから、今回のワクチンはマイナス70℃などという超低温で保管しなければいけないのです。
人間の体に遺伝子の“特許権”を強制的に設定して大儲けしようとか、人類の遺伝子を集中管理して世界を征服しようなどという荒唐無稽な陰謀組織が存在すると空想することは自由ですが、実際に新型コロナウィルスが重症化して死亡する人も多く、そのために全国の医療機関が逼迫してコロナ・非コロナを問わず国民の健康がここまで脅かされている現状を考えれば、こういう新種ウィルスを生物兵器として開発して使用する国やテロリスト集団が出現することの方が現実的脅威ですし、さらに生態系がこれだけ破壊された世界においては今後も新種の病原ウィルスが自然に誕生する可能性はもっと高い、そういう来たるべき現実の脅威に対応するための国家的試練と捉えるべきでしょう。
本来ワクチンとは病原体から集団を守るための武器、そのためには個々の望ましくない副反応には多少は目をつむるというのが医学的な考え方です。個人の不利益よりは集団の利益が優先されるということですが、日本では太平洋戦争で神風特攻隊だ、一億玉砕だと平気で人間を使い捨てにする無謀な現実が罷り通ったことへの極端な反省と反発から、戦後そういう医学的な正論さえ述べてはいけない暗黙の風潮が助長されてきました。それが新型コロナウィルスのワクチン開発や利用において我が国が欧米諸国に遅れをとった大きな要因の一つです。
腕の痛みや倦怠感や発熱などの副反応は多いようですが、中にはアナフィラキシーなど生命にかかわる重篤な副反応もわずかながら報告されています。お前はそういう副反応は恐くないのかと問われれば、そりゃやっぱり恐いですよ。そんなワクチン打たずに済めばそれに越したことはない。しかし私は定年後も100歳老人も入所している高齢者施設の健診事業に携わっています。もし私がどこかで気付かないうちに新型コロナに感染して、無症状のままウィルスの飛沫を撒き散らすようになってしまったら、そういう施設の老人たちは致命的なことになりかねません。つまりワクチンは私自身を守るためだけでなく、私が日頃から接するすべての人々を守るためでもあるのです。
欧米諸国にかなり遅れをとった日本のワクチン接種作戦ですが、私のような一般高齢者にまで接種券が届くなど、まがりなりにも動き始めた以上、あとは粛々とぬかりなく進行して梅雨が明ける頃までには何とか一定の目処が立つくらいにはなるだろうと思っています。いったん集団として走り出せば日本人特有の几帳面さが、やはり日本人特有の同調圧力に後押しされて猛烈な勢いで突っ走る、それは良くも悪くも我が国の国民性でもあります。
ただ一つだけ懸念があるとすれば、日本人の几帳面さがここ半世紀ばかりの間に少し目減りしてしまったことです。話はちょっと脱線しますが、戦後日本製の自動車が本場アメリカ車を席巻した背景には日本人労働者の几帳面な資質があったといいます。つまり日本人労働者は、今自分が作っている自動車に自分の家族が乗ることまでを想定して、一つ一つの工程で“ネジの最後の一締めをする”、つまり規定通りの強度が得られるまでネジのボルトを締めた後、さらに念には念を入れてもう一締めしてネジが最良の状態に締まったことを確認する、その工程の積み重ねが世界に誇る日本車の品質を確かなものにしたのですね。
この“一締めの精神”、1964年の東京オリンピックにも遺憾なく発揮され、大会期間中に万一にも聖火が消えることのないよう、国立競技場の裏にある予備の炬火台にまで徹底的な工夫がなされた、さらに聖火リレーに用いられる何千本ものトーチも1000本近い試作品まで含めて均一な職人技が発揮され、燃焼剤にも万全の研究成果が注ぎ込まれた結果、ギリシャの採火式から東京の閉会式に至るまで一度のトラブルも無かった。しかし2020年の聖火は、大雨が降っても強風が吹いても火は消えないと豪語したのも口先ばかり、国内リレースタート初日からLPガスカートリッジの装着ミスで消えたそうです。日本人の几帳面さが目減りしたことを如実に示す事例でしょう。
1998年の長野冬季オリンピックでも聖火が消えるアクシデントが起こって、34年間で日本人の資質もずいぶん低下したものだと嘆かわしく思った記憶がありますが、そんなことを調べようとネットを検索してみたら、さらに悲しい記事が載っていました。2017年10月16日付けのネット記事ですが、それに先だつ4年前、次期オリンピック東京開催が正式に決定して日本中がお祭り騒ぎだった2013年11月のこと、鹿児島の体育施設に大切に保管されていたはずの1964年大会の聖火が“消えた!”のだそうです。今にして思えば不吉な前兆のようにも思えますが、現在の日本人は大切な記念の証さえ守れないのでしょうか。これを消してしまったら、もう同じ意味を持つ火は無い、その火を守るために一締めも二締めもする几帳面さは失われてしまったのでしょうか。
まあ、1964年のオリンピック聖火は閉会式の晩に太陽へ還っていったことになっていますから、考えようによってはそれまで燃え続けていた方がおかしい。しかし新型コロナのワクチンに関しては、日本国民の生命と健康、そしてその後に続く日本経済の活動再開がかかっているのです。おそらく1960年代の日本人なら間違いなくやり遂げたであろうワクチン接種大作戦、すでに保管用冷凍庫の電源が抜けていたなど、およそあってはならないミスで貴重なワクチンが何回分も失われたと報道されていて、一抹の不安が残ります。
敵を侮る心
いよいよ7月23日のオリンピック開幕まで50日を切ったというのに全然お祭り気分が盛り上がっていない。1964年の昭和の東京五輪を知る世代にとっては残念な思いと同時に、かなり危険な博打に近い状況に大きな不安を感じます。昨年頃まで政府の対策に都合の良いコメントだけを喋ってくれていた新型コロナウィルス感染症対策分科会の尾身茂会長までが最近態度を翻して、「普通はこんなパンデミック下でオリンピックをやるものではない」とか、「やるからには強い覚悟でやるべきだ」とか、「何のためにオリンピックを開くのかを説明しないと国民は理解しないだろう」とか、政府にとって耳の痛いことをはっきりズバズバ発言するようになり、首相(菅)や厚労相(田村)や東京大会組織委員長(橋本)など自民党関係者は苛立ちを隠せないようです。
そういう政府関係者は何が何でも、コロナ感染が爆発しても、東京オリンピック開催を強行したいようですが、ただ「安全安心な大会を開く」と抽象的なお念仏ばかり唱えているので、国民の疑心暗鬼も募るばかり、おまけに国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が、「大会を成功させるためには多少の犠牲も覚悟すべきだ」などと余計な発言をしたものだから、日本で感染が広がっても大会の利益の方が大事なのかと、オリンピックの商業主義に対する国民の怒りに油を注いでしまった観がある、アメリカのマスコミから“ぼったくり男爵(Baron
von Ripper-off)”とまで揶揄されたバッハ会長、“音楽の父”バッハの名前に泥を塗るなとクラシック音楽ファンも見当違いに怒ってますよ。
ぼったくり男爵に恫喝されてひたすらオリンピック開催へ突っ走る日本政府関係者、何やらヒトラーに強請られて日独伊三国同盟を締結した大日本帝国に似てなくもありません。まあ、結局は国際政治も国内政治も結果論で評価されますから、今回のオリンピック開催が吉と出れば国民は圧倒的に現政権を支持するようになるでしょうし、凶と出れば逆に次回総選挙で自民・公明惨敗も十分ありうる。日本政府のオリンピック関係者はその博打に賭けているようにしか見えません。おそらくあの時代も、独伊と手を組むべきか、米英と協調すべきか、大日本帝国政府にとっては博打だったのではないでしょうか。
私は今回コロナ禍の中でのオリンピック強行に狂奔する日本政府や大会関係者を見ていると、あの時代に大国アメリカと開戦した時代の真相が少しずつ見えてくるような気がします。まあ、国家の政策決定には必ず不確定要素が含まれますから、例えば今回の例でいえばオリンピック開幕までにコロナ感染状況がどうなっているか、ワクチン接種はどのくらい奏功しているか、そこが不確実である以上、多少の博打はやむを得ない面もあることは認めましょう。
ただ日本人は軍事同盟を組む時も、国家間の戦端を開く時も、たぶんウィルスのパンデミックと戦う時も、敵を軽く見て侮り、自分に都合の良いことだけを見て独り善がりな判断に走る傾向があると思います。政府だけでなく、日本国民もです。これでは勝てる博打も勝てなくなり、負ける博打は破産するまでトコトン負けてしまう。
各都道府県における1日あたりの新型コロナ新規陽性者数をきれいにまとめてくれているサイトがあります。新型コロナウィルス感染症の第1波から第4波まで、波の大きさと間隔を実に分かりやすく示すグラフがありましたので、東京都の分を拝借しました。6月上旬現在、各種報道でも分かるとおり、東京都における第4波は収束しつつあるように見え、曜日ごとの新規感染者数は3週間以上連続して前の週の同じ曜日を下回っています。
しかし“第4波は収束に向かいつつあるだろう”という自分に都合の良い観測だけをもとに、あくまでもオリンピックを開催するんだと、国民の不安にも耳を貸さず、専門家にも諮問せず、強引に博打に突っ走ろうとしているのが現在の日本政府ではないのか。
