たぶん神様はいませんね

 まだ若かりし学生時代、池袋駅東口を歩いていたら同年配の若い女性が近づいてきて、
「あなたは神様を信じますか?」
と話しかけてきました。当時はまだカルト教団など社会問題にもなっていなかったので、単なる宗教論争を挑まれたような感じで、
「そんなもの(失礼・笑)は人の心の中にしかいない」
と突っぱねてその場を後にしましたが、今になって思い返せば、あの女性はおそらく統一教会に入信していた原理研究会の回し者だったのではないでしょうか。都会の雑踏の中で信者を勧誘するハンターみたいなヤツです。

 そう言えば先日も、まだ安倍元首相殺害事件の少し前でしたが、池袋駅西口でボーッと時間を潰していたら同年配の婆さんが近づいてきて、
「お時間ありますか」
と親しげに話しかけてくる、投資みたいな儲け話は御免だと断ると、
「いえ、天国の幸せのことを考えましょう、お寺を見に行きませんか」
と言うから、あんたなんかの説教は聞きたくない、さっさと立ち去れと追い払ってやりました。その婆さんはそれでおとなしく引き下がりましたが、今度は少し離れた場所にいた老夫婦にまとわりついていたみたいでした。

 あれも統一教会 改め 世界平和統一家庭連合の信者だったと思いますね。どうも私は孤独の影を引きずっていてそういう宗教に勧誘しやすいと思うのか、うまく丸め込めば壺でも聖書でも高額な霊感商品を買ってくれそうに見えるのか、いずれにしても油断していてはいけませんね。

 私自身は幼少期成田山新勝寺の御札が身代わりに割れて難を逃れたことを今も有難いと思っていますが、恩着せがましい絶対者への帰依を勧誘・要求・強制してくるような宗教には、統一教会にせよ一般のキリスト教にせよ、許容しがたい嫌悪しか感じません。お陰で統一教会らしき勧誘を生涯で2度拒絶できたわけですね(笑)。

 ところで神様って本当にいるんだろうか。誰でも人生の中で1度や2度は考えたことがあるでしょうが、私の最近の見解、少なくとも人類を救ってくれる立場の神様は絶対にいません。いれば現在の世界はもう少しマシなものになっているはずです。

 21世紀に入ってから特に急速に地球温暖化の影響が目に見えてひどくなってきた、20世紀後半から予測されていたことではあったが、神様は誰も正しい道を示さなかった。それどころか人類が力を合わせて温暖化に対処しなければいけないこの期に及んで、愚かな侵略戦争を企てた国家の存在を許した、徹底的な破壊で環境への二酸化炭素負荷を増加させ、各国のエネルギー政策を後退させ、世界の人々の協力関係を分断した、これはロシア正教というキリストの分身が引き起こした事態であり、さらに他の神々もそれを見て見ぬふりをした。

 この一点だけを見ても、人類を救ってくれる神様など絶対にいないと断言できるではないですか。それは我々の信心が足りないからだと説教する人間はバカかと言いたくなりますね。自分を信じなければ人類など勝手に滅んでしまえと言っているようなヤツは神ではない、悪魔の一種です。
「いえいえ、私はちゃんと人類を見守っている神ですよ」
というのなら、愚かな国々の軍隊の上にソドムとゴモラの奇跡を起こしてみなさいよ。

 まあ、地球温暖化問題にしろ、核兵器廃絶問題にしろ、これは神頼みではなく、人類自らが解決しなければいけない問題なのですね。まだまだほんのわずかでもこれらの難問題に希望の道を残してくれているのは、地球に隕石を衝突させ給うた恐竜一族の神様よりは慈悲深いということですかね。


同姓同名さん

 私は今年(2022年)の誕生日で71歳になりましたが、これまで70年以上生きてきて自分と同じ名前の人、つまり『田中文彦さん』にお会いする機会はほとんどありませんでしたね。『文彦さん』というのはけっこういるんです。明治時代に国語辞典『言海』を編纂した大槻文彦博士が小学校の教科書に登場した時には何となく照れくさかった(笑)。

 また中学生や高校生だった頃、週刊誌や新聞で毎年3月に“東京大学合格者全氏名”なる記事が世間を賑わわせていましたが、ある年のこと家族が大騒ぎしている。何と『田中文彦さん』が理科T類に合格しているんですね。「あんたも頑張りなさい」とか何とか言われましたが、何しろ私は防衛大学校志望でしたからね(笑)。

 ネットをざっと眺めてみると、会社の社長さんを務めている『田中文彦さん』が2人ほどいらっしゃるし、消化器内科の『田中文彦先生』が1人、管理栄養士の『田中文彦さん』が1人、テニスコーチの『田中文彦さん』が1人見つかりました。これが本当のエゴサーチ…(笑)。驚いたのはドラマーの『田中文彦さん』も1人、私も高校時代ブラスバンドで打楽器やってましたが、ネットの『田中文彦さん』はジャズドラムの先生のようです。

 あと10年ほど前、東京駅近くでフランス料理のシェフをやっていた『田中文彦さん』を見つけて、そのうちお店を訪ねて料理を頂いた後、何食わぬ顔で名刺を出してみようと悪戯心を起こしていたこともありましたが、残念なことにそのお店はいつの間にか閉店してしまったらしい。

 そんなわけで『田中文彦さん』は私の他にも何人もいらっしゃるのですが、最近その中の1人と微妙なコンタクトを取る機会がありました。私も一昨年の3月、『忙しい人のための代謝学』というミトコンドリア関連の書籍を出版したことは書きましたが、Amazonのサイトに各種書籍の著者を網羅したデータベースがあるのですね。私も“著者”になりましたから、一応名前は載っているのですが…。

 何と私はミトコンドリアの本以外にも、『高分子の物理学』とか『高分子系のソフトマター物理学』とか、私には難解な分野の書籍を書いたことになっている。どうやら例の何十年も前の“東京大学合格者全氏名”に出ていた『田中文彦さん』がその後この分野の第一人者になって出版された本で、私も著者として“お相伴”にあずかっていたようです。

 この高分子化学、高分子物理学のエキスパートでいらっしゃる『田中文彦先生』のことはしばらく前からネット上で存じ上げていたのですが、今回Amazonの著者データベースで同一著者として扱われてしまっているので、ちょっとご挨拶のメールを送らせて頂いたわけです。私も物理学などという精緻な学問の著書があると勘違いされるのは光栄なことですが、万一読者の中でトラブルになる方がいたら困るだろうと思ったからです。

 『田中文彦先生』も私の存在自体はご存知でいて下さったようですが、Amazonの著者データベースで同一人物に数えられてしまっていても、読者もちょっと調べれば分かることだし、それほど問題にもならないだろうとおっしゃっていたので、私も少し気が楽になりました。何と言ってもあちらの『田中文彦先生』の方が先輩ですからね(笑)。

 Amazonの著者データベースは膨大な書籍のデータを機械的に読み取って自動的に作成されるから、こういうことも起きるんでしょうが、困るのは後から人為的に修正する機能が無いことです。出版社の人からこのデータベース編集機能のことを聞いて早速アクセスしてみましたが、どうやってもデータベースの管理者に直接フィードバックすることができない。仕方ないから編集機能を使って、この著者名(田中文彦)には専門の異なる2人の同姓同名の著者が含まれる旨をテキストファイルで書き加えておきましたが…。

 確かにどうでもいいことではありますが、もし仮に3人目の『田中文彦さん』が大衆作家としての才能を発揮してバイオレンス小説とか、エログロナンセンス小説といったジャンルの著者になった場合、私たちもそういう感性を持った作家と同一視されてしまうかも知れない。アカデミックの世界の人間としてはあまり嬉しくない状況ですが、これは私(たち)だけに限ったことではありませんね。やはり万に一つの確率もない稀な事象かも知れないけれど、機械的に作成されたデータベースに人為的修正機能は作っておいて欲しいと思いました。

 話は変わりますが、同姓同名に関してちょっと感動する話を付け加えておきます。昔旺文社のラジオ講座で英語の講義を担当されていたジェームス・B・ハリス先生が『ぼくは日本兵だった』(旺文社1986年)という著書の中に書いておられたことです。

 日本語ペラペラのアメリカ人だと思っていたハリス先生が、実はロンドン・タイムズ極東特派員だったイギリス人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで日本名は平柳秀夫、第二次世界大戦では日本陸軍に徴兵されて中国戦線に送られたことはそちらの記事にも書きましたが、戦争が終わって日本に復員してお母さんに再会した時の話です。

