原発問題ふたたび

 2011年3月11日のことは昨日のことのように鮮明に思い出します。東日本大震災という未曾有の大地震によって東北地方の太平洋岸を中心に大きな人的・物的被害が発生した、あれからもう13年と言うべきか、まだ13年と言うべきか。

 震災と津波の被害だけでも想像を絶するものだったうえに、あの災害では東京電力の福島第一原子力発電所が津波を蒙って全電源喪失、制御不能になった原子炉が爆発して大量の放射性物質が環境中に放出され、その影響は風評被害まで含めて13年後の現在に至るも深刻なものがあります。しかし原子力災害の恐ろしさを身に沁みて知ったはずの日本国でしたが、4年後にはすでに“喉元過ぎれば熱さを忘れる”の例えどおり、国民や都民は国政選挙や都知事選挙で原発再稼働を推進する陣営の候補者を圧倒的に勝たせたと別の記事に書きました。

 そんな能天気な国家と選挙民に再び冷水を浴びせるような災害が選りも選って2024年1月1日、元日の午後に発生しました。能登半島を震源として北陸地方を襲った震災で、特に半島先端の輪島市や珠洲市に甚大な被害が出たのです。海底の地形が隆起して多くの漁船が港に閉じ込められたままになっていますし、私が驚いたのはあるニュース番組で流されていた一般登山客の撮影した動画映像、震源から140キロも離れた北アルプスの槍ヶ岳で元日登山を楽しんでいたら山頂がグラグラ揺れて危険を感じたそうです。つまり今回の能登の地震は単に能登半島が揺れただけではない、富山湾の海底から3000メートル級の槍ヶ岳山頂までを含む、おそらく数百キロ四方以上の範囲で揺さぶられたわけです。

 能天気な国民に冷水を浴びせたというのは、石川県志賀町にある志賀原子力発電所の電気系統が損傷を受けて一部がダウンしたこと、電源は複数あったため大惨事は免れたが、津波を被るなど罷り間違えば福島原発の全電源喪失という悲劇の二の舞になった可能性も確率的にはあったわけですし、さらに教訓とすべきは、今回の震源に近い珠洲市に日本最大の原子力発電所が建設される計画があったということ。関西・中部・北陸の3電力会社が珠洲原発計画を発表したのが1975年、以後28年に及ぶ住民の反対運動が実って計画が凍結されたのが2003年、まだ福島原発事故が起きる8年前のことでした。

 電力会社側は飲食や演芸や慰安旅行などの無料接待で住民を懐柔しようとしたり、竹村健一のような政府御用学者を呼んで講演したり、全国の原発誘致地区を引き合いに出して地域が豊かになったと謳うチラシを配ったりしたそうですが、反対派住民が負けずに頑張ってくれたお陰で珠洲原発は建設されなかった。原発誘致で栄えた地域の実例として電力会社が宣伝した中には、福島原発を抱える福島県双葉市もあったらしい。珠洲市はまさにあの二の舞になる可能性があったわけです。

 政府や電力会社の御用学者は、日本の原発は安全性が高いし、万全の対策を施す予定だから相当な地震や津波にも耐えるのだと、あの福島原発事故の後でさえしゃあしゃあと強弁していますが、富山湾海底から槍ヶ岳山頂までを揺り動かす巨大な地殻変動に、人間ごときの作った建造物が絶対に耐えうると断言できる能天気ぶりには呆れざるを得ません。

 最悪の事態を想定して対処することが苦手な日本人の精神構造は、必ずしも今に始まったことではありません。「そうならないようにする」と言ったって、そうなってしまうのが最悪の事態なのです。太平洋戦争中の1942年5月、翌月に予定されていたミッドウェイ海戦の図上演習(作戦シミュレーション)の席上、青軍(日本軍)と赤軍(米軍)の駒を動かして戦果と損害をサイコロで判定していると、青軍空母は赤軍に発見されて大打撃を受ける、連合艦隊参謀長の宇垣纏がこれでは都合が悪いと沈没した空母の駒を復活させて図上演習を続行したという有名な逸話がありますが、実際に実施された作戦がどうなったかは戦史が雄弁に物語っています。