このグラフの新規陽性者数の推移を見て、オリンピックの時期までには感染を抑え込めると楽観的な予想を立てられる神経が私には分かりません。たぶん尾身会長や分科会の専門家メンバーの大多数も同じ意見でしょう。グラフに私が白い矢印で示したのが第3波収束後に底を打った時期ですが、第4波は第3波よりもピークは小さいものの、収束後まだ矢印の部分の数値にまで下がりきっていません。オリンピック開催のために現在発令中の緊急事態宣言を性急に解除すると、現在襲いかかってきているのが感染力の強い新型コロナの変異株であることを考えれば、ちょうどオリンピック開催期間に人の流れの活発化と相俟って感染爆発が起きるかも知れない。
それは実際に起こるかも知れないし、あるいは幸運にも起こらないかも知れないが、現実的な脅威の可能性として、政府や大会関係者は具体的に想定して対策を考えておかなければいけない問題です。しかし「安全安心な大会を運営できることが開催条件です」などと抽象的な念仏しか答弁しない菅首相はじめ政府・大会関係者を見ていると、私は山本五十六を取り巻く連合艦隊幕僚たちの強硬論が海軍省や海軍軍令部の慎重論を押し切って、ミッドウェイ海戦が実施された事例を思い起こしてしまいます。
しかしその海軍実動部隊である連合艦隊の幕僚たちも、それまでの連戦連勝気分に驕りたかぶって敵を侮り、最初からミッドウェイ作戦ありき、やれば必ず勝利は間違いなしと、現政権の東京オリンピックありきと同じ慢心ぶりだったようです。有名な話がミッドウェイ海戦に先だつ図上演習(事前の作戦シミュレーション)でのこと、仮想の作戦シミュレーションはサイコロを振って戦果や損害が判定されますが、何と日本側は空母赤城と加賀が爆撃を受けて沈没してしまいます。ところが宇垣纏参謀長の独断で赤城に命中した爆弾数が9発から3発に減らされ、赤城は再度“浮上”して次の作戦段階に向かって堂々と駒を進めたとのこと、席上に居合わせた将官の中には唖然とした者も多かったらしいが、「こうならないように気を付ければよい」と平然としたものだったそうです。「安全安心な大会を運営できるのが開催条件」などと平然と念仏を繰り返す菅首相と一脈通じますね。
国民の側の油断と慢心も相当なものです。第4波のウィルスは従来型に比べて非常に感染力が強い、人混みにも出歩かないし、外出時には必ずマスクを着用していたという人でも感染している、中にはこんなに用心していたのに何故と泣き出す人もいるらしい、そういう恐ろしい変異株が感染の主流になっているとの報道は耳にタコができるくらい流されているのに、まだ緊急事態宣言延長中にもかかわらず大都市繁華街の人出は増えている所が多いらしいです。
ちょっと呼吸が苦しくて、ちょっと水分補給や間食摂取をしたくて、ちょっと知人との会話が通じにくくて、ほんのわずかな時間だけマスクを外してしまった人、顎掛けマスクや鼻出しマスクでも大丈夫だろうとまだ多寡を括っている人、ワクチンは2回接種後さらに2〜3週間の期間を経て十分な免疫力を発揮するようになるのに、1回目の接種だけで安心してつい出歩いてしまう高齢者、これまで1年以上大丈夫だったからこれからも大丈夫と慢心したそういう国民の頭上に、イギリス型・インド型・ベトナム型などという強い感染力を示す新型コロナウィルスが、まるでアメリカ軍艦載機のように襲いかかる事態まで政府や大会関係者は想定しているのでしょうか。そこまで想定しておかなければいけないというのは、日本人がミッドウェイの海で先人の血をもって購った歴史的教訓であったはずです。
おそらく菅首相をはじめ政府・大会関係者が想定して対処しているのは、オリンピック開催を強行して最悪の惨劇が発生した時に、自分たちの政治責任がいかにして問われずに済むかということだけでしょう。オリンピックを強行して結果が吉ならば現政権の手柄、凶ならは専門家の助言が悪かった、そうやって言い逃れるつもりなのは明らかです。1回目の緊急事態宣言発出の時、この程度の緩い規制なのはイチかバチかの賭けではないか、失敗したらどう責任を取るのかと外国人記者に質問された安倍前首相は、最悪の事態になっても政治家の自分たちは責任を取らない、専門家の判断に従っているから責任は専門家にある、という意味の驚くべき回答をしたことは別の記事に書きました。
尾身会長が政府のオリンピック開催に厳しい発言をするようになったとこの記事の冒頭に書きましたが、オリンピックの成功は自分たちの手柄、失敗は専門家の責任、そういう政治家たちの浅ましくも卑劣な魂胆に専門家たちもようやく気が付いたからでしょう。本当に見苦しい国になったものだと思いますが、せめてオリンピックを強行するつもりなら敵の新型コロナ変異株を侮らないで欲しいです。
(なお上掲の被弾する空母赤城の画像は映画『ミッドウェイ』公式サイトにある予告編映像の一部です)
尊皇攘夷の末裔ども
今年のNHK大河ドラマは『青天を衝け』で、明治時代に日本の資本主義経済の基盤を作り、2024年度からは新しい一万円札の肖像にもなる渋沢栄一の生涯を描くものらしい。現深谷市の農民として生まれ、一橋慶喜(後の第15代将軍徳川慶喜)に取り立てられて幕臣として仕えた江戸時代末期までが7月までに放映されたが、私は最近この大河ドラマの幕末を描いたストーリーには辟易している。
辟易すると言えば、昨年の明智光秀を描いた『麒麟がくる』にしろ、3年前の西郷隆盛を描いた『西郷どん』にしろ、時代モノを題材にしたドラマの男性登場人物は、どうしていちいちあんなにも大袈裟な表情を作って腹の底から絞り出すような大声で喚きあうのか、あれじゃまるで『半沢直樹』だよ…という点は別にして、私が幕末のNHK大河ドラマに辟易する理由は、あまりにも“尊皇攘夷”の志士とやらの肩を持ちすぎていることである。
そもそも“攘夷”とは外敵(異民族)を打ち払えということ、幕末に最も積極的に“攘夷”を実行したのは薩摩と長州、そしてさらに尊皇攘夷思想にかぶれた多数の馬鹿者を輩出したのが第9代水戸藩主斉昭に率いられた水戸藩、水戸藩士を中心とした尊皇攘夷の過激派は、横浜港を開いて外国との交易を始めようとする幕臣殺害をはじめ、“天狗党”を結成して日光東照宮占拠などの反幕府運動も計画するが、しょせんは事の後先も弁えぬ暴徒であるからたちまち軍資金が底をつく、するとあろうことか関東各地の宿場町などを襲撃して一般民衆から金や食糧を強奪、抵抗した者は町民も含めて殺戮の限りを尽くすなど、水戸の過激派はイスラムやユダヤの原理主義者も真っ青のテロリストであった。
そんな民衆まで巻き込んだテロリスト同然の天狗党首謀者たちが靖国神社に合祀されていることにも呆れるが、大河ドラマの中で渋沢栄一が天狗党の面々を“心から国を憂える者たち”として、加賀藩に投降した彼らが処刑されたことに憤激しているシーンがある。天狗党は金と物の調達という現代でいうロジスティクスの概念が無かったから暴徒になってしまったと悔やみ、だからこそ経済的基盤の確立が大切だと力説する栄一のセリフは説得力があるが、あの時代の“尊皇攘夷”の志士など皆そんなものではなかったか。
私の高校時代・大学時代、クラスメートの中には「毛沢東!」「毛沢東!」とやたらに中国共産党思想にかぶれている者も多かったが、現在の習近平体制下の中国や、ウイグル自治区やチベットなどにおける人権抑圧、さらに香港情勢や台湾情勢など彼らに問いただしてみたい。彼らは何かの思想を熱心に勉強して信奉するというのではなく、その思想にかぶれると言った方が正しい。かつての毛沢東思想のシンパも、幕末の尊皇攘夷の志士どもも私には同じにしか見えない。
水戸の過激派ばかりではない。“攘夷”にかぶれて血気にはやったのは薩摩・長州の大藩も同じ、後先の分別もなくむやみに外国艦に砲撃を仕掛け、薩英戦争、下関戦争を引き起こして敗北している。薩摩と長州はこの時の敗北を教訓として外国文化の習得に目覚め、古い考え方を墨守している幕府を倒して維新の原動力になったと後世の我々は学校の歴史の授業で教わったが、何を言っているのかと憤懣に耐えない。幕府もペリー艦隊初来航以来、260年以上も忘れなかった軍事築城技術を駆使して品川沖に海上砲台(現在のお台場)を建設、ペリーの度肝を抜いている。『青天を衝け』の中でも、このことは少し描かれていたが、翌年来航したペリーがお台場を発見して驚くシーンが挿入されているだけで、それが幕府の施策であると強調されていたわけではない。本来は薩英戦争や下関戦争の無謀な薩長と対比すべきエピソードであるが…。
さて“攘夷”は水戸の過激派ばかりか薩長の大藩までかぶれていた時代の流行思想であったが、もう一方の“尊皇”、これはもうけしからんとしか言いようがない。文字どおり受け取れば天皇を尊ぶということだが、このサイトに何度も書いているように、京都御所の蛤御門を砲撃した(禁門の変)幕末最大の逆賊・朝敵である長州藩が“尊皇”の側にいられるはずはないのだ。
薩長土肥など明治維新の原動力となった諸藩が一応“尊皇”を掲げたのは、江戸幕府という武家政権を倒す大義名分として利用するためだった。源頼朝の鎌倉幕府以来の軍事力を背景とした武家政権を倒して、古代のような天皇中心の政権を立てる、それが時代の流れを経て大日本帝国陸海軍の武力を背景に暴走して太平洋戦争につながっていった、考えてみれば歴史の皮肉と言ってよいかも知れない。
明治維新以来、我が国の為政者が“尊皇”を建前としたのは、自分の政策の最終責任を皇室に押し付けるためだったと別の記事に書いたことがある。しかしいまだに事あれば「天皇中心の国家を目指す」と“尊皇”の戯れ言をほざいて憲法改正を目論む日本の極右為政者一味が、本当に心から天皇を敬っていないことを如実に示す事件があった。
2021年6月24日、西村宮内庁長官が記者会見で大変な発言をした。天皇陛下は新型コロナの感染状況を大変ご心配になっておられる、ご自身が名誉総裁を務めるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、そういう会見内容だった。“尊皇”を掲げて江戸幕府を倒した者どもの末裔ならば恐懼して言葉を失うほどの内容である。