 イギリス人のお父さんは早くに亡くなってお母さんが1人横浜でハリス先生(平柳秀夫)の帰国を待っていた。息子がいない間は心細いし、イギリス人と結婚していたので片言の英語は喋れるし、たまたま門の前を通った進駐軍の若いアメリカ兵を家に招き入れて配給のビールなど振る舞ったら、そのアメリカ兵も故国を離れた淋しさからちょくちょく訪ねて来るようになった。そしていよいよ故国に帰る時になって、そのアメリカ兵は親切にしてくれた御礼にと言って自分がはめていた腕時計をお母さんに渡したそうです。息子さんが帰って来たらこの時計をあげて下さいとのこと…。

 お母さんは復員してきたハリス先生にその腕時計を渡しました。お母さんは気付いていなかったけれど、その腕時計には小さな文字で次のように彫られていたそうです。
「最愛の我が息子ジェームス・ハリスへ 母より」(To my beloved son James Harris from mother)

そのアメリカ兵も太平洋戦線へ出征するに当たってお母さんが無事を祈って腕時計を贈った。そして戦後日本に進駐したら、何と自分と同姓同名の息子を待つ日本の母親に出会って親切にして貰った。おそらく他人のようには思えなかったのでしょう。腕時計がつないだ同姓同名の縁ですね。

補遺:
 この記事をアップした後、下村敦史さんという作家の『同姓同名』という痛快なミステリー小説(幻冬舎文庫 令和4年)があるのを知って読んでみました。10人以上の大山正紀が登場しますが、1人の大山正紀が残虐な幼女殺人事件を起こしたことから、他の大山正紀たちの人生が狂っていきます。そしていくつもの伏線やドンデン返しを経て事態は意外な方向へ展開していきますが、そこに現代のツイッターなどSNSが含むさまざまな問題点が指摘されることになり、読んでいくうちに読者自身もSNSの加害者になっていく。あとはお読みになってのお楽しみ。


騙される心理

 どうして世の中にはこんなに悪いヤツが多いのかと思いますね。プーチンみたいな大悪党は別にしても、“オレオレ詐欺”で大金を騙し取ることを企んで、善良な人々の無知につけこむ小悪党がウヨウヨいるみたいです。皆さんも気を付けて下さいね…。

 と言っても、NHKの平日6時台の『首都圏ニュース』では首都圏で大金を騙し取られた高齢者の実例が連日のように紹介されているにもかかわらず、どうして詐欺に遭う被害者が跡を絶たないのか。特に高齢の方々は(自分の年齢も考えずによく言うよと思いますが…笑)NHKのニュース番組が大好き、その中で好感度も高い女子アナが「実際にあった詐欺の手口を見てみましょう」と言って、「○○県に住む70代男性の自宅に息子を名乗る男から電話があり…」などと具体的な被害の実態を生々しく紹介してくれているのに、何で同じようなことが自分に起きるかも知れないとも考えず、いとも易々と詐欺師の言うことをコロリと信じて現金や銀行のキャッシュカードを渡してしまうのか。

 息子が事故を起こした、孫が会社の書類を紛失した、だから金を用意してくれ?
 医療還付金をATMで受け取れる?
 あなたのカードが不正に使用されているからカードを交換する?

 そんな口実に騙されてはいけませんよ、見ず知らずの他人に金を手渡す前に家族に確認しなさいよ、警察官や銀行員がカードを預かることなど絶対にありませんよ…、NHKの好感度の高い女子アナが繰り返し繰り返し報道しているのを一度も見たことのない高齢者ってそんなに多いのでしょうか。それとも詐欺師ってそんなに簡単に高齢者を手玉に取ってしまえるほど口が立つんでしょうか。

 まあ、こんなことを書いてる私自身が明日にはコロリと騙されてしまうかも知れないから、あんまり大きな口を叩くことは控えますが、私はとにかく何でも一応は疑うことにしています。オレオレ詐欺ばかりではありません。最近世上を騒がせている旧統一教会問題、先祖の霊の恨みや苦しみを解くために教団に金を寄付しなさいと言われて、破産するほどの大金をホイホイと教団に差し出す前に、何世代前の、何という名前の先祖が、どんな事で苦しんでいるのか、何を恨みに思っているのか、それを
具体的に説明させておいて、実際の戸籍などで事実関係を確認するまでは信じません。でもその事実が符合してたら恐いけど(笑)、私なら他の方法で先祖を助けますね。あの世の先祖がこの世の金で助かるはずはありませんから。

 もっと難しいのは新型コロナワクチンみたいな問題です。ワクチンを打っておけば感染を防げないまでも重症化は予防できるのか、ワクチンなんか打っても効果がないか副反応で却って大変なことになるのか、どちらが私たちを騙しているのか。いや“故意に騙している”というのは言い過ぎですが、ワクチンを接種するかしないか、どちらかの言い分は“より大きな危険”を私たちに強いることになります。

 ワクチン接種によるメリット(感染率や重症化率の低下)はデメリット(副反応の出現率)をはるかに上回っていると信じるに足る統計学的な根拠が示されてますから、私はこちらの言うことを聞いていますが、ワクチンを接種してはいけないと主張する反対派の言い分にも耳を傾けています。ワクチンで変なDNAを入れられるとか、人類の遺伝子を改変する陰謀だとか、荒唐無稽な反対論はともかく、ワクチンの主要成分であるmRNAを包む膜成分で発がん率が高まるなどと一見医学的な主張もありますからね。しかし実用化後まだ1年2年の短期間の観察では発がん率の評価はできません。まあ、今回のmRNAワクチンは新機軸のメカニズムであり、その開発が自分の手柄でなかったことに嫉妬している医師や科学者もいることを知っておきましょう。

 しかしこれはあくまで現時点での論点であり、10年20年の長期間で観察した場合、mRNAワクチン接種者は非接種者に比べてある種の悪性腫瘍の発生率が高くなるという統計学的データが出る可能性が絶対ゼロであるという保証はありません。現時点で新型コロナ感染による重症化や死亡を抑えるか、10年20年後に起きるかどうかも分からない悪性腫瘍のリスクを回避するか、確かにこれはオレオレ詐欺やカルト集団の搾取を防ぐよりもずっと難しい問題です。

 とにかく何でもかんでも疑う人間は可愛げが無くて他人から好かれないかも知れませんが、変な物に引っ掛かるリスクを減らして身を守ることはできますね。どんなに真実っぽく語られても1回は理性で疑うこと、これを習慣にしてみて下さい。私もこのサイトでずいぶんそんな記事を書いてきました。
 4次元は縦・横・高さの次は時間ではないとか、田沢湖ユースホステル前は急行バスが停まらなかったとか、死後の毛髪が伸びないというのはウソとか、海上自衛隊のカレーは旧海軍の伝統ではないとか、私もけっこう可愛げがないことを反省してます(笑)。

 騙されやすい人は心理的に可愛げのある人ですね。目の前にいる人を信じてあげたい、その人が神様に縋りなさいと言えば、いるかいないか会ったこともない神様を信じてしまう、家の玄関に来た人が警察官だと言ったら疑っちゃ失礼だと思ってしまう、雑誌やネットに立派なことが書いてあれば、ああスゴイと感心してしまう、私にはそれができないから愛されない…(笑)。


データの継続性

 私がこのサイトで新型コロナウィルスの感染者数の推移を考察する時によく引用させて頂いたサイトが、更新を停止したようです。東京都のデータも今年(2022年)の9月20日をもって終了しています。

 このサイトのグラフの特徴は、新規感染者総数の推移だけでなく、ご覧のようにグラフの縦棒が各年齢層の比率によって色分けされていて、黄色からオレンジ色の暖色系が壮年から若年を表し、私たちのような高齢者は青色から紫色の寒色系で表されているので、それぞれの時期でどの世代が感染の中心になっているかが一目瞭然なのですね。

 たとえば第6波も第7波も(後半部2つの大きな波)、立ち上がりは黄色っぽい色で始まり、ピークを過ぎるあたりから青が目立って増えてくる。つまり社会的に行動半径の広い若年から壮年の人々が新たな感染の波を広げ、それが高齢者へも拡大していく、よく報道番組などで専門家が解説していることですが、難しい理屈を聞かなくてもこの色彩豊かな棒グラフを眺めているだけで、そういう感染流行の潮目が分かります。

 新規感染者数でも何でも数字のデータがあった時、統計学などという面倒くさいツールを使わなくても、グラフを描くだけで物事の真相や実態が直接的に頭に入ってくることが多い。私は医学部の学生だった頃、当時の小児科学教室の小林登教授の部屋で関東甲信越地区の小児がん登録のお手伝いをさせて頂いたり、病理に移ってからは浦野順文教授の下で全国の病理解剖データの解析作業などを経験しており、こういうグラフを眺めながら物事の実態を把握する作業は比較的慣れていました。

 年齢ごとの推移までを見通せるこのサイトのグラフは、かなり抜群にセンスの良い方がデザインされたのだろうとかねてから感心していて、何か気になることがあると常に参照させて頂いていましたから、今回更新が停止されてしまったのは残念です。