 空母がほぼ全滅するという最悪の事態が事前に想定されたのを無視して、そうならないように注意するという参謀長の鶴の一声で強行されたミッドウェイ海戦、現実に一度沈んだ空母は元に戻せませんし、一度爆発した原子炉も元には戻せない。実は真珠湾攻撃の図上演習でも青軍空母は赤軍に発見されて打撃を食らうことになっていたが、幸いにして最悪の事態は起こらず作戦は戦術的に成功した、次も何とかなるさという神頼みの成功体験に味を占める上層部の能天気な精神構造は、あの時も現在も変わっていないのですね。

 もしも珠洲原発建設が強行されて今回の地震で損壊していたら、道路も鉄道も寸断され、海底隆起で港も使えなくなった能登半島先端から、どうやって住民を安全に避難させたのか。それを考えるのが“最悪の事態への対処”ということです。首相からして「万全の安全対策を講じて云々」などと口先だけの気休めを言っているようじゃ、ミッドウェイの戦訓も福島の教訓もあったものではない。

 もし珠洲市で原子炉爆発があったら、放出された放射性物質は偏西風に乗って首都圏や東海から東日本一帯に降下した可能性が大きいです。チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故のあった1986年前後を境に、それまでは非常に稀とされていた若年者の甲状腺癌が私個人でも複数例診断するほど増えてますし、福島原発事故後アメリカ西海岸でも同様という記事を目にしたこともあります。それでも原発再稼働を推進する政治勢力を支持しますか。

 ただロシア・ウクライナ情勢緊迫で石油や天然ガス確保が困難になっていたり、二酸化炭素を排出する化石燃料の利用は地球温暖化の原因になることなど考慮すれば、私たち一般国民も電力エネルギーは無尽蔵にあるという認識を改めたうえで、原子力発電に代わる再生可能エネルギーへの転換の覚悟を決めるべきかと思います。



政治家の責任論

 新年度(2024年度)を迎えてもお上の国の政界をなおも揺るがしている自民党派閥パーティーのいわゆる裏金疑惑問題、早期幕引きを計りたい岸田政権は安倍派幹部を中心に国会議員ら39人の処分を発表しましたが、党則で2番目に重い処分である離党勧告を食らった世耕氏と塩谷氏とか、党員資格停止(下村・西村・高木氏)などはあったものの、全体的に処分が甘いのではないか、不公正なのではないかという批判が、野党や世論ばかりでなく身内の自民党内部からも出ている有り様です。

 まあ、私に言わせれば、政治家の責任感覚なんてこんなものですよ。2番目に重い離党勧告の処分なんて言っても、次の選挙で当選すれば禊ぎが済んだとしてまた復党を認めて貰える、党員資格停止なんて屁でもない、ヤクザや暴力団員が組織を守るために自分が実刑を食らって何年間か“刑務所勤め”をすれば、それが組織内での勲章にさえなる、それとまったく同じ構図ではないですか。無所属で戦っても勝算のある世耕氏なんかは「明鏡止水の心境で処分を受け入れます」などと世論受けを狙って殊勝に離党届を提出したが、選挙区の地盤がそんなに強くない塩谷氏は焦りまくって処分に不服を申し立てている、(笑)(笑)(笑)…という感じですね。

 そもそも岸田首相自身への処分がなかったことも与野党・世論の批判を浴びています。岸田派でも政治資金の不正があったのだから、派閥の頭領として何らかの処分が下るべきだという声が高まるのは当然ですね。岸田首相がどうやって自分自身の処分を下すのかは論理学的に実に面白い命題ではありますが…(笑)。党員資格停止を言い渡した瞬間、首相としての権限全般も消滅しますから、誰がその処分言い渡しの権限を持つのか、例のタイムパラドックスと同じ矛盾が生じてしまう。こうなったら岸田首相が鏡に向かって「お前、ダメじゃないか!このバカ!マヌケ!アホ!」と一喝した後、「ハハッ、大変申し訳ありませんでした」と謝罪する動画をSNSに上げて、「戒告処分にしました」というのが一番世論受けするかも…(笑)。まあ、そんな諧謔のセンスは期待できませんけれどね。