ところが菅首相も加藤官房長官も、あれは宮内庁長官個人の考えであると理解していると簡単にスルーしてしまった。もちろん象徴天皇制の国是から言えば、天皇ご自身がそんな政治的発言をして現閣僚らにプレッシャーを掛けてはいけないし、さらに宮内庁長官が天皇のご心配を“拝察”して、天皇のご意志ともとられかねない発言を記者会見で披露することは絶対に許されない。なぜなら天皇自身が日本国憲法の規定を破って政治に影響力を行使したというあらぬ批判を招く恐れがあるからである。
しかし“尊皇倒幕”で政権を強奪した一味の政治的末裔であり、“天皇中心国家建設”のために“憲法改正”が必要だと強弁する勢力の一員ならば、せめて「陛下にご懸念を抱かせ奉ったのであれば恐懼に耐えない」という儀礼的な一言くらいあって然るべきだったのではないか。東京オリンピックを何が何でも観客を入れて華々しく強行したい菅首相と現政権にとって、感染を懸念される天皇のお言葉など邪魔だ、そう不快にしか思っていないことを感じさせる態度だった。こんな奴らが“天皇中心国家”を目指す憲法改正だって…?チャンチャラ可笑しい。
太平洋戦争の継続を土壇場で食い止めたのは昭和天皇の決意であった。というより昭和天皇が何らかのご意志を表明されるまで陸海軍も大日本帝国政府も戦争終結を言い出せなかった。しかし菅政権のオリンピック暴走を同じように土壇場で食い止めたのは“天皇のご発言”ではなく、7月4日に行われた東京都議会選挙で示された民意だった。都議会でも政権与党の自民・公明が大勝してオリンピック開催への追い風にしようと意気込んでいた菅政権の目論見は外れて、自民党は辛うじて第一党になったものの、公明党を合わせても過半数にはるかに届かなかった。ここにさらに新型コロナ感染再拡大の波を受けて東京に緊急事態宣言を出さざるを得なくなったことにより、首都圏の一都三県でオリンピック競技は前代未聞の無観客開催となったのである。
菅首相は最初から無観客も想定して覚悟していたなどと強弁しているが、それを何度も取って付けたように口にするので、却って無観客に追い込まれて当てが外れた無念を強調する結果になっている。オリンピックの感染拡大に最後の釘を刺したのは天皇のお言葉ではなく、都民が選挙で示した民意だったと言えるのではないか。皇太子時代から常に護憲的な立場を堅持される天皇もさぞ御心を安んじ奉られたことであろう。
東京オリンピック・・・・・
2021年7月23日、1年延期されていた第32回オリンピック東京大会2020の開会式が挙行された。“挙行”か“強行”か分からないような部分もあって、なかなか官民こぞって祝賀ムードに浮かれるような雰囲気ではないが、とにかく歴史の歯車は回ってしまった。
何年にもわたる努力の末にオリンピック競技の舞台に立った選手たちに罪はない、こうなった以上は彼らを暖かく応援しようというのは人として当然の感情だが、もしオリンピック開催を契機に国内の新型コロナ感染が爆発すれば、逼迫した医療現場を必死に支え続けなければならないのは私の元同僚、後輩、教え子たち医療従事者なのだ。彼らはアスリートたちのように進んでその努力を自らに課すわけではない。それを思うと複雑な心境である。
私もかつては白血病の患者さんの治療に当たったこともある。その治療現場で綺麗事だけで済まない患者さんたちの苦しみを目の当たりにしたこともあったから、特に女子水泳のトップエース池江璃花子さんが白血病を乗り越えて競技に復帰、今回のリレー種目のメンバーに選ばれたことなど本当に涙が出るし、心からエールを送りたい。しかし彼女が乗り越えた試練に口先で“感動”するばかりで、新型コロナから国を守るための行動自粛に従おうとせず、北海道へ沖縄へと観光に出かけ、パーティーだ飲み会だカラオケだとマスクを外した飲食の楽しみを追い求め、ついには感染爆発寸前の状況でのオリンピック開催という事態を招き寄せて、池江さんらアスリートたちの努力に水を差した責任の一端は、政治家や大会関係者ばかりでなく国民大衆にもあるのではないか、と別の記事にも書いたことがある。
さて開会式当日の午後12時半頃、練馬上空を5色のスモークを引いたブルーインパルスの6機編隊が轟音を響かせて通過して行った。今回の東京オリンピックにはいろいろ複雑な思いもある私だが、ブルーインパルスの空中演技に関しては57年前の東京オリンピックを思い出して懐かしくなってしまう。
あの時は豊島区の実家の2階から国立競技場上空に5色のスモークで描かれたオリンピック旗を見上げて、子供心にも感動したものだった。澄みわたった秋空にくっきりと鮮やかに描かれた五輪は実に不思議な光景だった。当時はオリンピック中継も白黒テレビの時代、その中でリアルのカラー映像を見ることができた東京都区内の子供たちは幸せだったと今にして思う。今回もあの時以上の“夏空の五輪”が見られると期待したのだが…。
上の写真右側は国立競技場上空で五輪を描いているブルーインパルスを練馬から望遠レンズで撮影したもの。見れば分かるように飛行機が半分くらい輪を描いた頃には、もう起点のあたりのスモークは雲散霧消しかけている。これでは五輪が完成することはなく、たぶん真下で見ていた人たちの目にも五輪の輪郭はあっという間に消えてしまったのではないか。1964年の時は五輪のスモークの西側(たぶん風下)にブルーインパルスの飛行機が余った5色のスモークを吐きながら直線飛行したのをはっきり覚えているし、まだテレビでは開会式終盤の様子の中継が続いていて、それを見ながら何度も何度も2階の縁側とテレビの前を往復して、風に吹き流されていくスモークの余韻を楽しんだものだった。
何で今回の五輪のスモークはこうもあっさり消えてしまったのか。聞くところによると、スモークに含まれる色素成分が地上に降下していろいろな物に色移りしないように改良が加えられたからだという。確かに練馬上空を飛んだ時のスモークが我が家の白い洗濯物に付着されたら困るが、それにしても色移りもせず、せめて空に1分や2分程度は残るスモークの開発はできなかったものか。
たぶん昭和30年代当時の日本人ならスモーク改良に関して、もう一工夫か二工夫も凝らしたのではないかと思う。あの時は聖火リレーのトーチに使われる燃焼剤も、いかにしたらランナーの後に残る白煙が最も美しく見えるかを何度も何度も繰り返し実験して研究を重ねたらしい。現在は当時とは逆に排煙を少なくすることを目標にしなければならない時代で、ブルーインパルスのカラースモークと事情は同じだが、今回のとは似ても似つかぬ無骨な聖火トーチ(写真)製作のために1000本近い試作品が作られた、沿道やテレビで聖火を見る人を喜ばせるために、地味で誰にも評価されないかも知れない労苦にそれだけの情熱を傾ける人がいた、昭和30年代に比べて現在の日本人が失ってしまったものはまさにそんな地道な情熱だったのではないか。
ブルーインパルスのカラースモークに関する事情は知らないが、1分でも2分でも長く大空に消え残るスモークを開発するために、そういう人知れぬ地味な研究をされた方はいらっしゃったのだろうか。飛行機が半周する間に消えかけてしまう程度のスモークが現代日本の化学工業の粋を集めた最高の傑作品だったのだろうか。地上の洗濯物に色移りすると苦情が出るからもうこの程度で手を打っておこうよ…で済まされていたのだとしたら、素晴らしい飛行技量の伝統を守り続けてこられたブルーインパルスの隊員たちに申し訳ないと思う。
見る人を喜ばせるために、大会を少しでも盛り上げて良い物にするために、誰かに少しでも良い思いをさせるために、舞台裏で人知れず努力を積み重ねるような人材はあの頃に比べてかなり減っているのではないか。しかしその一方で、人々から賞賛され、脚光を浴びるポジションには、他人を陥れたり蹴落としたりしてでも我も我もとしゃしゃり出てくる人間は多くなったように思う。今回の開会式セレモニー演出スタッフの二転三転したドタバタ劇は、そういう土壌が原因だったのではないか。
オリンピックを請け負った大手広告代理店とツーカーで覚えのめでたい者がクリエーターというポジションのトップに起用されると、それがまた自分と内輪で気が合う仲間を脚光を浴びる場所に引っ張り出して栄誉と報酬を分かち合い、さらに自分が気に入ったパフォーマーたちに輪を広げていく。そしてそういうポジションを与えて貰えるように媚びて迎合していった者の方が現代社会での活動の場を広げていきやすい。
そういう仲間内のナアナアで演出とか音楽の担当者が決まっていく過程で何のチェックも入らなかったことが、開会式直前の土壇場にきてまで不祥事による辞任劇・解任劇が連続した原因だったのではないか。開会式に起用予定だった女性タレントの容姿を動物に例えたメールを送信したとか、過去に障害のある友人をいじめたことをまるで武勇伝のように告白したとか、ナチスによるユダヤ人大量虐殺を笑いのネタにしたとか、およそオリンピック・パラリンピックのセレモニーを担当するに相応しくない呆れるような理由で責任者が辞任あるいは解任された。
いずれもその不祥事のあった場面ではそれぞれに言い分はあるかも知れないが、公的私的を問わず、自分の一言一句、一挙手一投足を見て不快に思う人がいる可能性はないだろうか、それを考える能力が著しく欠如した人間ばかりであることは間違いない。そんな人間たちが寄り集まって企画するから、開会式があんな長いセレモニーになる。政治家も大会関係者も事あるごとに『アスリート・ファースト』、つまりオリンピックに集まった選手たちこそ一番大切だと宣っているが、東京の熱帯夜に4時間近くも選手たちを拘束しつつ、あんな自己陶酔のセレモニーを延々と企画して何がアスリート・ファーストか!