 ところで今回は何が気になっていたかというと、第6波から第7波へ移行する部分が、第7波が終息してくる部分と似ているように見えたこと。しかしいつものサイトは更新が停止してしまったので、とりあえず厚生労働省のサイトで該当部分を見てみましょう。

 こちらのサイトのグラフでも、やはり当初からの新型コロナ感染症の推移が一目で分かりますね。第1波や第2波などは、あんなに大騒ぎして恐れたのがウソかと思えるほど、今から思えば感染者数は少なかった。昨年後半の第5波をやり過ごした後は、新規感染者数は激減してしばらく小康状態が続き、やれやれ、これで新型コロナの流行も終了かと安堵したのも束の間、今年(2022年)になって第6波、第7波と巨大な波を2つも食らう形になりました。

 それで私が気になったのは第6波が終息してきた時期(グラフの
青丸で示した部分)、これで第5波同様、東京都における新規感染者数もどんどん減っていって再び小康状態に至るかと思っていたところ、夏前あたりから新規感染者数が前週の同じ曜日を上回る日が多くなってきた。休日による検査のタイミングの関係でそういうことが1度や2度あっても別におかしくはないが、増えたり減ったりがほぼ一進一退、これは第6波の“下げ波”と第7波の“上げ波”がせめぎ合っているのかとハラハラしていたら、案の定、第7波の急峻な起ち上がりがそれに続いたのです。

 そしてその第7波も終息してきた今回(グラフの
緑丸で示した部分)、10月に入った頃からやはり同じような一進一退現象が見られるようになりました。これがまた急峻な起ち上がりに続く第8波の始まりでなければ良いが…と危惧しています。もし第8波の始まりであれば、今年は第6波・第7波・第8波と巨大な波の連続攻撃に晒されるわけですが(まさにウィルスの波状攻撃)、一進一退現象が第6波の終わりの時より高いレベルで見られることから第8波は第7波よりも大きな波になる恐れもありますし、あるいは第6波・第7波と巨大な波を2つ経験した東京都民が集団免疫を強化していて小さな波でやり過ごせる可能性もあります。

 第8波がどうなるか、私なりに予想しようと思っていつものサイトを開いたわけですが、先ほども書いたとおり更新が停止されていました。サイトの管理者によると、更新停止の理由として各都道府県ごとにデータのフォーマットがバラバラであり、定められたフォーマットでデータをオープンにしている都道府県が一部に限られていることを挙げられていました。これでは全国一律の基準でデータをまとめる作業も非常な困難を極めたことでしょう。関係者の御苦労は察するに余りあります。

 感染症の対策ばかりでなく、最悪な事態としては戦争や環境汚染、もっと普遍的なものでは技術の革新や普及、医療分野での治療成績、生徒や受験生の成績向上など、年月単位で経時変化の把握が必要な事項では、今回のようなグラフを作成して解析することが大事ですが、有効なグラフの材料となるデータには年余にわたる均一性が求められます。さらにそのようなデータは非常に多数の関係者によって収集されることがほとんどですから、データを記載するフォーマットは誰でも簡便に使用できなければいけませんし、長期間にわたって一定の基準が継続されなければいけません。

 ところが、こういう個々のデータを作成する最前線の現場と、集まってきたデータを解析するチームとの間に、抜き差しならない意識の断絶があることが問題なのですね。今回の新型コロナの場合で言えば、コロナの患者さんの診療に当たる医療現場や、それらのデータを集計・記載する保健現場では日々の超人的な業務に追いまくられていますから、そんな中央の解析センターでコンピューターの前に座ってデスクワークしている人間の便宜のために、いちいちデータのフォーマットの統一なんかに気を配ってられないよという気分になる。また新型コロナに関する知見も集積されていくから、先月まではこういう基準でデータをまとめたが、その基準はもう古くなっちゃったから、今月からは新しい基準でデータをまとめるべきだということも起こり得る。

 私がかつて病理診断を担当していた現場でも、例えばある腫瘍の治療方針を決めるに当たって、腫瘍がどこまで広がっていたらこの治療法で行く、というようなことを全国的に比較するために、外科や放射線科や病理などが寄り集まって、各腫瘍ごとに『○○癌取り扱い規約』というようなガイドブックを出版しています。ここまで進行した腫瘍にはAという治療法とBという治療法、どちらが治療効果が高いかを検討するために、全国各地からできるだけ多くの症例を集めて解析しようという主旨なのですが、何しろ日進月歩の診療現場のことですから、この『取り扱い規約』が3年とか5年とか短い期間で改訂されてしまうことがある、そこで病理診断基準までが変わってしまったり、より細々とした分類になってしまったりすると、もう10年単位での治療法の比較が不正確になってしまうのですね。

 どちらかと言うと、前線の診療現場ではより細かい精密な分類基準を欲しがる、一方のデータ解析担当者にしてみれば、分類はできるだけ大雑把で融通の利くものが望ましい。例えば100件の症例を検討する場合、大雑把に50件50件の2群に分類してくれた方が、20件ずつ5群に分類してあるよりも、統計学的には意味のある解析結果を導き出せます。まあ、この現場視点と解析担当者視点のバランスが問題なわけですが、そのあたりのバランス感覚を磨く教育こそが今後の意外な急務かも知れません。


危険の予知と危機管理

 今年(2022年)ハロウィーン前々夜の10月29日、韓国ソウル市内繁華街の梨泰院(イテウォン)で信じられないような悲惨な群衆事故が起こった。新型コロナ感染症による規制が3年ぶりに解除されたことで周辺には10万人を越える若者たちが繰り出しており、2つの大通りを結ぶ狭い坂道に殺到して身動きが取れなくなった大群衆が呼吸さえできなくなって150人以上が亡くなったという。日本でも2001年夏に明石で花火大会が行われた際に歩道橋で11人が圧死した事故があったが、それをはるかに上回る大惨事に言葉もない。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりだ。

 1平方メートルに10人以上の群衆が殺到すると、人体には200キロから300キロ近い力が加わり、身動きどころか胸郭を動かして呼吸することもできなくなって窒息してしまう。事故現場から辛うじて救出された人たちの何人かが、自分の脚や腹部に残された強烈な赤アザの画像をSNSに上げていらしたが、まさに“群衆の圧力”をまざまざと伝えていて私は戦慄した。

 梨泰院はたぶん私も訪れた街。これまでたった一度だけ訪れた韓国は、どこのどんな場所に宿泊したかさえすっかり忘却の彼方であったが、梨泰院の“梨”という字に地下鉄の駅名が思い当たり、さらに報道される事故現場の簡略な地図で読み取れる地形から記憶が呼び覚まされた。ホテルは地下鉄の駅の出口に近く、ハングル風ではない英語的な名前だった。まさに今回の群衆事故が起こった路地に面するホテルこそ、約20年前に私が宿泊したホテルではなかったか。

 そんなことはどうでも良いのだが、今回の悲惨な事故が起きる数時間前から、現場は大変なことになっているという通報が10件以上警察に寄せられていたらしい。地下鉄の出口がある下の通りから坂道に登って行こうと押し寄せる群衆と、飲食店が多く立ち並ぶ上の通りから坂道を下ろうとする群衆がぶつかり合って身動きが取れなくなり、“圧死”しそうだから群衆を整理してくれという悲鳴に近い出動要請だったという。

 しかし警察の対応があまりに遅く不十分だったと現地のメディアは批判を強めている。確かに11件の通報に対して4件しか警官が対応しなかったとか、出動した警官の数が不足だったとか言われているが、現地警察にこの点を責めるのは少し酷ではないか。

 事故が起きる前に多数の警官隊が出動したとしても、1平方メートルに10人も15人も人間が詰め込まれている空間にどうやって警官が進入して群衆を整理できるのか。坂道の出入口から群衆を順次かき分けるにしても、かなり暴力的な排除になると思われる。混雑する人々の中に警官隊が“突入”してきてハロウィーンを楽しむ若者たちを強制的に排除していったら、群衆もメディアも後から何と言うだろうか?
「警官隊は体を張って群衆事故を未然に防いでくれました」
と言うか、
「国家権力は祭を楽しむ若者たちに横暴に襲いかかった」
と言うか。

 我々は基本的に国家権力によって自由を規制されることを好まない。だから事故や事件が起きる前に“未然に”権力をふるわれたら嫌悪を示すに違いない。ただし一旦事故や事件が起こってしまえば人々やメディアの反応は逆転する。国家権力が“適正に”権力を行使しなかったから最悪の事態を招いたと…。

 しかし特に自由主義国家における国民やメディアは身勝手なものだからといって、国家権力がこういう事故が起きるのを予見して防止する努力を怠ってはいけない。今回の韓国の警察が責められるべきはまさにこの点だ。