 とにかく日本の政治家は別の記事にも書いたとおり、平安朝や源平合戦の世以来ずっと、天皇や皇族を楯として自らの最終政治責任を問われることを免れてきました。だから責任の取り方が分からない。政治倫理審査会に出頭して、「自分は何もしてません、何がどうなってるかも知りません、誰がやったかも存じません」と弁明して、それで説明責任を果たしたと思っている。自分はもとより誰も悪くない、個人的には誰も悪くないのにあんな不祥事が起きたとなれば、自民党という組織自体に悪が内在しているとしか言えないじゃないですか。そういう論理的帰結も分かっていない。

 「ボク、やってないもーん」「アタシも知らないもーん」
まるで幼稚園児みたいな言い訳を聞いて呆れる前に、これは自民党だけじゃない、野党を含む政治家だけでもない、日本国民全体に流れる責任回避パターンなのだということも自覚する必要があります。とにかく自分は悪くない、悪いのは自分以外の誰かです、またはそれを指示した上司や幹部です、最後は総理大臣です…となって、昔ならばこれら全てを御裁可なされた陛下に奏上申し上げましょうでケリが付いていたところ、そういう逃げ道がなくなったことで、自民党ではあの体たらく。

 この責任逃れの構造の末端は日本列島の家庭や職場の隅々まで毒してますから、下々の一般国民は『政治家のフリ見て我がフリ直せ』を胆に銘じて改めて自戒することに致しましょう。野党の皆さんも今の岸田政権をただ非難しているだけでは永久に政権は取れませんよ。



人の心を失った世界

 私が今年(2024年)の春に急性虫垂炎をこじらせて3週間も緊急入院したことは別のコーナーに書きましたが、この入院生活中、私は何度も恐ろしい幻影に悩まされました。空の彼方から飛来するミサイルが付近のマンションや高速道路に命中して大爆発する、やがて私が入院している病棟にも着弾したらしく、建物全体が轟音とともにグラグラ揺れる、地上を見下ろすと砂塵がもうもうと立ちこめて周囲一面は瓦礫の山、その中を戦車を先頭にした歩兵部隊が進撃して来て次々と病院内に突入、たちまち激しい銃撃戦が展開される…。

 残念ながらこれらはただの悪夢として片付けられる問題ではありません。各種報道で見るとおり、ウクライナやパレスチナのガザ地区をはじめ、世界の戦乱地域では現実に起こっていることなのです。幸いにして日本に住んでいるというそれだけの理由で、私は手厚い医療と看護を受けられた、しかし戦乱地域では私のような高齢者よりもっと優先度の高い子供や若者たちでまでが十分な医薬品も食糧もなく、バタバタと死んでいく、あるいは殺されていくと言った方が適切かも知れない。

 これが人間の世界なのか。獣の世界の方がマシではないのか。少なくとも獣は同族同士で組織的な大規模殺戮など絶対にしない。人は心を失ったのか。それともそもそも人の心はそういうものなのか。天地を7日間で創造して最後に人間を造ったなどと偉そうに宣う“神”とやらよ、答えてみろ。

 少なくとも現在ウクライナとパレスチナで行われている殺戮に関しては、それぞれ最終的に1人の人間の責任に行き着く。その人間が止めると言えば殺戮が終わる可能性が高いという意味で…。そいつらは自分が悪魔だとは決して思っていない。女性も子供も老人も病人も殺し尽くす所業を平然と命じているにもかかわらず、彼らは自分を神の子だと信じているはずだ。こいつらの認識は正しいのか。天地を創造したとか宣う“神”とやらよ、答えてみろ。