開会式セレモニーは東京大会から全世界に発信するメッセージであり、クリエーターもパフォーマーもミュージシャンもそれぞれ一生懸命に作り上げた芸術の一つだとは思うが、それを見ているのは劇場にチケットを買って入場してくれた観客・聴衆ではない、オリンピック委員会や組織委員会に付き合わされた各国の選手やコーチたちなのである。明日以降の競技に備えて調整や休養したい者も多かったであろうに、そういう選手やコーチもいると想像できる人間ならば真夏の夜に4時間近くのセレモニーを演出するはずはない。
まずオリンピックの開会式はどこの国でも選手団入場行進に時間がかかることは当然想定される。そうしたら東京の夜のイベントでは入場行進の他は1時間程度でまとめ上げ、それでいて後から気の利いた余韻を醸し出せるようにするのが演出者の思いやりであり、才能の見せ所ではないのか。オリンピック開会式の大舞台に自分の名前を刻みたいと我も我もとしゃしゃり出てきた人間たちにそんな芸当は期待できない。
長すぎる開会式といえば、お偉方のスピーチも長かった。東京オリンピック組織委員会の橋本聖子会長が7分、国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長が13分、自分たちもかつてはアスリートだったくせに、やはり開会式の式典に自分の名前が読み上げられると有頂天になって舞い上がり、長々とスピーチを垂れてしまうのか。情けない話だ。しかもバッハ氏のスピーチの方が長かったのは、女は話が長いと失言して組織委員会の会長の座を追われた森喜燻≠フ男女差別発言の反証になっているという揶揄の材料になるオマケまで付いた。
1964年の頃に比べて日本はこんな国になってしまったが、アスリートの皆さんはめげずに実力を遺憾なく発揮され、悔いのない試合を繰り広げて下さい。
オリンピックの落とし物
東京オリンピック2020(実際は2021)は8月8日の閉会式をもって熱闘の幕を下ろしましたが、どうにも居心地の悪い17日間でしたね。開会式前の記事でも書きましたが、白血病を克服してリレー種目に出場した池江璃花子選手はじめ前回の東京大会1964やアテネ大会2004をはるかに上回る27個の金メダルを獲得した日本選手団は素晴らしかった、優勝できなかった選手たちも同じくらい素晴らしかった、またこんな暗い世界でスポーツマンシップを見せてくれた各国選手団も素晴らしかった。
しかし競技場の外では新型コロナウィルスがいよいよ猖獗を極め、ついに新規感染者数が1週間か10日ごとにほぼ2倍に増えていく倍々ゲームの終末相を呈するに至りました。その時に書いたとおり、倍々ゲームは最初のうち増加のスピードはまったく大したことないように見え、無知で馬鹿な権力者は多寡を括って安心しきってしまいますが、終末相に至るとあっと言う間に破滅的な事態に突入していく、いよいよ日本の新型コロナ感染症もこの破滅的な様相に突入した可能性が高いです。最近の記事ではまだ東京の新規感染者数が1000人に達していない状況でしたが、せいぜい山手線2編成に1人程度が知らずにウィルスを撒き散らす恐れのある危険な潜在的感染者でした。しかし新規感染者数が1日あたり数千人のレベルになると1編成あたり2〜3人、10日後には2両に1人、20日後には各車両1人とどんどん増えていく単純計算になります。ですからあの時の記事は訂正する必要がありますね。
こんな状況になっているのに菅首相が大会期間中、感染者の増加はオリンピックが原因ではないと明言したとか報道されていましたが、どうしてここまで科学に無知蒙昧な人間が、ウィルス制圧という未知の敵との科学戦で陣頭に立っているのか理解に苦しみますね。
@2021年7月から8月にかけて東京オリンピックが開催された
A2021年7月から8月にかけて首都圏を中心にコロナ感染が爆発した
確実に言えることはこの2つだけであり、@とAの因果関係までを統計学を使って科学的に言及することはできないと以前の記事に書いたことがあります。菅首相は@とAは関係ないと明言したことで、科学的頭脳を持ち合わせていないことを暴露したようなものです。
それに第一、オリンピックが感染拡大の原因だったとしたら現政権の政治責任は免れませんし、原因でなかったとしても、こういう状況になることも想定せずにオリンピック開催を強行した政治責任はあるはずです。そんな科学的頭脳も政治責任の倫理観念も持ち合わせていない政治家たちの尻拭いをさせられたのは私のかつての同僚、後輩、教え子たち医療従事者でした。どんなアスリートたちよりも彼らにこそ金メダルがふさわしい。いや、彼らはメダルが欲しくて頑張ったわけではありませんが…。
英国ではワクチン接種が進んでおり、ウィルスに罹患しても重症化リスクが低いということで大規模な国際スポーツイベントも開催されましたし、飲食や娯楽の制限も緩和されています。確かに案の定新規感染者数は増加していますが、医療の逼迫は以前ほどではありませんから、英国のこの判断は正しかったのかも知れません。
しかしこの英国のコロナ政策で大事なのは、英国のジョンソン首相が政策の意義と根拠をしっかりと国民に語りかけた上で自らの政治責任を賭けて実行していることです。まさにこれこそ上に立つ者の高貴なる義務(nobless oblige)、少なくとも菅首相のようにオリンピックが終わって感染者数が爆発しているのを見た途端、自分は裏へコソコソ回って大事なことも関連閣僚に代わりに答弁させているような姑息な振る舞いは見えません。
ヨーロッパの指導者たちのような高貴なる義務(nobless oblige)の伝統が我が国に欠如していることが改めて判ったことは今回のオリンピック最大の落し物と言ってもいいでしょう。しかし政治家が政治家なら国民も国民、日本のオリンピック選手団の大活躍に、感動した、ありがとう、勇気を貰った、などとネットでもSNSでも最大限の賛辞で盛り上がっていますが、貰った感動と勇気はどこへ消えたんだよ。せめて選手たちの1/10の努力でもいいから新型コロナから日本を守る戦いに頑張ってみたらどうなんだよ。
病気や怪我を克服するために、また体格のハンディを乗り越えるために、あるいは世界に通用する技を磨くために、人一倍頑張ったアスリートたちの努力には感動して涙さえ流すというのに、結局それはすべて他人事、コロナ感染が爆発して今では20歳代30歳代の患者さんまで人工呼吸器が必要になるほど強力な変異ウィルスも出現しているのを横目に、自粛に飽きた、もう我慢できない、少しは気晴らしを、悪いのは政治家だ、と観光旅行にでかけ、大人数の飲食に誘い合わせる多くの国民にも問題があるのは明らかですね。
我が身と引き換えに国を護ろうと爆弾を抱いて出撃した特攻隊員たちの物語には感動するくせに、自分は国のために犠牲を払うつもりはさらさらない、それが日本人だということが改めて浮き彫りになったことも今回のオリンピックの落し物の一つでしょう。神風特別攻撃隊の中の2004年の記事で私は、平成の国難とも言うべき未曾有の経済危機に対して、あなたは自分の全私有財産と全所得を国家に差し出すことが出来るかと問いかけたことがありました。それも出来ないくせに若いパイロットの生命を召し上げたあの無謀な作戦を賞賛してはいけないという意味でしたが、今回はおそらく大半の国民が帰省も旅行も会食も娯楽も我慢してウィルスに立ち向かっているのに、国を護るためにオリンピック・アスリートの1/10の努力すらできない国民が一部にいる、情けないことです。
コロナ野戦病院
2021年の夏を過ぎても新型コロナウィルス第5波の感染は終熄せず、首都圏でもいよいよ医療が崩壊するに及んで「野戦病院」という言葉が為政者や行政担当官、医療関係者やマスコミや一般国民の口にも上るようになりました。何しろ酸素吸入が必要な中等症以上でも病院や宿泊療養施設にすら入れず、自宅療養を余儀なくされる患者さんの数が半端ないようで、比較的若い人も含め不幸にも自宅で重症化して亡くなるケースも報道されています。以前の平時なら医療ミスとして大きな社会問題になったでしょうが、もはや誰もがそれを当たり前の現実として受け止めざるを得ないことを納得してしまったのでしょう。民間人が銃撃されて死亡すれば大問題のはずなのに、戦時下では空爆で人が何十人死のうが神経が鈍麻してしてしまっている…、そんな感じですね。
コロナウィルスに感染して肺炎の徴候が出ても入院先が見つからない、それならとにかく病床数を増やさなければ、ということで人々が考えたのがいわゆる野戦病院。つまり最前線で戦闘が起こって負傷者が続出した時に、それらを応急に収容できるよう戦場の近くに新たな病院を作ろうという発想です。もはや首都圏をはじめ関西圏・中京圏・北海道・九州・沖縄を含めてほぼ日本全国が対コロナウィルスの戦場になってしまったのだから、国民の危機意識を高めるためにも、「野戦病院」という名前の病院を作るのは確かに有効な名案かも知れません。