 もう現場の群衆が膨れ上がってからの通報に十分対応できなかったのは、ある意味で不可抗力とさえ言えるかも知れないが、群衆が制御不能なまでに膨れ上がる危険が予見されていながら、その予防に全力を尽くさなかったことこそ最大の落ち度だ。そういう事態を回避するために市民から権力を信託されているのが警察であり、行政であり、最終的には大統領であろう。その信託を裏切ったのである。

 しかし危険の予知と危機管理こそ上に立つ者にとって最も難しいものだ。うまく行っても人々から賞賛されることは絶対ないし、失敗すれば必ず非難の矢面に立たされる。その覚悟のひとかけらも無い人間が権力など握るべきではない。

 未然に災厄を防ぐということは自分の手柄にならないということ。別の記事にも少しだけ書いたが、東日本大震災で航空自衛隊の松島基地司令官は津波の迫る基地に戦闘機を残したまま総員退去を命じ、高価な機体をむざむざ水没させた。もし無理やり離陸させれば損壊した滑走路で墜落してパイロットは死亡したかも知れないが、もしかしたらうまく離陸できて機体も保全できたかも知れない。どちらになるかは永久に分からないが、確実なことは惨事が起きれば無理な離陸を責められ、惨事が起きなければ機体を水没させたと責められる。

 今回のソウルの群衆事故も、韓国警察が適切な初動で未然に事故を防いでいてもメディアが賞賛することもなく、却って『ハロウィーンの横暴な過剰警備』と非難されたであろう。危機管理の全権を握る者は、うまく行って当たり前の任務であることをよくよく心に銘じ、あらゆる非難に甘んじる覚悟を新たにすべきである。


カタールの歓喜の歌

 2022年11月から12月にかけて、カタールでFIFAサッカーワールドカップが行われていますが、ことサッカーに関してはワールドカップ(Wカップ)はオリンピック以上に盛り上がりますね。ちなみにFIFAとは国際サッカー連盟(Federation Internationale de Football Association:フランス語表記)のことだそうです。

 サッカー日本代表の大活躍もあってもちろん日本でもサポーターを中心にすごい熱狂です。1964年の前回東京オリンピックでは“サッカー”という言葉もない、公式の競技日程表では“蹴球”と記載され、大宮蹴球場、三ツ沢蹴球場、駒沢陸上競技場、秩父宮ラグビー場の会場は閑古鳥が鳴くので、観客席を埋めるために地元の小中高校生が動員されたなどという時代とは隔世の感があります。なお国立競技場では予選1試合と3位決定戦と決勝戦の3試合のみが行われました。

 ついでに当時の出場国を日程表の登場順に列記すると、ハンガリー、モロッコ、ユーゴスラビア、北朝鮮、ドイツ、イラン、メキシコ、ルーマニア、ブラジル、アラブ連合、アルゼンチン、ガーナ、チェコスロバキア、韓国、メキシコ、日本の16ヶ国で、どの国も中一日のハードなスケジュールで予選リーグから準々決勝、準決勝までを戦っています。ただし北朝鮮は不参加、イタリアは棄権、決勝戦ではハンガリーがチェコスロバキアを破って優勝しました。

 1964年のオリンピックでは初代Jリーグチェアマンの川淵三郎さんがフォワードとして出場していますが、こういう「蹴球時代」からの多数の先人たちがJリーグを起ち上げ、若手選手を育成し、青少年に“サッカー”の夢を広め、興行的な幅も充実させてファン層を獲得していった諸々の努力が、サッカーをプロ野球や大相撲に並ぶ日本のスポーツとして定着させ、世界とも互角に戦える代表チームを送り出せるようになったのだと思います。

 今回のカタールでのFIFAワールドカップ、FIFAランキング24位の日本は予選のグループリーグE組、ランキング7位のスペインと11位のドイツの強豪2ヶ国と同じなので、正直ほとんどの人が決勝トーナメントに勝ち抜けるのは至難のワザだろうと内心の本音では半分諦めていたと思いますが、初戦でドイツに2対1と逆転勝ち、第2戦ではランキング31位のコスタリカに0対1と敗れたものの、グループ最終戦でスペインに再び2対1と逆転勝ちして見事に首位で決勝トーナメントに進みました。サッカーに多少でも関心のある人たちは日本中大騒ぎ。

 日本の属したE組はドイツ、スペインとヨーロッパの強豪2ヶ国も参戦するので“死のグループ”とまで言われましたが、最後の最後まで大混戦、私も最後のスペイン戦はリアル中継でハラハラしながら観戦していましたが、同時進行するドイツ−コスタリカ戦の結果次第では、日本とコスタリカが勝ち抜ける超大波乱まで起こり得る時間帯が後半途中にあったほどで、終盤2対1でリードしていても、もしスペインに1点返されて引き分けてしまえば決勝進出できないという緊迫した展開になり、私は『ドーハの悲劇再来』という不吉な見出しさえ頭を過ぎりましたね。1993年に同じカタールのドーハで行われたワールドカップアジア地区最終予選では、日本代表はロスタイムでイラク代表チームに1点返されて2対2の同点に持ち込まれ、初のワールドカップ出場を土壇場で逃した悲劇の地がドーハです。開催国カタールといい、得点2対1といい、まさにあの時と同じ状況。

 手に汗を握ってアディショナルタイム(ロスタイム)が早く終わってくれと祈りながらテレビを観ていましたが、終盤のスペインの猛攻もしのぎきって日本勝利、見事決勝トーナメント進出を決めてくれました。選手、監督、コーチはじめ関係者の皆様、おめでとうございます。

 コロナ、円安、国際情勢と暗い話題の多い昨今、大リーグエンジェルスの大谷翔平選手やヤクルトスワローズの“村神さま”がシーズンオフになって、誰が次の明るい話題を持って来てくれるかと待ちわびていたところへ、ドイツ、スペインとヨーロッパの強豪を連破しての決勝進出でした。森保監督はじめ選手の皆さんはまだまだこの上を目指すと意気軒昂ですが、とりあえずもうこの段階でありがとうと言うべきでしょうね。

 年末まではまだ少し間がありますが、まさに日本列島中でベートーベン第九の歓喜の歌が鳴り響いているような状況。しかしシラーの詩によるあの『歓喜の歌』の合唱の歌詞には意外に冷たく響く部分があるんですね。

 
無二の友を得た者 心優しき妻を得た者は歓喜の声を合わせよ
 地上に一人だけでも心を分かち合える魂がある者も歓呼せよ
 どうしてもそれができなかった者はこの歓喜の輪から泣く泣く立ち去るがいい


この部分は日本人の心情からいうと何となく割り切れないものがあります。そういう寂しい者たちも歓喜の輪に誘ってあげようよという気持ちも普段ならあるんですが、今回のFIFAワールドカップで日本代表がドイツ・スペインを破って決勝進出を果たした歓喜の輪に限っては、ここから泣く泣く立ち去って欲しい人間たちがいます。

 グループリーグ第1戦で強豪ドイツを破って世界中が驚いた、さあ、次の第2戦は“格下の”コスタリカ、これも蹴散らして早々に決勝リーグ進出を決めて欲しい、最後のスペインは強豪だから、ここで決めておかないと十中八九グループリーグ敗退が決まってしまう。おそらく日本中の大半の人々が本音ではそう思っていたでしょう。

 ところがコスタリカにワンチャンスをものにされて0対1で負けてしまった。さあ、そうなったらSNS上に実に醜い投稿をする者が何人も出現した。ドイツ戦勝利の直後は「勝った、勝った、ニッポンすごい」と、自分がシュートを決めたわけでもないくせに夜郎自大に驕りたかぶって大騒ぎしていたに違いない連中が、コスタリカに負けた途端、掌を返したように森保監督の采配を批判する、自陣ゴール前からボールを蹴り出す(クリアする)際にミスしたとされる選手を口汚く罵る、そんな投稿が幾つも見られました。

 そいつらもスペイン戦に勝利した時には、つい1日か2日前には自分の指先が選手や監督の心にグサリと突き刺さる凶器のような言葉を紡ぎ出したことも忘れて、何食わぬ顔で歓喜に加わろうとしているでしょうが、私はこういう連中こそ歓喜の輪から泣く泣く立ち去って欲しいと思いますね。そういうSNS上の誹謗中傷によって自ら生命を絶つほど追い詰められたスポーツ選手や芸能人のことは何人も報道されていたにもかかわらず、自分が空想しただけの身勝手で独り善がりな試合結果が得られなかった矮小な腹立ちを紛らわすために、監督や選手を誹謗中傷するなんて、いったい自分は何様だと思ってるんでしょうね。自分の卑劣な根性を悔いて、さっさと泣く泣く立ち去るがいい。