 私は自分の恵まれた入院生活中、恐ろしい幻影に悩まされるたびに何度も自問してみました。天地を創造した絶対神は何で心を失った人間を罰しようとしないのか。少なくともノアの大洪水の時代とも、ソドムとゴモラの時代とも、比べ物にならないくらい現代の人間の心は荒廃しきっています。神の名の下に自らの宗教の教義を口にしながら同族を殺し尽くす悪徳に染まった人間、絶対神はすでに人間に愛想を尽かしたのでしょうか。



民主主義は勝てるのか

 今年(2024年)行われたロシアの大統領選挙、それは“真の政敵”の立候補を許さず、八百長の対立候補だけを相手にした“ナンチャッテ選挙”でしかなかったが、その結果5期目のロシア大統領に就任したプーチンは、ロシアの選挙は金で票が買えるアメリカの大統領選挙より透明だと胸を張った。確かに敗北が確定したトランプの支持者が議事堂に乱入した前回のアメリカ大統領選挙や、使途不明な裏金が舞い乱れて圧倒的に与党候補者に利がある日本の不明瞭な政治資金など、民主主義を自認する国々も大して自慢できる状況ではないが、それにしてもプーチンごときにバカにされる筋合いのものではなかろう。

 プーチンは5期目の大統領就任後、最初の外遊先として中国を訪問して“盟友”の習近平の歓待を受けたが、こういう状況を見て残念な気持ちと共に思い出す書物が、先ほどの記事でも触れているフランシス・フクヤマ氏の『歴史の終わり(The End of history and the Last Man)』(1992年)である。

 出版当初は日本国内でも日系3世のフクヤマ氏を讃えて、日本人の遺伝子もアメリカで学べば世界史を深く洞察したこんな立派な哲学を展開できるのかなどと、かなり的外れな賛辞まで飛び出したと記憶しているが、私が残念だと思うのは、フクヤマ氏の洞察はやや楽観的すぎたのではないかということ。

 フクヤマ氏は人間の歴史は多少の紆余曲折があっても、最終的にはリベラルな民主主義に向かうのだと主張した。中国やソ連(ロシア)のような共産主義国もいつまでも独裁体制を敷いて自国の“優越願望”を追及してばかりいられない。それはかつて日本やドイツがファシズムの独裁体制で世界に挑戦したが、結局は自由経済原理を掲げて民主主義の下で国を運営した方がはるかに効果的であると悟ったのと同じことだと。科学技術の発展は独裁制を意味のないものにするとも言っていた。

 そうであって欲しかった。フクヤマ氏の予言が正しければ、プーチンはナンチャッテ選挙で独裁制を維持しながらウクライナへ軍事侵攻などしなかっただろうし、習近平も将来的な対米戦まで見据えた海軍力増強や威圧的海洋進出など試みなかったであろう。しかも彼らは自分たちの権威的独裁制の方がリベラルな民主主義よりも多数派で優れていると本気で考えているに違いない。

 フクヤマ氏は書物の中で、世界的なトレンドとして民主主義体制に移行する国が増えていることを示している。リベラルな民主主義国家の数は3(1790年)→5(1848年)→13(1900年)→25(1919年)→13(1940年)→36(1960年)→30(1975年)→61(1990年)とフクヤマ氏の著作が発表された頃までは多少上下しながらも着実に増えていた。しかし21世紀に入ってからは再び軍事政権に移行する国が増えて、世界的な民主化は逆行しているとの報道もある。

 しかし権威主義か民主主義かのカウントは単純に国・地域数で決められるものでないことは一目瞭然だ。そこに幸せに暮らす人間の数で比べれば圧倒的な差がある。つまり自国の政治家に対して自分の意見を表明できる言論の自由を保証された人々の数は、権威主義の独裁者一味の数とは比べ物にはならない。仮に日本以外のアメリカもヨーロッパも全ての国が独裁国家になったとしても、言論の自由を持つ人間は日本だけで1億人いる計算になるのだ。