しかし元々の意味での“野戦病院”は本質的にもっと違うもののようです。私の父が戦時中、旧日本陸軍の軍医として第27師団の“野戦病院”に従軍した話は別の記事に紹介しましたが、それによれば旧陸軍では大規模な作戦行動に先立って野戦病院を4個まで編成することができたそうです。つまり死傷者が続出する事態があらかじめ予測された場合に編成されるのが“野戦病院”なのですね。数多の患者が発生して従来の病院で手に負えなくなったからといって慌てふためいて泥縄で作るものではありません。
次にこうして編成された野戦病院はただちに医療活動に入るかというと、そうではなくて師団の戦闘部隊の進軍に従ってただ行軍するだけ。途中で師団の兵士たちが怪我をしたとか、食中毒になったとか、そういう不測の事態の場合は歩兵部隊や砲兵部隊など各部隊付きの専属の軍医や衛生兵が診療をする。野戦病院はそういう患者にはかかわらず、大規模な負傷者が想定される場面で師団長から病院開設命令が出るまではただひたすらに医療機器を担いで行軍するだけなのだそうです。
つまり大規模な戦闘に備えた後詰めの医療機関と考えればよいと思います。イメージとしては患者が大量に発生した緊急事のみ開かれる病院というわけです。令和の平時において、まさか緊急事態が発生した時だけ働く「野戦病院」を普段から常設しておくわけにはいきませんが、患者が発生していない平時から常に、多数の患者が発生する緊急事態を想定しておくという発想が大切なのですね。
ところが我が国の政治家や厚労省の役人にとって、患者がいないのに病院があるという状況は許せなかったのです。日本陸軍的な“野戦病院”という発想はなかった。それを如実に物語るのが、別の記事にも書きましたが、コロナ流行の1年前の2019年、「新しい地域医療構想」とか何とか銘打って、病床利用率の悪い公的病院や公的医療機関の再編統合を骨子とする整理計画案を発表しました。そして具体的な整理統合の対象として全国数百ヶ所もの病院を名指しで新聞紙上に公表したのです。
これは医療機関に対する実に屈辱的な仕打ちですよ。稼ぎの悪い病院は規模を縮小して下さい、お隣の病院と一緒になってもっと利益を上げて下さい、政府は医療の経済効率を上げるために、そういう脅しまで使ったのですよ。旧陸軍でいえば、戦闘が起こって負傷者が出たら各部隊付きの軍医や衛生兵を集めて応急処置を講ずれば良い、野戦病院みたいな不経済な部隊をわざわざ戦闘部隊に同伴させるのは金の無駄だというようなもの、そんな政府の目論見を木っ端微塵に打ち砕いたのが今回の新型コロナのパンデミックでした。
今回朝野の人々が口にする「野戦病院」という言葉自体が見当違いなのではありません。医療を経済効率のみの視点で考えていた政府が、今になって慌てて「野戦病院」を作ろうと躍起になっていることが見当違いなのです。2019年のあの時は稼ぎの悪い病院なんか足手纏いで迷惑だと言わんばかりの脅しを使っておきながら、今度はさらなる病床確保や人員配置に協力しない場合は病院名を公表するなどと逆の脅しをかけてきている。
各医療機関は2019年の屈辱の恨みなど水に流した上で今回のコロナウィルスに立ち向かっているのです。病床を増やしたってすぐに人工呼吸器やECMOなどの機器を扱える人員まで増えるわけではない。それでも可能な限りコロナの患者さんやコロナ以外の患者さんの診療に精一杯奮闘していることを理解して頂きたい。Go
To トラベルだ、オリンピック・パラリンピック開催だと自分たちの支持母体や有権者に良い顔を見せるメッセージだけ乱発しておいて、今さらコロナ医療にこれ以上協力できない医療機関に罰則まで考えている連中はどういう了見なんでしょうね。緊急事態を予測してあらかじめ後詰めの医療部隊を準備しておく旧陸軍の合理性を学んで欲しいと思います。
ノーベル賞と“日本人”
2021年のノーベル物理学賞を気象学者の眞鍋淑郎さんが受賞されました。大気中の二酸化炭素濃度の上昇が地球の気候に与える影響、いわゆる温室効果による気候温暖化モデルを1980年代に世界に先駆けて提唱して、現在世界的な問題になっている気候変動を予測した業績が評価されたようです。本当は外れて欲しかった地球温暖化モデルがノーベル賞を受賞することになってしまったわけで、そういう意味では決して手放しで喜べませんが、今年90歳になる眞鍋さんにはおめでとうございますと申し上げます。
しかし眞鍋さんの受賞は日本人にとっても手放しで喜べない一面があるのは事実です。眞鍋さんは1931年に愛媛県で生まれ、1953年東大理学部地球物理学科を卒業、1958年に博士課程を修了した後はアメリカ国立気象局に入り、1975年にはアメリカ合衆国の国籍を取得しています。つまり日本では、また“日本人”がノーベル賞を取ったぞ〜と官民マスコミを挙げて大騒ぎしていますが、眞鍋さんは“アメリカ人”であり、純粋にアメリカの研究機関で行なった研究が評価されて今回の受賞に至ったわけですね。
しかも1997年には日本に“帰国”して、宇宙開発事業団と海洋科学技術センターの共同プロジェクト「地球フロンティア研究システム」の地球温暖化予測研究の領域長に就任しましたが、そのような共同研究にスーパーコンピューターシステムを投入することへ科学技術庁の官僚どもが難色を示したため、わずか4年後の2001年にアメリカに“帰国”してプリンストン大学の研究員になってしまう、つまりこのノーベル賞級頭脳の再流出となったわけです。
眞鍋さんの受賞後記者会見での発言が注目を集めています。なぜ眞鍋さんは日本国籍を捨てたかという質問に対して、日本人は互いに気を遣って調和を重んじる関係性を作ろうとする、人間関係を保つために時には本心を隠して相手と合わせることが多いが、アメリカでは他人の目を気にする必要がない、だから好きな研究を思う存分やるためにはアメリカの方が暮らしやすいとのこと。
それで地球温暖化予測研究に関して科学技術庁の官僚どもに足を引っ張られるような日本に愛想を尽かしてアメリカに“帰国”してしまったのでしょう。まあ、官僚どもは二酸化炭素排出規制につながって産業界の足枷になるような研究にブレーキをかけ、政界や経済界と調和を重んじる“良い人間関係”を作るために、眞鍋さんの研究に政治介入しようとする意図が見え見えだった、そんな日本に嫌気が差したというのが本音だったと思います。
日本では菅前首相が就任早々、何の理由説明もなく日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否して物議を醸したように、政治家と科学者の間のチャンネルも機能不全に陥っている、そのことも眞鍋さんは別の取材で語っておられたそうです。そんな日本の科学界の現状を知ってか知らずか、新首相に就任したばかりの岸田文雄氏は“日本国民”として誇りに思うなどと眞鍋氏への祝賀メッセージをツイートして、アメリカ国籍を持つ人がアメリカで挙げた成果を何で“日本国民”として誇りに思うのか、元々日本で生まれた人に日本で研究を続けたくないと思わせたことを恥と思って、政治家ならば状況の改善に努めるべきだろうと逆に炎上する始末…。
しかし日本人の協調性が日本の科学研究を阻害しているというように受け取られかねない今回の眞鍋さんの発言は、本当はちょっと問題だと私は思います。日本人は互いを思い合って協調性を発揮できる国民だからこそ、近年多発する震災や水害などの大災害に対しても、他国に比べて商店襲撃や略奪などのパニックが少なかったという指摘があります。もし震度6とか7という大震災がアメリカ合衆国を襲ったら、優秀な研究者には自由に研究をやらせてくれるアメリカではどんな事態が起きるか想定してみたら良いです。
国民同士が互いに気を遣って調和を保とうとすること自体は日本人の美徳以外の何物でもない。ただし科学研究とか製品開発とか貿易推進といった国際競争の分野で日本が出遅れるように見える要因、それは調和の美徳ではなくて、私もずいぶん昔の記事で指摘した日本人の均質志向です。
調和願望と均質志向は似たように見えますが、調和願望は周囲の人々と平和に仲良く暮らそうというポジティブな気持ち、均質志向は自分と異なるものは排斥して同じものだけで暮らそうというネガティブな気持ち、その正反対なものが眞鍋さんの発言では混同される恐れがあります。均質志向が科学研究などで致命的な弱点になり得ることは、眞鍋さんなど頭脳の海外流出を見れば明らかですが、それは物事の一面に過ぎません。
調和願望と均質志向を考えるうえで、今回の眞鍋さんのノーベル賞受賞と並んで考えて頂きたいのは、眞鍋さんと同じ旧字体の“眞”を持つ秋篠宮眞子様の婚約者小室さんの件。いったんは婚約がまとまりかけたものの、小室さんの母親と元婚約者の金銭トラブルが報じられるや世論は一転、小室さんはアメリカに渡って法律を勉強し今年ニューヨークの弁護士事務所に就職が決まり、今回日本に一時帰国が決まりました。問題はその時の髪型、長髪にしてチョンマゲのように後ろで束ねた姿に多くの国民が仰天したわけです。