スポーツ大国ニッポン

 2022年(令和4年)もまもなく暮れようとしていますが、今年一年を漢字一文字で表現する「今年の漢字」という年末恒例の企画、2022年は『
』だそうです。この漢字が選ばれたのは2022年が初めてではなく、2001年、同時多発テロで世界中が戦争モードになり、狂牛病や炭疽病など疾病との戦い、世界的不況との戦い、大リーグでのイチロー選手や女子マラソンの高橋尚子選手らスポーツの戦いなどが注目された年もまた』でした。「歴史は繰り返す」という格言をまざまざと思い出させますね。

 ちなみに「今年の漢字」は日本漢字能力検定協会が全国からの投票に基づいて1995年から選定しているもので、2回以上選ばれた漢字は』の他にも、2004年と2018年の『
』と、2000年と2012年と2016年と2021年に何と4回も選ばれた『』があります。

 』はまだスポーツなどポジティブな戦いも含まれるので救いがあるが、『
』はいやですね。2004年も2018年も台風や豪雨や猛暑や地震などの“災害”が目立った一年だったということですが、最近では日本ばかりでなく世界中で異常気象や火山噴火や地震が起こっているような気がする。ただ「今年の漢字」第1回の1995年は阪神・淡路大震災の年ですが』ではなく『』、第17回の2011年は東日本大震災があったが『』が選ばれています。

 さて今年の漢字の』、言うまでもなく愚かな大国によるウクライナ侵略
争が筆頭に上がるのでしょうが、他にも新型コロナとのい、円安や物価高による不況とのいなど、暗いニュースが続きました。せめて1年の最後くらいは明るいスポーツのいで締め括りたいと思います。

 対テロ戦争の2001年の時も、イチロー選手が大リーグでアジア人初のシーズンMVP獲得、高橋尚子選手がベルリンマラソンで女子初の2時間20分突破など、明るいスポーツの
いが報じられましたが、今年(2022年)もまた日本人選手の国際的な活躍が目立った1年でした。

 記憶に新しいところでは12月に閉幕したカタールでのFIFAサッカーワールドカップ、日本代表チームはグループ予選リーグE組で強豪ドイツとスペインを破り1位で決勝トーナメント進出、惜しくもクロアチアにPK戦で敗れてベスト8進出は逃しましたが、世界の注目を集めた実に見事な戦いぶりでした。共に決勝トーナメントに進み共に1回戦で敗れた韓国などは、今までアジアの強豪を自負してきたが、ここへきて日韓の実力が逆転したことを潔く認めて素直に賞賛するコメントも寄せられているようです。

 クロアチア戦では延長まで戦って互いに譲らず、最後はPK戦で涙を飲んだわけですが、これは今大会3位だったクロアチアと引き分けと言ってもおかしくない結果です。PK(ペナルティキック)はキッカーとゴールキーパーの1対1の差しの勝負、どちらも物凄いプレッシャーだと思いますね。

 セットされたボールをキッカーが蹴るまでゴールキーパーは動いてはいけない、相手の蹴るボールが左右正面のどこへ飛ぶかをあらかじめ予測しておいて瞬時にその方向へ跳んで対応するわけですが、この個人技の駆け引きで日本選手はクロアチア選手よりほんのちょっとだけ素直すぎたかな、というのが私の勝手な感想です。

 クロアチアにPK戦で敗れた途端、またぞろ例によってSNS上では「PKヘタクソ」などと心ない書き込みも一部に見られましたが、やはりこれはウマイとかヘタの問題ではなく、伝統の重みの違いでしょう。多くのサポーターが賞賛するとおり、日本はクロアチア相手に良く戦った、ヨーロッパの強豪をPK戦まで追い詰めて苦しめたわけですから…。しかし最後の最後で相手の伝統の重みにわずかに及ばなかったと言うのが正しいと思います。伝統チームの選手はたぶんPK戦の勝ち方も身についているのではないかな。

 スポーツの伝統というものは一朝一夕に積み上がるものではありませんが、日本サッカーももうかなりの伝統を積み上げてきている。事実、1993年のアジア地区最終予選ではイラク相手にロスタイムで失点、引き分けに持ち込まれて初のワールドカップ本大会出場を逃して“ドーハの悲劇”と呼ばれましたが、4年後のフランス大会には念願の初出場、さらに4年後、2002年の日韓共同開催大会以降はグループ予選リーグを勝ち抜けて決勝トーナメントの常連に名を連ねるようになり、世界の強豪からも一目置かれる存在になりました。こういう伝統を積み上げていけば、いつかは日本代表がベスト8以上で優勝候補に挙げられる日も必ず来るでしょう。

 同じことは野球でも言えます。野球はまさに日本人に最も馴染んだ球技ですね。「蹴球」がサッカーになり、「籠球」がバスケットボールになり、「排球」がバレーボールになり、「闘球」がラグビーになり、「庭球」がテニスになっても、「野球」だけはベースボールになる前にしっかり「野球」として日本に定着している。(「卓球」もそうだが…)

 そんな準国技でも、王貞治選手がシーズン公式戦通算ホームラン868本を記録して大リーグのハンク・アーロン選手の755本を抜いた時でも、アメリカの反応は一応数字に敬意は表しつつも、どうせ日本プロ野球という“マイナーリーグ”の記録でしょという冷ややかなものでした。それが野茂英雄投手がトルネード旋風を巻き起こし、イチロー選手や松井秀喜選手が打者としても超一流の成績を残し、極めつけは大谷翔平選手が投打二刀流であのベーブ・ルースにさえ匹敵する伝説を作るに至ると、もう誰も日本のプロ野球を軽く見る人はいなくなりました。ロッテの佐々木朗希投手が完全試合を達成し、ヤクルトの村上宗隆選手がシーズン最多ホームランの日本人記録を更新すると、まだ大リーグにお目見えしたわけでもないのに、すでにアメリカ球界からも熱い視線が注がれているようです。それが伝統の積み重ねというものでしょう。

 個人技のスポーツでも、日本人の体型や体質を克服して世界レベルに飛躍した典型がアイス・フィギュア・スケートです。20世紀の頃は日本人選手がいくら背伸びしても“弥生人体型”(要するに脚が短い)ではロシアやカナダやヨーロッパ諸国の選手相手に苦戦ばかりしていた。

 ズングリ体型だが女子離れした力強いジャンプで外国人に食らいついていた伊藤みどり選手がコケるとチーム全体もコケてしまっていた女子フィギュアでしたが、天才少女として世界が注目していた浅田真央選手がまだ年齢制限で出場できなかった2006年のトリノ冬季五輪でも、荒川静香選手が優勝するなど選手層が厚くなってきた、さらに先日の日本選手権では世界選手権女王の坂本花織選手やグランプリ・ファイナル女王の三原舞依選手と並んでまだ中学生14歳の島田麻央選手が表彰台に上がりました。

 男子フィギュアもオリンピック連覇の絶対王者羽生結弦選手がプロ転向しても、宇野昌磨選手など次の若手世代が世界と互角に戦える実力を示している。本当に20世紀の頃には考えられなかったような躍進ぶりです。驚いたのは日本人スケーターにはまず無理だろうと思っていたペアやアイスダンス、男子選手が女子選手の脚や腹部に手を添えて投げたり持ち上げたり、こんな競技は欧米選手にしか極められないだろうと思っていたら、何とペアの三浦璃来・木原龍一ペア(グランプリ・ファイナル優勝)とか、アイスダンスの村元哉中・高橋大輔ペア(四大陸選手権2位)とか国際舞台でも凄い活躍です。

 サッカー、野球、スケート以外でもバスケットボール、バレーボール、カーリング、スキージャンプ、ボクシング、ゴルフ、柔道など国際的にもトップクラスの活躍をする日本人アスリートの話題は豊富です。まさにスポーツ大国ニッポンの面目躍如ですが、国際スポーツの世界は栄枯盛衰も大きいです。スポーツ界の指導者が青少年世代の育成や現役選手の強化に失敗すれば、どんな競技でも栄光の舞台からたちまち滑り落ちることは、10年ほど前のシンクロナイズドスイミングの例を見れば明らかです。おそらく国際舞台の頂上で戦えるようになるまでに10年20年30年という長い強化期間が必要でしょうが、転落するのはわずか数年で十分か。日本のスポーツ界のリーダーたちは油断せずにファンやサポーターの夢を守って欲しいものです。

 それから何と言っても今年の漢字『』ですが、いつまでもこういう明るいスポーツの『
』であって欲しいと願いますね。ロシア人アスリートなどは国の指導者が愚かなばかりに、こういう国際スポーツの舞台から完全に締め出されてしまっているわけですし…。


ああ年賀状 2023年編

 ちょうど10年前の2013年の新年にも、ああ年賀状と題して記事をアップしましたが、あれから10年、年賀状の風習はまだ我が国に根付いたままです。しかし多くの国民が、やっぱり年賀状なんて面倒くさいな、SNSも充実してきたんだからそっちに乗り換えてもいいんじゃないか、なんて本心では考えているようで、昨年末には例年になく“年賀状じまい”がマスコミなどで話題に上ることが多かった。

 不埒なのは、住所録を預けてくれれば、あるいは前年の年賀状の束を持って来てくれれば、印刷から宛名書きまでの全過程を請け負いますよというCMが幾つも流れたこと。まあ、需要があればそういう商売を考える人がいてもおかしくないけれど、私が不埒だと思うのは、郵便局までがこの商売に参入してたことです。年賀葉書の束を売りつけるために、そういう付加価値をつけるということでしょうが、年賀状ってそういうものなのかい?儀礼のための必需品として義務的にイヤイヤ投函するものという概念を郵便局が煽ってどうするの?