 1人1人の人間の尊厳を大事にするなら、民主主義は勝たなければいけない。しかしここで非常に悲観的にならざるを得ないのは、かつてファシズムの全体主義 vs 民主主義と共産主義という世界を二分したイデオロギー闘争を、権威主義 vs 民主主義という形で再び大戦争を戦う余裕はもう人類には残されていないということだ。温暖化した地球環境はもう待ったなし、権威主義と民主主義はどちらが優れているかという“決勝戦”など絶対に許してはくれない。核兵器など使えばなおのことだ。

 選挙で選ばれた政治家も、強権で人民を押さえつける独裁者も、一蓮托生の宇宙船地球号で宇宙空間を漂流している哀れでちっぽけな生命体に過ぎないことに早く気付かねば、人類に10年後の未来は無いと思う。人類は部族ごと、地域ごと、一族ごと、国家ごとの集団内で互いに協力して、敵対する集団に一致団結して当たることで文明を発展させてきた。その人類文明の最終段階にきて、進化の結果が最悪の形で表面化したと言ってもよい。国連も無力、市民運動も無力、最後の手段は世界の宗教の最高指導者による宗教サミットしかないのではないか。



どうする夫婦別姓

 私たちは1984年(昭和59年)に結婚しましたが、カミさん(大谷康子)は私(田中文彦)の実家の籍に入り、戸籍上は“田中”の苗字(姓)を名乗ることになりました。大谷と田中の結婚って、現在アメリカの大リーグで活躍している某有名野球選手と同じ組み合わせで大変光栄なことでありますね(笑)。

 カミさんは結婚前から『大谷康子』というバイオリニストとしてそこそこ名前が知られており、現在でもその名前を芸名もしくは通り名として演奏活動を続けておりますが、実質的な活動と戸籍上の氏名が異なるわけです。最近(2024年6月10日)経団連の十倉雅和会長が夫婦別姓制度の早期実現を政府に求める提言を行ったことで、たびたび議論になるこの問題が再びクローズアップされましたが、カミさん自身は別にそれほど深く考えていなかったようです。

 芸名(通り名)である“大谷康子”で本人は何一つ不都合なく活動できているから、能天気にそれで良しとしているのかも知れませんが、むしろ夫(私)の不利益が大きい。カミさん宛ての郵便物の不在連絡通知を持って郵便局の窓口に受け取りに行くと、最初の頃は必ず疑いの目で見られました。そりゃそうですよね、“田中姓”の身分証明書しか持たない不審な男が、“大谷姓”宛ての郵便物を受け取りに来た、どこかで不在連絡票を不正に手に入れたヤツではないか、現金書留みたいな重要な郵便物をすぐに渡してくれるわけないし、逆にすぐにホイホイ渡すようでも困る、「これはカミさんの芸名で…云々」と言い訳しながら、運転免許証の住所が同一であることを確認して貰ってやっと受け取ることができましたけれど、窓口で何度バツの悪い思いを味わわされたことか。

 カミさん自身だって、これまで何回かウィーンとかキーウとかブダペストとかシンガポールとか南京・上海や北京などで“大谷康子”として演奏したことがありましたが、パスポートは“田中姓”の名義なわけです。幸いにしてこれまで目立ったトラブルはありませんが、夫婦同姓を法的に強制される国があることなど想像もできない海外の現地担当者からは本当に本人なのか、パスポートの不正所持ではないのかと疑われても仕方ない事態になることだってあるよと指摘したら、ああそうかと納得していました。

 何年か前までは通り名を使えば夫婦同姓でもいいじゃないかとお茶を濁してきた経団連も、ここへ来て夫婦別姓の早期制度化を求める論調に変わった裏には、国際的に経済界や法曹界などで活躍する日本人既婚女性が実際に海外のホテルやエアラインなどでいくつもの不便や不都合を体験したことを踏まえてのことでしょう。