私もこれから一億の舅・小姑を持つことになる男性にしては少しワキが甘いとは思いましたが、嫁に貰う相手がたまたま皇族出身というだけでダブルスタンダードを適用するのはおかしいと思っていました。しかしマスコミなどの世論を見ると、皇室と縁組みをするのにあの髪型は何だ、清潔感が感じられないと悪意ある報道が目につきます。
「アメリカは自由だからあの髪型でも良いが、皇族と結婚しに日本に帰って来るなら清潔なものにしろ!」
これこそ均質志向の典型です。眞鍋さんに同調して日本の科学界の均質志向を断罪する論調も内容は一緒ですが、結論は正反対です。
「アメリカは自由だからノーベル賞級の研究ができた、日本は政財界に気を遣って優秀な頭脳を流出させた!」
日本人は調和願望と均質志向をきちんと定義づけができていません。小室さんは自由に髪を伸ばしてバッシングを受けた、眞鍋さんは自由に研究して頭脳流出と惜しまれた、いったい我々日本人たる者、自由に振る舞うべきか、周囲の顔色を窺って不自由に振る舞うべきか。
薩長政権の潮目
しばらく前の記事で、NHKの幕末を描いた大河ドラマは“尊皇攘夷”の志士どもの肩を持ちすぎて辟易すると書きましたが、今年(2021年)放送している『青天を衝け』は実はそうでもないことに気付いたので、少し訂正しておきます。近代世界の経済をおそらく最も深く理解していた日本人で、現在まで続く多くの会社や銀行を設立して日本資本主義の父ともいえる渋沢栄一を描いたこの作品、確かに前半の幕末篇では民間人まで巻き込んだ傲慢なテロリストだった水戸のクソ藩士どもを“憂国の士”と讃えるような迷セリフも一部にありましたが、旧幕臣から新政府に取り立てられた明治維新篇ではクソ薩長をボロクソに描く場面もあって溜飲が下がりますね。
幕府を倒して政権を奪ったはいいが、「薩長」「薩長」と「勝てば官軍」の権威主義も剥き出し、雁首揃えて会議を糾合するも、かつての幕臣や佐幕派を見下すばかりで、新しい国の政治体制も経済体制も何一つ満足に決められない、特に薩摩の大久保利通などは官軍の権威を笠に着て威張り散らす徹底的にイヤな野郎に描かれています。ドラマ中の渋沢栄一をして「薩長薩長と威張っていても幕臣がいなければ何もできねえではないか」と言わしめた薩長新政府の無能ぶり、こんな描き方は一昔前のNHKではできなかったでしょうね。何しろ長州賊の後裔が権力を握る国家を番犬ポチのように守る国営放送でしたから…。
秋口の段階では大河ドラマでも西郷隆盛がまだ存命ですが、1877年の西南戦争で薩摩の士族が滅亡した後、あの“イヤな野郎”の大久保利通がどんな風に描かれるか、また“官軍意識”剥き出しのクソ長州や公家の政治家どもがどのように描かれるか、実はちょっと楽しみにしています。長州賊の政権は第一次大戦、第二次大戦を経て一見民主主義国家に生まれ変わったように見える現代日本でもまだ続いていますが、その原点を見るという意味で…。
1954年、戦後の計画造船における利子軽減をめぐる収賄容疑で、検察庁が当時自由党(自民党の前身)幹事長だった佐藤栄作(長州)を逮捕する方針だったいわゆる造船疑獄事件で、吉田茂内閣の犬養法相は検察指揮権を発動して佐藤栄作の逮捕を見送らせた。そして政治生命を救われた佐藤栄作は後に戦後最長在任記録(当時)を打ち立てた総理大臣となり、ノーベル平和賞まで受賞している。
1976年、ロッキード社から全日空への旅客機売り込みで機種選定に関わる首相在任中の収賄容疑で田中角栄(越後)は逮捕され、“首相の犯罪”とまでいわれて政界や世論を騒然とさせた。日本列島改造論などで少なくとも一時期の日本経済を活性化させた立役者の元首相であったにもかかわらず、これが幕末に“官軍”と対峙した越後藩の後裔の運命か。
つまりそういうことです。幕末に薩長と対峙した諸藩の末裔は罪を犯せば元首相であろうが一般人同様に峻烈に裁かれるが、クソ長州の末裔ならば犯罪ももみ消してくれる上に、栄達の道まで用意されている。国有地売却で私腹を肥やしたごときは番犬ポチに守られてまともな捜査の対象にもなりませんよ。こういう薄汚い国家になったのも、あの時代に日本が薩長という選択肢を選んだツケだと思います。まあ、徳川を選んでいたらどうなったか、それは歴史のIFでしかありませんが…。
しかし今回の『青天を衝け』で無能な薩長の描き方を見ていて、ふとこれは時代が変わる予兆ではないのかという思いも感じました。もちろんすぐに変革が目に見える形で現れるとは思いませんが、今年(2021年)10月31日に投開票が行われる衆議院総選挙で自民党にも危機感があるようです。テレビでも各地の選挙活動が報道されていますが、面白いのは東京8区の石原伸晃氏、盤石の自民党王国を選挙基盤とし、各種の大臣や自民党幹事長などを歴任した実力者でありながら、野党統一候補の出現に戦々恐々としています。
かつての自民党なら堂々と金権まみれの選挙公約を掲げた横綱相撲で野党など問題にもしなかった。しかし東京8区の石原氏は、野党共闘を立憲民主党と共産党の野合と非難し、おかしいじゃないかと最初から牽制球を投げています。自民党と公明党の連立だってかつて自民党の政権維持が危なくなった時になりふり構わず野合した結果であるとも言えますが、昔はこういう相手陣営への牽制は野党の専売特許だった、自民党は野党が何を言おうがでんと構えて動じなかったのに、今になって立憲民主党と共産党が候補者を一本化したことを何でそんなに恐れるのか?水鳥の羽音に驚いた平家の大軍みたいです。
確かに今回はネットやSNS上の動向などを見ていると、これまで選挙に無関心だった若者たちが投票に関心を持ち、投票率が大幅に上がって各政党の支持が読めなくなる可能性があります。新型コロナ対策、経済対策、年金問題、森友・加計問題など、自民党としても横綱相撲を取る自信を喪失したのかも知れません。あの平成の大横綱と呼ばれた白鳳でさえ引退間際の場所では、土俵際ギリギリまで下がって立ち会いを仕切り、あんなのは幕下の奇襲戦法だと批判を浴びた一番がありましたが、いよいよ政界の取り組みでも時代が変わるのか、若い有権者の投票行動にちょっと目を離せない展開になってきましたね。
政権のスパイス
2021年10月31日に投開票が行われた衆議院議員の総選挙で分かったこと、共産党は永遠のバカだということ、そしてそれを利用しようとした立憲民主党(旧民主党勢力の主力)が間抜けだということ。
今回の総選挙の主要な結果のみ記すと、自民党は選挙前の276議席をやや減らしたものの261議席の安定多数を維持、公明党は選挙前の29議席から32議席へと増加した。一方の立憲民主党は選挙前の109議席を96議席に減らす惨敗、共産党も選挙前の12議席を10議席に減らした。
他にも日本維新の会が11から41へと大きく議席を増やしたり、立憲民主党と袂を分かった国民民主党が8から11へとやや議席を増やしたが、とりあえず今回の記事では他の党は関係ない。
今回の総選挙では立憲民主党の枝野代表と共産党の志位委員長が音頭を取る形で、統一候補を立てる野党共闘を呼び掛けたが、結果として不調に終わったことが興味深い。自民党と公明党の与党幹部や候補者が、立憲民主党と共産党を中心とした野党共闘は選挙目当ての単なる野合だと批判したことが多少は功を奏した可能性もあるが、実際には自民党の甘利明幹事長や石原伸晃氏など大物議員が小選挙区で野党統一候補に敗れている。ただし立憲民主党も小沢一郎氏や辻本清美氏など大物が小選挙区で食われているから、この面では与野党相討ちと言ってよいだろう。
しかし私が興味深いと言ったのは、与野党とも相手を野合呼ばわりしたことである。かつての自民党なら野党が束になって掛かってきても絶対に負けないという自信に溢れた横綱相撲の選挙戦を展開したものだが、今回は立憲民主党と共産党の共闘を“野合”と批判して、妙に神経質な批判合戦に巻き込まれていたことは前の記事でも書いた。自民党と公明党の連立政権だって、1993年の総選挙で過半数割れして一党優位体制の崩れた自民党が、その後社会党とさえ組んだりして迷走を繰り返した挙げ句、安定多数を維持するためにやはり迷走中だった公明党との連立にたどり着いた“野合”の結末である。
公明党と組むのは政治理念の一致した「連立」だが、共産党と組むのは「野合」だとする論調を聞いて、公明党だってかつては共産党顔負けの“危険政党”と信じられていた時代があったことを思い出した。仏教系宗教法人の創価学会を母体として1964年(昭和39年)に成立した当時は、宗教を道具として政権奪取を目論む危険政党として、共産主義やファシズムと並んで忌み嫌う人々が少なからずいた。
象徴的なのが1965年8月に発表された筒井康隆氏の『堕地獄仏法』という小説、総花学会を母体として結成された恍瞑党が近未来の1968年に政権を取るや、厳しい言論統制を“自由”と言いくるめた独裁体制を敷くという、今の時点で考えれば荒唐無稽な内容だった。物語の中で現在の中国やロシアや軍事政権下のミャンマーで報道されているような言論弾圧の場面が生々しく描かれており、公明党(恍瞑党)はそういう政党として多くの人々に恐れられていたわけである。