 私の周囲でも、高齢になったから、または大病を患ったのを機に、などという理由で“年賀状じまい”をされた方がこの10年間に何人かいらっしゃいました。それまでの交誼を謝し、これからもよろしくと心のこもった文面で最後の年賀状を下さった方がほとんどでしたが、ちょっと常識を疑ったのは「定年退職したからもう来年からは出さないよ」的な物言いで一方的に年賀状を打ち切った先輩医師が2人もいたこと。以後年賀状を書く季節を迎えるたびに、ああ、つまらない人と賀状の交換を続けていたものだと悲しく思い出しています。

 私は10年前にも書いたとおり、自筆での宛名書きという脳トレを自分に課すためもありますが、やはり何年も会ってない相手であっても、その方と過ごした大切な時間を1年に1回でも思い出す瞬間があるのは貴重なことという想いが10年前よりも強くなってきており、これからも意識があってペンを持てる以上は人生の最後まで年賀状を出し続けようと思っております。

 年賀状は単なる“生存報告”であるかも知れないけれど、そこに何か近況めいたことが2言3言でも記されているだけで、ああ、あの人も元気なんだと嬉しくなる、これは若い頃にはほとんど気付きませんでしたね。

 さて今年頂いた年賀状には異変が感じられました。年末に自分や家族がコロナに感染して大変だったという近況を知らせて下さった人が何人もいらしたことです。また毎年必ず年賀状を下さっていた人が今年に限って来ていないということもありました。コロナに罹って入院されていたと聞いていたので、体調が万全でなくなったのかなと心配しています。

 さらに昔の同僚や部下、教え子の卒業生など医療従事者の人たちからは現場の逼迫がそれとなく窺い知れるような文面もありました。これらはコロナ禍以降の一昨年や昨年の年賀状には無かったことです。確かに1年前2年前は新型コロナは正体不明の恐ろしい感染症という認識はあっても、感染する人の絶対数は今ほど多くなかった。しかし流行3年目となった昨年頃からは感染者数は爆発的な勢いで増加し、あの人もこの人も感染したという話があちこちから伝わってくるようになりました。そういう状況が今年の年賀状の近況報告に反映されているのでしょう。

 コロナウィルス自体の毒性が低くなって重症化する人の率は大幅に減ってきており、「コロナなんかただの風邪」と言い切る人も少なくありません。新型コロナというロシアン・ルーレットのピストルに弾丸が装填されている確率は1〜2年前に比べれば圧倒的に少なくなっていますが、弾丸が少ない、すなわち重症化や死亡の危険が少ないということは、自分の頭に向けて引き金を引いても、すなわちコロナに感染しても絶対安全ということではありません。不幸にして弾丸が入っていた場合、そのロシアン・ルーレットに負けた人に降りかかる運命はその人の人生にとって100%の確率の事象になります。

 後遺症も恐い。私は介護施設や福祉施設の職員さんたちの健診も行っていますが、自ら感染しないようにワクチンも打ち、人混みにも近づかず、人一倍感染に注意を払っているそういう方々でさえ感染して、後遺症に悩まされている現状を目の当たりにしています。また若いのにほとんど寝たきり同然になってしまった人の話も聞きます。

 経済を回して元通りの日常を取り戻すために、我々日本国民は政府の方針に従って行動制限のない夏休みから年末年始を過ごしてきたわけですが、それはそれとして、一昨年や昨年頃までのコロナに対する警戒だけは心のどこか片隅に留めておいて欲しいですね。


はないちもんめ

 今回はまだ幼稚園児だった幼い頃の他愛もなくホロ苦い思い出の話です。

 今年(2023年)の冬、テレビのコマーシャルで流れる明るい歌声にふと幼かった日のことを思い出しました。そのコマーシャルは『バイトルアプリ』という仕事・アルバイトを検索するアプリのCMなのですが、ご覧のように今をときめく女性グループアイドル乃木坂46のメンバー10人が、それぞれ
赤組紺組5人ずつに分かれて歌っています。

 まず
赤組
 
時給上がって嬉しいバイトルアプリ♪
と歌いながら横隊で前進すると、
紺組は後退して行く。次に紺組
 
ホントに上がるの?バイトルアプリ♪
と歌いながら逆に押し出してくると、今度は
赤組が後退して行く。最後に両組揃って
 
バイトル見よう そうしよう♪
 上ーがった!

で完結する15秒CMなのですが、このメロディーは私たちが幼かった頃に幼稚園などで遊んだ“はないちもんめ”という遊び歌の替え歌なんですね。

 “はないちもんめ”は“花一匁”、“匁
(もんめ)”は質量の単位でもあるが、貨幣単位として使うことが多く、1匁はだいたい現在に換算して1250円くらいだそうで、“はないちもんめ”という子供の遊びは、そのくらいの価格で花を売り買いする情景を表したもの。しかしネットなどで調べると、そこには子供時代には想像もしなかった残酷で恐ろしい意味があるとのことです。

 “はないちもんめ”は
ABのそれぞれほぼ5〜10人ずつの2組に分かれて始まります。

 
となりのおばさんちょっと来ておくれ♪

と歌いながら
A組が押し出して行き、B組は後退する。

 
鬼が出るから行かれない♪

と今度は
B組が押し出して行き、A組は後退する。以下同様にそれぞれ前進と後退を繰り返します。

 
布団かぶってちょっと来ておくれ♪
 
布団ないから行かれない♪
 
鉄砲かついでちょっと来ておくれ♪
 
弾がないから行かれない♪

このあたりは時期や地域によってさまざまなバリエーションがあるみたいですが、

 
あの子が欲しい♪
 
あの子じゃ分からん♪
 
この子が欲しい♪
 
この子じゃ分からん♪
 
相談しよう そうしよう♪

この最後のところは乃木坂46の「バイトル見よう そうしよう♪」に相当するわけですが、ここでA組とB組はそれぞれ集まってゴニョゴニョ相談して、相手の組の誰を取るかを決めます。そして

 
○○チャンが欲しい♪(具体的な名前が入る)
 
△△チャンが欲しい♪

で代表者がジャンケンをし、勝った方の組は負けた方の組から指名した子を貰って

 
もーらった♪上〜がったに相当する部分)。遊びはここで再開し、

 
勝って嬉しいはないちもんめ♪ (相手から子を取った方)
 
負けて悔しいはないちもんめ♪ (相手に子を取られた方)

とどちらかの組が誰もいなくなるまで続きます。

 さて大人になった今なら何となく想像がつきますが、この“はないちもんめ”は人身売買を象徴する遊びだという説が有力なんだそうです。“花”は特に娘を表し、娘を1匁で売り買いする、親としてはなるべく高く売りたいし、人買いの女衒としては安く買いたい、そういう状況だそうです。残酷ですね。この遊びが始まったのはそんな昔の話ではなく、日本も貧しくて寒村で娘の身売りなどが行われていた明治・大正か昭和初期の頃、1983年度にNHKで放送されて世界的に有名になった連続テレビ小説『おしん』の舞台になった時代ですね。

 生活のために娘を手放した親の無念、良い娘を手に入れた女衒の満足、そんな残酷な世相の一面を何でもないように明るく歌い飛ばし、遊び倒してしまう“はないちもんめ”、子供向けの昔話や童話もそうですが、こういう童唄や遊びにもまた残酷なものがあります。世界を暗く覆う不条理な悲しみや憤りを昇華させる社会的な作用もあるのではないかと思いますね。

 確かに“はないちもんめ”で遊んでいて、自分の組にいた好きな女の子が相手の組に取られた時など、幼心に切ない胸の痛みを感じたものですが(笑)、私がこの記事の冒頭に書いたホロ苦い思い出というのはもっと別のことです。

 ネットで調べた時に、最近では“はないちもんめ”を禁止する動きもあるとのこと、この遊びはお互いに相手の組から誰かを選び、ジャンケンで取り合うわけですが、最後まで選ばれない子がいたら可哀そうだ、イジメにつながる恐れもあるから“はないちもんめ”は遊ばせちゃ駄目ということらしい。一理ありますね。他のネット記事でも“いじめられっ子”が最後まで選ばれずに泣き出してしまった思い出を投稿した人もいらっしゃいました。

 実は私のホロ苦い思い出とは、私自身が最後まで残ってしまった時のものです。まだ幼稚園に通っていた4歳か5歳のある日、みんなと園庭で“はないちもんめ”をしていました。私の組は受け持ちの先生を含めて数人いましたが、遊びを繰り返すうちに1人取られ、2人取られてどんどん人数が減っていく。普通にジャンケンをすれば一方的に負け続ける確率はそんなに大きくないはずですが、その日に限って私が最初に属した組は徹底的に負け続け、ついに私と先生の2人だけになりました。

 先生と手をつないで「鬼が出るから行かれない♪」と歌いながら、今や10人を越す大人数になった相手の組と対峙した時の不安や羞恥は今でも思い出せます。そして相手の組が最後に「先生が欲しい♪」と言った時の絶望と衝撃、私は選ばれなかった…!