 学会でも困ったことになることが指摘されています。例えば“田中真美さん”という研究者が“大谷翔太君”と結婚して“大谷真美さん”になった場合、独身時代に“M.Tanaka”の名前で海外の学術雑誌に投稿した研究論文は、結婚後に“M.Ohtani”という名前になってしまった彼女の業績として認識されにくい状況になってしまいます。

 経団連の十倉会長の発言を機に、女性の活躍できる社会を謳いながら、いつまでも夫婦同姓にこだわり続ける日本政府に対して新たな批判の目が向けられることになりました。夫婦同姓か夫婦別姓か、この姓(氏・苗字)という問題、実は日本史上の問題としても非常に奥が深く、さまざまな専門家がいろいろな説を提出しているので、私ごとき浅学の輩がこんな私設サイト上にあれこれ論評を加えるなど不遜きわまりないことですが、この問題に関するテレビの報道番組などの「あなたはどう思いますか」という街角インタビューを聞いていて、我々一般人がひどく誤解していることがあると知ったので、ちょっとだけ触れておきたいと思います。

 一つは、どうせ日本の下々の国民は江戸時代までは苗字を持っていなかったから、今さら同姓に(別姓に)こだわることはないじゃないかという誤解。確かに江戸時代は武士以外の庶民は姓(氏・苗字)を公に名乗ることは禁じられていたが、私称することは慣習上あったようで、その場合、結婚しても妻は生家の氏を名乗った(夫婦別姓・別氏)らしい。

 二つ目、古来日本は家を中心に結束して栄えてきた国家であるから、結婚した以上は夫婦同姓が当然という誤解。街角で顔はモザイクで隠されていた年輩のご夫婦がインタビューされて、夫が得々としてこの持論をマイクに向けて語っていましたが、傍らで妻は黙って動ぜず、夫は妻を自分と同姓にして“従属”させたつもりかも知れませんが、妻はそうやって夫をいい気にさせておいて、実はアタシが掌の上で操縦しているのよとほくそ笑んでいるかも知れませんよ。

 それはともかく、日本は昔から夫婦同姓で家族の結束を重んじてきたという誤解、1872年(明治5年)に徴兵・徴税の必要から戸籍法が施行されたが、結婚後の夫婦の姓(氏)はどうするかと内務省が太政官に伺いを立てたことについて、1876年(明治9年)の太政官指令15号では、嫁いだ女性は所生の氏(生家の氏)を用いるべしと定めた、つまり夫婦別姓(別氏)ですね。ただし死別後に夫の家を相続した場合は夫の氏を名乗るとされています。例えば王朝時代に帝に嫁いだ藤原氏の女性は皇族ではなく、やはり藤原氏だろうという理屈付けもされたらしい。

 要するに夫婦別姓か同姓かという問題に、日本の歴史を引き合いに出してくる根拠は乏しいのです。あくまで現代日本の各界で活躍する男女双方にとって最も望ましい制度でなければいけない。国際的な経済界・法曹界・学会などにおいて夫婦同姓による実際の弊害が指摘されており、しかも論議されているのはあくまで選択的夫婦別姓、つまり希望すれば夫婦同姓にもできるし別姓にもできるという融通性のある夫婦別姓制度、別姓強要による弊害は完全に回避されるわけですから、日本政府の石頭どももどうするべきか、自ずから明らかと思いますけどね。

 余計な話ですが、この問題を論じるある報道番組で紹介されていた興味深い話題、このまま日本が夫婦同姓を続けた場合、500年後には日本の家は全部“佐藤さん”になってしまうんだとか…。面白いですね。数学的に人口動態だとか、婚姻率だとか、出生率などの条件をいろいろ変えれば、こういうこともあり得るなと思います。“田中さん”や“鈴木さん”も最後まで健闘するでしょうが、最後は“佐藤さん”の世になってしまうのか(笑)。