私はまだ中学生だったからそういう政治的恐怖は感じなかったが、その後も「社共公民」という言葉があり(社会党・共産党・公明党・民社党)、公明党も日本の健全な野党の一つと思って信頼していたところ、20世紀の末からは自民党と野合した、つまり左脚にも右脚にも貼り付く二股膏薬だったという失望を大昔の記事にも書いたことがある。
まあ、今回の総選挙は「自公野合」vs「立共野合」の対決が根底にあって、そこをうまく日本維新の会に漁夫の利を占められたと私は総括したい。それはともかく、私が冒頭で共産党は永遠のバカと書いたのは、いつまでも『共産主義』の看板にこだわっているからだ。もし公明党が党名を『創価党』にしていたら、有権者は政教分離に反するとして警戒をゆるめなかっただろうし、自民党もそんな党とは危なくて連立を組めなかっただろう。
公明党が支持母体の創価学会を思わせるものとは訣別して政界に臨んだのに対し、共産党は共産主義が丸見えの党名を後生大事に背負ったまま日本政界を渡り歩こうとしている。いくら私たちは民主主義ですと宣ったって、大多数の日本人にとっては、第二次世界大戦末期に不可侵条約を一方的に破って北方領土を強奪した共産主義のソ連、その独裁者スターリンに日本人同志を売り渡して栄達した宮本顕治委員長、さらに現在も領土拡張の野望を剥き出しにして香港やチベットやウイグル自治区などで人権抑圧政策を取る中国共産党などのイメージが“共産主義”なのだ。
選挙前の志位委員長への取材でも、まだ「共産党」の看板は降ろさないと明言していたが、永遠のバカたる所以である。そもそも現在の日本共産党の幹部連中でマルクスの『資本論』を全編読み込んで共鳴している者は半分でもいるのだろうか。こんな政党と組んで議席を増やそうと画策した立憲民主党も間抜けである。だいたい国民民主党とすら共闘できない政党の手に負える相棒ではない。立憲民主党は政権という料理のスパイスとして共産党を使おうとしたが、それは厳密な処方箋管理が必要な劇薬だったのだ。
恐竜からの警告
第26回の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)の開催に先立って、国連開発計画(UNDP)が投稿した動画はきわめて深刻な現状の危機を象徴するものでしたが、結局英国のグラスゴーに集まった人類の指導者たちの合意は、それを無視したも同然の不十分な結果に終わりました。
UNDPの制作した動画は、国連総会議場に恐竜が現れ、並み居る世界の指導者たちを前に「絶滅を選ぶな(Don't
choose extintion)」と演説して緊急の対策を呼び掛けるものです。俺たち恐竜は小惑星に衝突されたという理由があったが、もしお前ら人類が絶滅する時はどんな言い訳をするのか?性懲りもなく石炭や石油など化石燃料に各国政府が補助金を出して気候温暖化を助長する、その挙げ句の果てに自滅するなんて愚かだ。そんな金があったら世界の貧困を救わんかい!
しかしCOP26に集まった世界の指導者たちにはこの恐竜ほどの見識は無かった。19世紀の産業革命前に比べて地球の平均気温上昇を2.5℃以内に抑えなければ気候変動の影響は壊滅的なものになるという総論だけは賛成しながら、各論でまとまらない。中でも象徴的な食い違いが二酸化炭素排出が最悪とされる石炭火力発電所の“廃止”について、安価な石炭を使いたい諸国からは、“廃止”という強い表現は困る、“削減”にして、それも“努力目標”にしてくれなどと具体的な行動指針が一致せず、最終的な宣言の取りまとめが遅れに遅れたとのことです。しかも宣言の内容は一歩も二歩も後退したことで議長が責任を痛感して泣いたとも報道されました。
一昨年あたりから世界中に知られるようになったスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんは、COPなどの会議では何も決まらない、世界の首脳は気候変動を心配しているフリをしているだけだと厳しく糾弾しています。そう言えば我が国の岸田首相なども、“日本のプレゼンスをアピールする”だけのために、何の変哲もない平凡な演説をしただけでイギリスからトンボ返りした、いったい何のために巨大な政府専用機で地球一周分の莫大なジェット燃料を消費したのか。まあ、世界の首脳どもの環境意識もこれと五十歩百歩でしょうが…。
グレタ・トゥーンベリさんをはじめとする環境保護の市民運動家たちの言っていることはたぶん鋭く現実を捉えています。COPなどの会議に参加する世界の首脳たちばかりでなく、環境危機が叫ばれるようになった1970年代を若者として生きてきた私たち大人世代の大部分も、地球の未来を心配するフリをしているだけで、何ら有効な行動を起こそうとしていない。と言うより、何の行動を起こしたら良いのか分かっていない。もし分かっていたとしても求められる行動があまりに途方もないものなので、確信を持って手を付ける自信も勇気もない。おそらく「千里の道も一歩から」という意味の諺や成句は多くの国にあるでしょうが、今回の環境問題は“千里”どころか銀河の果てまで旅するくらいの重みで人類にのしかかっているような感じです。
もし恐竜たちが現代の人類と同じくらいの知能と技術文明を持っていたとして、10年後に巨大小惑星が地球に衝突することを知り得たら、彼らは何をしたでしょうか。人類も地球衝突コースにある小惑星にロケットを体当たりさせて軌道を変える研究を始めたなどと先日報道されていましたが、直径10キロの天体に核兵器を搭載したロケットを何十発何百発ぶつけてみてもそんなに大きく軌道を変えられそうもありません。世界中の核保有国がすべての核弾頭を拠出して何十機ものロケットに搭載し、最も有効な角度とタイミングで撃ち込めば、もしかしたら辛うじて小惑星の軌道を変えられるかも知れない、そんな際どい確率ではないでしょうか。しかしどこかの大国が自国の軍事的優位を保つために手持ちのすべての核弾頭を拠出しないのではないかという国家間の疑心暗鬼で必要な核弾頭が確保できないということにでもなれば、小惑星迎撃作戦は失敗します。まさに現在の環境危機への対応も同じだと思います。
現実に二酸化炭素を排出する産業に依存している世界の有権者は一定数いるから、環境問題に不熱心な政治家を選挙で落選させることは難しいし、民主的な選挙のできない専制主義国家の指導者が自国の産業に不利になることをするはずがない。戦争も一朝一夕に無くなりそうもないから、直接戦闘に使われる兵器だけでなく、背後にある軍需産業から排出される二酸化炭素もかなりの負荷になるだろう。いくら国連機関や市民運動が声を上げても、良識的な企業がSDGsの目標を掲げて二酸化炭素排出をささやかに減らそうと努力しても、結局個人の良識だけでは問題は解決できないんじゃないか、そんな絶望感に襲われているのが世界の現状でしょう。自家用車もバイクも運転せず、肉食も避け、ファッションも地味にして、個人的に二酸化炭素排出を1キロ減らしてみても、各国の政財界から頭上に何百トンもの二酸化炭素をぶちまけられる、もはや怒りや憤りを通り越して絶望と悲しみしか感じませんね。
唯一の希望と私が考えているのは、実現可能かどうかは分かりませんし、可能だとしても10年20年のうちに開発できるかどうかも分かりませんが、植物原理の食糧工場を稼働させること。おそらく人類を気候温暖化から救う唯一の道ではないかと思っています。動物は基本的に植物が作った炭水化物を食べて、大気中から吸った酸素でそれを燃やして(酸化させて)二酸化炭素を排出しながら生きている。人類が産業革命以降に手に入れた機械文明も同じことで、石炭や石油などの燃料を大気中の酸素で燃やして二酸化炭素を排出する。その二酸化炭素が地球環境に温暖化をもたらしているわけです。
つまり人類は動物原理の機械を動かして産業を推進していますが、これと逆に植物原理を応用すれば大気中の二酸化炭素から酸素と炭水化物を作れるのではないかと、私のような素人は考えてしまうのですね。植物細胞は葉緑体(クロロプラスト)という細胞内小器官を持っていて、太陽の光の下で光合成と炭酸同化作用により、二酸化炭素と水から酸素と炭水化物を作り出します。植物は何億年も昔からこの化学反応で動物の生存に必要な酸素と食糧を作り続けてきたのですが、この葉緑体で行われる反応を人工的に大規模に進めることは原理的に不可能なのでしょうか?
この反応を応用した工場が世界各地で稼働すれば、失業者を貧困から救うことができる、食糧となる炭水化物をほぼ無尽蔵に合成することができる、さらに大気中の二酸化炭素を減らして温暖化を防止することができる、しかも政財界にとって莫大な利権が発生するから皆ハッピーにしかならない。絶滅の深刻な事態に立ち至る前に、誰か化学工業分野の専門家に知恵を絞って貰えないでしょうかね。
民主主義はどこにある?