 不幸にして私は最後のジャンケンにも負けてしまった。その後の記憶はありません。相手の組に取られた先生が駆け寄って来てくれたようにも思うので、もしかしたらネットに投稿があった子供のように泣き出していたのかも知れません。あれから私は小学校、中学、高校、大学、そして社会で医師として過ごしてきましたが、その長い人生の果てに、まだ心の底にホロ苦い思い出として残っている。イジメとか仲間外れというほどのことではなくても、それほどのトラウマだったのかなと、バイトルアプリのCMで甦った記憶にビックリしています。

 ではこれからの子供たちにこんなホロ苦い思い出を作らせないために、“はないちもんめ”のような遊びは禁止すべきかという話になると、それはちょっと複雑ですね。私もあれから学校生活、職業生活、いろんな目に会いました。本来なら私に回ってくるはずの役割を飛ばされた、どこのグループや派閥からも誘われなかった、誰も私には興味を持ってくれず他の人ばかり持ち上げられていた、そんな類のことはイヤと言うほど経験してきました。

 でもそんなことは“よくあることだ”と、誰にも愚痴を言うことなく平然を装って受け流すことができたのは、幼稚園時代の経験があったからだと今にして確信できましたね。つまり予防接種のワクチンみたいなもの、“はないちもんめ”で独りぼっちになった日の悔しさ、情けなさ、絶望、屈辱、怒り…、そういう諸々の感情が入り混じった心の痛みを思い出してみると、その後の日々で経験した不条理の際の気持ちとどこか似たところがありました。

 確かに幼稚園や小学校のまだ年端もいかない子供には傷つかない日々を楽しく送って貰いたいという大人の気持ちはよく分かります。でも子供にとってそういう楽園がずっと続くはずがないことを一番よく知っているのもまた大人ではないですか。もし私が幼少の日々を安穏に過ごし、私が誰からもスルーされてしまうという不快な体験をもっと成長してから初めて味わったとしたら、その衝撃は耐え難いほど強かったに違いないと思うと、あの幼少期の体験は今まで決して誰にも言えなかったけれど(このサイトが初めてです)、とても貴重なものだったような気がします。

 新型コロナやインフルエンザには重症化予防のためワクチン接種が推奨されていますが、将来の精神的な衝撃を受け止めるために“心のワクチン”もまた重要ではないかと感じた次第です。


まさかまさかの20年

 『10年という年月』というサイト開設10周年の記事を上げてから、さらに10年という年月が流れました。初めて自分のサイトをインターネットに上げた2003年2月11日から数えてもう20年目、ほぼ1ヶ月に4回のペースで徒然なる事どもをよくも書き連ねてきたものだと、我ながら自分自身の几帳面さと執着心に呆れたり感心したり…。

 奈良の旅日記にも引用した立原道造の詩『のちのおもひに』の中の、

 
そして私は
 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
 だれもきいていないと知りながら 語りつづけた…


という一節にあるとおり、私もまた“誰も読んでいないと知りながら書き続けた”ようなところもあると思っていたら、意外な人から「読みましたよ」とか「そうなんだってね」とか「更新を楽しみにしてます」などと反応を頂くことがあったり、見知らぬ方が運営するサイトに私のことが紹介されていたり記事が引用されていることもあって、やはりインターネットって凄いなと思うこともあります。

 20年間もこんなサイトを細々と続けて来られた理由を考えてみると、『淡々と』の一言に尽きますね。多くの読者の目に止まって有名になりたいとか(最近のYouTuber志願者みたいな気持ち)、せめて仲間内だけでも特別な話題になりたいとか、かつて私を無視した人々が運営していていつの間にか消滅した個人サイトを見返してやりたいとか、そういうドロドロした奥底の感情を抑えて“淡々と”書き続けられたこと、それが一番です。

 確かにドロドロした欲望や怨念がまったく無かったと言えばウソになりますが、そんなものを遙かに超越して私は書くことが好きだった。立原道造の詩の一節のように、見たもの聞いたもの感じたものを書き続ける、誰に読んで貰えなくても書き続ける、まさにそんな心境が大事だったんでしょうね。

 20年間ほぼ月4回のペースで更新を重ねれば約900〜1000個の記事になりますが、その幾つかを読み返してみるととても不思議です。あの記事はこんな昔に書いたのか、この記事はこんな最近のものだったのか、あの記事はこの記事より先に書いたのか、など更新時の世界情勢、身の回りに起こったこと、その時の心境などが記憶や印象の軽重を伴って思い起こされてくる、サイトと共に自分の生きた20年間がインターネットのサーバーという巨大な情報空間内の小さな一角に凝集されているような感覚があるのです。

 それは日常的な感覚ではありませんし、そうかと言って非日常的な感覚でもありません。強いて言えば“邯鄲の夢”といったところでしょうか。邯鄲
(かんたん)という中国の街でのお話、“一炊の夢”とも言うようですが、蘆生という貧しい青年が邯鄲で道士から不思議な枕を借りて宿屋でうたた寝したところ、これから都で出世して一代の富貴を極めるまでの夢を見た、しかし覚めてみれば宿屋の主人が準備してくれた夕食の粥がまだ煮えてもいない僅かな一時の夢に過ぎなかったという話、人の世の栄華など儚いものだという例え話ですが、私には一時の夢の中にも充実した長い物語があるという話のように読めます。

 眠りの夢とは本当に不思議なもの、おそらく脳内の記憶が突拍子もなく飛躍して積み重なったり組み合わさったりするために、ほんの一瞬の間に数十年分もの充実した時間が過ぎ去ったように錯覚することもあるのでしょう。私も朝方に自動血圧計で血圧を測定していた時、器械が作動する数秒間に寝落ちして、どこかへ旅行していた夢を見たことがあります。

 私が20年間に更新したサイトの記事も似たようなもの、更新する時は新鮮な充実した気持ちで淡々と書き進めていたはずですが、20年目の節目に振り返ってみればインターネットサーバーの一角にほんの小さな容量を占めているだけの情報とも言えないほどの儚い内容に過ぎない。私がサーバー利用料を払えなくなれば一瞬で削除されて消えてしまいます。

 さてこんな私のサイトですが今後どうするか。20年も続けてきたから大した炎上もしないうちにそろそろ止めようというのも一つの方法ではあります。しかし20年といってもそんなに威張れるほど長い期間ではない。1985年に阪神ファンによって道頓堀に投げ込まれたカーネルサンダース人形だって23年以上も川底で頑張っていたわけですし…(笑)。

 ただ現在更新に使用しているWindows 7のマシンはガタがきていていつまで動いてくれるか分からないし、サイトの内容をホームページ・ビルダー7から21に移行して更新する方法がまだ見つからないので、非常に不安定な状況はここ数年解決されていません。ですから突然更新が終了する事態になる可能性があることは前々から申し上げているとおりですが、20周年の節目をもってサイトを閉鎖する考えは取りあえず今のところありません。


ウィズ・コロナでマスクを外しますか

 2020年初頭から何回も感染のピークを繰り返してきた“新型コロナウィルス”、今年の5月の連休終了をもって感染症法上の2類から5類相当に変更され、さまざまな行動制限なども緩和されて、いよいよコロナと共生する“ウィズ・コロナ”の時代を迎えることになりました。新型コロナという呼称も“コロナ2019”に改められる見込みだそうです。確かにいつまでも“新型”のわけありませんから、“コロナ2019”とか、当初から外国の専門家も使用していた“COVID-19”に改めるのは当然ですね。

 日本でも行動制限や医療体制が大幅に変わることになりそうなこの時期をもって、私もこのサイトで頻繁に便宜上使用していた“新型コロナ”という言い方を止めて、“コロナ2019”とか“コロナウィルス感染症2019”とか“COVID-19”に切り替えます。ちなみに“COVID”とは coronavirus disease の略ですね。

 さて人類もウィルスの正体が次第に分かってきて、有効なワクチンも開発され、もう2020年当時のようなパニックに陥ることもなくなった、これをもってやっとコロナと共に生きる道を探って行こうということになったわけですが、特に日本人にとって悩ましいことは、これまで3年間ほとんどの国民が外出時に着用していたマスクをどうするかという問題です。

 今のところ、日本政府も各自治体も、大部分の商業施設も交通機関も、3月13日からはマスクの着用は個人の判断に任せ、一律に強制したり着用を推奨したりすることはしない方針のようですが、ただ医療機関や介護福祉施設などの関係者は困っているようです。私も医療や介護の現場の人間ですから、せっかくマスクの煩わしさから解放されそうな世間の雰囲気に水を差すようで申し訳ありませんが、マスク着用解除は慎重にという持論を一言だけ書かせて頂きます。

 政府をはじめとする各界が、マスク着用は個人の判断で良いと言っていますが、他の自然災害と同じで、ウィルス感染症についてもそんなものは人間の御都合に過ぎない。コロナウィルス2019自体は依然として世間に存在していて、毒性が弱まったように見えるかも知れないが、相変わらず人間に取り憑いて増殖する機会を窺っているわけです。そしてもし高齢者や基礎疾患を持つ人間が感染すれば、重症化して死亡するリスクは普通の人よりも大きいわけです。この事実だけは全ての国民に共有しておいて頂きたいですね。

 以前の記事にも書きましたが、コロナ感染症2019の場合、マスク着用の意義は自らをウィルスから防御するというより、むしろ周囲の人を感染させないという面が大きいのです。

 コロナ2019は症状が出る前から咳やクシャミでウィルスが飛散すると言われてますし、今後さらに弱毒化していった時には無症状のままウィルスを撒き散らしておいて知らないうちに治癒してしまうケースも起こりえます。しかしそうやって感染させられた高齢者や疾患持ちの方が生命の危機に晒される可能性があることだけは、もうしばらくの間、政府も自治体も、商業施設や交通機関の関係者も、イベント開催される方も、きちんとアナウンスし続けて頂きたいと思います。

 マスクをせずに咳やクシャミをするとウィルスは高濃度に周囲に飛散しますが、マスクをしていた場合はウィルスの多くがマスクに絡め取られて飛散しにくい。これは上のようなヘタクソな絵をわざわざ描かなくても分かると思いますが、マスクをせずに咳やクシャミをしている人が実はコロナ2019に感染していた場合、周囲にいる人たちは高濃度に飛散したウィルスに曝露されることになります。

 しかし、それなら自分はマスクしていればいいじゃないかという話にはなりません。マスクはウィルスを100%防いでくれるものではありませんから、周囲に飛散しているウィルスの濃度が高ければ高いほど体内に吸入されるウィルス量も増える、そしてワクチン接種済みの健康な人なら大丈夫な量でも、高齢者や持病のある人ではもしかしたら症状が出て危険な状態になるかも知れない、
もし自分が無症状の感染者だったとしても、周囲に飛散させるウィルスの絶対量を減らして、高齢者や持病のある人への健康リスクを少しでも軽くして守ってあげようというのが、これからのマスク着用の意義です。

 このことだけは頭の片隅に留めておいて下さい。その上で個人個人がどのように振る舞うか、それはその人の人格や性格や人間性によるものでしょうが、周囲に誰か人がいた時に自分はマスクを着けるかどうか、例えば3月上旬現在日本中が熱狂しているWBC(世界ベースボールクラシック)大会で、世界中から卓越した技量ばかりかその完璧な人格までを賞賛されている大谷翔平選手ならどう行動するだろうか、あるいは目の前にいる人が水泳競技復帰を目指して辛い抗がん剤治療を続けていた頃の池江璃花子選手だったとしたらあなたはどう行動するのか、そんな風に考えてみたらいかがでしょうか。


マイアミの歓喜の歌

 昨年11月から12月にかけて開催されたFIFAサッカーワールドカップの際には、カタールの歓喜の歌などという記事で便乗した手前、今年3月のワールドベースボールクラシック(WBC)で3大会14年振りに日本代表が世界一に返り咲いたことについて何か書こうと思いながらも、何を書いて良いかわかりません。

 日本代表は3月9日に東京ドームで開幕したプールB一次ラウンドの中国、韓国、チェコ、オーストラリアとの総当たり戦を4戦全勝で1位通過、その後プールAを2位通過したイタリアとの準々決勝を勝ち抜いてアメリカのフロリダ州マイアミへ移動、準決勝のメキシコ戦(21日)では9回裏まで終始リードを奪えないまま最後の最後でそれまで不振だった村上選手の二塁打で劇的なサヨナラ勝ち、決勝戦(22日)ではメジャーリーグの強打者を揃えたアメリカ打線を日本の投手陣が2点に抑えて1点差で逃げ切った、どれも印象的な試合でした。

 しかし全日程を通じてあまりにも完璧なドラマ、信じられないような筋書きの展開に、何を書いても空々しい嘘にしか聞こえない。野球に限らず、またスポーツに限らず、こんなイベントは滅多にないですね。各国の選手や監督コーチばかりでなく、大会関係者や報道関係者や観客のファンまでがスポーツマンシップの体現者だった。各国チームが国を代表して戦うゲームにありがちなナショナリズムも過度なものはなかったし、大会運営や審判の判定に対する不服や不満もほとんど見られなかった。これはオリンピックでも希有な事象かと思います。

 決勝戦の幕切れ、同じ大リーグのエンゼルスでチームメイト同士、しかも世界最高峰の選手同士でもある大谷翔平選手とマイク・トラウト選手の最終回対決、こんなシーンはスポーツ漫画か映画でしか起こり得ないと思っていたら、実際に起こってしまった。私みたいな者だって試合前にはピッチャー大谷vsバッタートラウトの勝負でゲームが決着するような展開になったら面白いなと思っていましたが、一方で、私みたいな者だってそんなことが起きる確率はほとんどゼロに近いことくらい分かっていました。

 最終回の土壇場で大谷がリリーフのマウンドに立っている確率、そこへトラウトが最後のバッターとして打順が回る確率、さらにその勝負で勝敗が決まるほどの試合のスコアになっている確率、そういう数字を総合すればそんな“事件”が起きる確率は実質ゼロですよ。しかし実際にそれが起きた世界に私たちは生きていたわけです。

 本当に漫画か劇画の世界ですね。主人公は大リーグで二刀流の活躍をする大谷翔平であることは異論はないと思いますが、彼の若武者といった風貌、ビジュアル的にも『巨人の星』の星飛雄馬や、『ドカベン』の里中智を彷彿とさせます。これらはいずれも投手ですが、大谷翔平はさらにホームランバッターでもあるわけですから、漫画や劇画さえも越えた存在です。

 こんな漫画や劇画を遙かに越えた舞台で起きたことを何か書いても、必ず誰かがネットなどに同じことを書いていて、二番煎じになることははっきり分かっていたので、私もなかなかサイトの記事に書けませんでした。だからと言って、WBCって医療関係者の間では“白血球(White Blood Cell)”の省略なんですよ…なんて書いても、あの大勝負、あの名場面の後ではしらけるだけでしょ(笑)。

 それにしても大谷翔平選手はまさに超人、ピッチャーとしてもバッターとしても超一流の能力を示していることに、日本やアメリカばかりでなく、世界中の野球関係者が驚愕しています。考えてみれば、今の日本には時代を超えてレジェンドとして語り継がれる可能性の高い人々が多いような気がしますね。冬季オリンピック連覇した羽生結弦選手とか、将棋で史上最年少6冠を達成した藤井聡太棋士とか…。

 そういうスーパーマンと言ってよいような人たちと同じ国籍であることを誇りに感じるのは大いに良いことだと思いますが、“トラの威を借るキツネ”みたいになってはいけない。大谷翔平選手にしろ、羽生結弦さんにしろ、藤井聡太6冠にしろ、さまざまな報道で見れば分かるとおり、非常に謙虚で誠実、偉ぶったり他人を見下したりしない。

 やはり一芸に秀でた人の言動や所作は違うものだと感嘆しますね。たかがアマチュアレベルの部活などでちょっとばかり良い成績を残したからと鼻高々になっていた傲慢な人間や、偏差値の高い学校を卒業したというだけで部下や同僚を前に威張り散らしていた人間などを、数十年ばかりの人生で散々見てきましたが、これからの若い人たちには言っておきたい。

 ヒョロヒョロ球しか投げられなくても、そんな球さえバットに当てられなくても、氷の上でフラフラしても、囲碁も将棋もルールさえ知らなくてもいい、今後レジェンドとして残っていくであろう大谷や羽生や藤井の偉ぶらない謙虚さだけは、誰でも見習う目標に設定できます。70年生きてきてもなお達成できたと胸を張ることができないほど難しい目標ではありますが…。


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