何だか2021年も暮れになって世界の“民主主義”が大変なことになってますね。事の発端はアメリカのバイデン大統領が世界約110の国や地域を招待して、「民主主義サミット」を日本時間12月9日夜からオンラインで行なっていることです。やたらに大上段に振りかぶっていったい何を議論するつもりなのか分かりませんね(笑)。どうやら法の支配とか表現の自由とか報道の自由といったことの重要性を再認識しようということらしいですが、当然のことながらロシアや中国は招待されてません。カチンときた中国は反発して、中国は西側の民主主義を模倣したのではなく、中国独自の高度な民主主義を達成したなどと実に噴飯ものの反論を行なっていますが、私から見ればなかなか興味深いことになっています。
民主主義とは反対者の意見も尊重されなければ意味ありませんから、国家指導者に対する批判や反対意見が厳罰をもって封殺され、軍や警察によって反対派市民が排除されたり逮捕されたりするような中国共産党の独裁体制が“高度な民主主義”とはちゃんちゃら可笑しくてヘソが茶を沸かしますが、中国が「じゃあアメリカはどうなんだよ」と居直って突き付けた命題には一理も二理もあります。
中国は人種差別や貧富の差の拡大などを指摘して、アメリカこそ本当に民主主義なのかと問いかけていますが、バイデン大統領はこれにどう答えるのでしょうか。またアメリカの同盟国からさえ冷ややかな声が聞こえてくる今年1月のトランプ騒動、大統領選挙の結果に不満を抱くトランプ前大統領が支持者を煽動して議会に突入させ、まさに民主主義の前提を否定し、根幹を揺るがせたあの事件を、今回の“民主主義サミット”とやらでどう総括するのでしょうか。
幸いにしてというか、幸か不幸かというか、日本はこのサミットに招待されています。日本は一応民主主義国家と自他ともに認めていますが、じゃあ日本の指導者たち、特に自由“民主”党のメンバーたちは、民主主義の根幹であり、今回のサミットでも強調されるであろう“法の支配”について、その重要性をどのくらい理解しているのでしょうか。
「法の支配」とは為政者が恣意的に作った法律で市民を支配するものではありません。“法”とは人権を尊重し、思想・言論・表現・報道などの自由を認めた正しい憲法を指します。その正しい憲法とは市民を直接支配するものではなく、下位の法律を制定する為政者=国家権力を縛るもの、国家権力は時に暴走して市民の人権を侵害しやすいものだから、その国家権力が恣意的に振る舞えないように制限するものが憲法、そしてそうやって正しい憲法に支配された国家権力が制定した下位法規によって市民を統治するのが“法の支配”。
昨今の政府の憲法改正論議など聞いていると、与党だけでなく野党も“法の支配”を理解しているとは到底思えません。政府の施策に都合の良いように皇室から国民までを縛り、自分たちはそれを道具として恣意的に政権を運用しようという魂胆が見え見えです。こんな国までを招待して、いまだにトランプが隠然と次期大統領を目指して勢力拡大しているようなアメリカが提唱した“民主主義サミット”。もとより習近平の中国やプーチンのロシアに民主主義のかけらさえあるはずがありませんが、アメリカを中心とした西側陣営の民主主義だって危うい。コロナウィルスによってその危うさはさらに際だってきています。金正恩の北朝鮮でさえ正式国名は朝鮮民主主義人民共和国、笑えるじゃありませんか。どの国も俺こそ民主主義だと言って威張っている、どこに本物があるんでしょうね。
昭和20年(1945年)の日本の学童たちは、1学期の終業式で教師たちが黒板に『鬼畜米英』と書いて訓示するのを聞いたが、夏休みが終わって2学期の始業式に再び登校したら、今度は同じ教師が『民主主義』と黒板に書いて、「日本は生まれ変わったのです」と説教を垂れた、翌年には日本国憲法が発布されて文言の上では日本人も自由と民主主義を享受できるようになった、しかし日本人の憲法知らずは朝野を問わず昔のまま。
どこに本物の民主主義があるか分からないことを改めて認識させてくれた今回の“民主主義サミット”、しかしそんなサミットでも我が国のことを招待してくれたのを良い機会として、今後も私たちは憲法と、その中に書かれている自由と民主主義についてもっと勉強する必要がありそうです。
商工農士
いったいNHKは最近どうしちゃったの?先日の記事でも書きましたが、今年(2021年)の大河ドラマ『青天を衝け』では、江戸幕府を倒した薩長新政府が“勝てば官軍”と増長するばかりで、渋沢栄一ら旧幕臣の力なしには新しい制度の創設もままならない無能ぶりも描かれており、それはある意味で史実でもあるだろうから仕方ないと思っていたら、11月から全8回のシリーズで再放送されている土曜時代ドラマ『明治開化
新十郎探偵帖』もかなりのものです。これは坂口安吾原作の『明治開化 安吾捕物帖』をドラマ化した作品で、昨年12月からBSプレミアムで放送されていた番組らしく、洋行帰りの探偵
結城新十郎が勝海舟や西郷隆盛など実在の人物とも協同しながら幾つもの事件を解決していくというストーリーなのですが…。
新十郎は幕末の戊辰戦争を避けるためにアメリカに留学させられていたという設定で、帰国してみれば故郷も家族もメチャクチャにされて旧幕臣勝海舟の屋敷に居候している。薩長新政府の明治維新には反感を抱いていて、価値観の大きな変化に翻弄された者たちと、時流に乗って羽振りの良い者たちとの間に起こる幾つもの難事件に挑むわけですが、薩長新政府による政策の矛盾が次々に明るみに出てきて、“まやかしの明治維新”とか、“維新をやりなおす”とか、従来の教科書的な明治維新の功績を否定・糾弾するようなセリフがポンポン出てくるのですね。
まあ、原作がそうなっているのかも知れませんが、そうであってもそういう原作をドラマ化したのはNHKです。しかもNHK総合で再放送までしている。ここ数年、巷の書店などにも明治維新の意義を考え直すような多くの書籍が並ぶようになった風潮を反映しているのでしょうか。世界の趨勢に目覚めた進歩的な薩摩・長州が同盟して、頑迷固陋に鎖国を続ける徳川幕府を倒して開国、富国強兵に努めたからこそ日本は列強の植民地にもならず、近代化を遂げることができたという従来の教科書的歴史観が問い直されているわけです。
『青天を衝け』でも、武士(もののふ)の世を終わらせてみたら何でもかんでも金・金・金の醜い世になってしまったという意味のセリフ、登場人物たちがストーリーの随所で口にしています。もとより現世に生きる私たち日本人の中に、鎌倉時代から670年あまり続いた武家の世を知っている人間は1人もいませんし、まして尊皇の志士とやらが憧れてスローガンに掲げた古代の天皇を中心とした公家の世を知っている化け物のような人間などいるはずもありません。武家の世を公家の世に変革したことが良かったのか悪かったのか、今年(2021年)の大河ドラマが投げかけた一番大きなテーマだったように思います。
武家の世、公家の世などと客観的に比較できる人間など1人もいませんが、考えてみればどちらの世であっても先立つ物は金・金・金…、地獄の沙汰も金次第ではないのか。『青天を衝け』の前半部、まだ江戸時代末期が舞台だった頃には民百姓が汗水たらして稼いだ金を代官が問答無用で召し上げる理不尽な場面もありましたし、渋沢栄一たちが尊皇の志士として仰いだ水戸藩の天狗党も、倒幕のテロ活動の中で軍資金が底をつけば民衆から金や食糧の強奪に及んだのです。
明治維新はそれまで固定されていた封建的な士農工商の身分制度が崩れ、まるで銭勘定する商人の世が到来したようにも見えるわけですが、確かに武士階級を“徳義を重んじる清廉潔癖な集団”と肯定的に見る考え方からすれば、何でもかんでも金・金・金の醜い世になったというふうにも言える。そしてそういう目で現在を見れば、明治維新から西南戦争を経てちゃっかり日本の政権を手に入れた旧長州賊に追随する一味の贈収賄、官製談合、国有地払い下げなどといった許すまじき問題は跡を絶たず、まさに徳義のない醜い世ではありますよね。
金を扱う商人が一番幅を利かせ、技術立国を支える工業関係者が次に偉くて、農産物は海外から輸入すればよいというグローバリズムにかぶれて農業は昔ほど大切にされず、国を守る自衛隊などこれまで憲法違反の汚名を着せられて日陰者扱いだったという見方は何となく説得力もありますが、では明治維新以来、士農工商が完全に逆転していたかといえば、近代日本でも武士(もののふ)すなわち軍人が大手を振って闊歩した時代がありました。戦時中は前線の将兵や銃後の国民が飢えないように農家は大切にされ、兵器を開発・生産する軍需工業も大切にされ、商業は国家の統制経済に組み込まれて自由な商売などできなくなっていたわけです。
つまり士農工商の方が良いか、商工農士の方が良いか、という単純な問題ではなさそうです。要するに金(money)に罪はありません。大昔に貨幣を発明した人間以来、マネーは公家の世も武家の世も支えてきた、良いマネーか悪いマネーかを決めるのはただ一つ、国家中枢の経済を管理する支配者の徳義です。民衆の家の竈から炊飯の煙が立つようになるまで宮中の華美を慎んだとされる仁徳天皇、明暦の大火に際して焼失した江戸城天守閣再建を中止して庶民救済や防災都市整備に幕府のマネーを投入した保科正之など、公のマネーを徳義をもって扱える人間が“国家権力”内部で力を持っていれば、武家の世であろうと公家の世であろうと国民は不幸にはならないのです。
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