自由のはき違え

 民主主義は勝てるかという記事を少し前に書いたが、民主主義の前提になるのが『自由』、ロシアのプーチンが大統領に“選出”され、中国の習近平が国家主席に“選出”され、文字面だけ見るといかにも“民主的”なプロセスに従っているように見えても、結局は立候補の自由もない、誰に投票したかを隠す自由もない、中国では国家権力者の中枢会議メンバー以外には行使できる投票権すらないという恐ろしいお伽話の国々の出来事でしかない。

 欧米や日本や韓国など自由主義諸国の国民は隣国の茶番劇を眺めて笑うわけだが、じゃあ自分たちは大丈夫なのかと改めて問い直してみた時に、ロシアや中国の独裁者に押さえつけられている民衆をいつまでも憐れんでばかりいられるのか。

 自由な民は強い。1571年のレパントの海戦はその典型的なモデルである。ベネチアなど海洋国家連合の艦隊のガレー船の漕ぎ手は志願した自由民、一方のトルコ艦隊のガレー船を漕いでいたのは鎖に繋がれた奴隷たち、そもそも戦意と士気の高さが違ううえに、トルコ艦が制圧されると解放された奴隷たちは喜んで海洋国家連合艦隊に寝返り、最初互角だった兵員数はあっと言う間に大差がついた。

 しかし弛緩して甘ったれるようになった自由は脆い。かつて戦前の日本にも大正デモクラシーと呼ばれた自由な時代があったが、若者たちは緊迫化する国際情勢に目を向けようともせず、貧困化する国内の農村などに手を差し伸べようともせず、与えられた退廃的な自由をむさぼっていたところ、たちまち軍靴に踏みにじられる時代に呑み込まれてしまった。

 自由とは他人の自由を著しく侵害しない限り何をしてもよいのである。もっとあからさまに言えば法律で禁止されることさえしなければ何をしても許される、それが自由主義の原則である。プーチンや習近平の国にはそういう原則はない。だから民衆は権力者の顔色を見て忖度しながら生活しなければならず、非常に不自由である。

 しかし法律は最低限の規制でしかなく、自由を維持するためにはもっと高位の規制、知性を伴うモラルが必要であることを痛感させる事態が、最近我が国で目立つようになってきた。これは今年(2024年)7月7日に投開票が行われる東京都知事選挙の候補者ポスター掲示板である。

 今回は空前の56人が立候補の届け出をしたが、そのうちの24人はある特定政治団体の一味らしく、こんなふうに選挙とは直接関係ない人物や、場所によっては動物やヌード写真などのポスターを貼り出す権利がその団体によって“販売”されたという。確かに法律には違反していないし、その団体の党首は選挙ポスター掲示の無駄を訴える“表現の自由”だと強弁している。

 選挙活動に関しては、4月の衆議院東京15区の補欠選挙の際、これも別の政治団体が他陣営候補者の選挙演説を大声でヤジり飛ばして妨害、さらに別候補の選挙カーをカーチェイスさながらに追い回し、さすがに公職選挙法違反で逮捕されたが、関係者は“言論の自由”だと強弁した。

 選挙ばかりではない。アメリカ大リーグで活躍する大谷翔平選手夫妻が購入したとされる大豪邸を取材した日本テレビとフジテレビが大谷選手の逆鱗に触れて所属するドジャースの取材パスを剥奪され、“出入り禁止”になったと報じられている。所在地が判明するような周辺映像と共に庭先を覗き込むような撮影を行い、近隣の住民にインタビューまで強行してここが大谷選手の自宅であることを教えてしまった。大谷選手の家族や財産を危険に晒す犯罪者の手引きをしたも同然であるが、記者やカメラマン本人は日本での甘ったれた“報道の自由・取材の自由”にドップリ漬かって、アメリカという治安の悪い国で生活する大谷選手を案する気持ちなど微塵も無かったのだろう。

 国民が自由をはき違えているうちに、権力者どもも凶悪化した。6月に閉幕した国会で改正政治資金規制法が可決成立したが、個人・団体献金の禁止や、政策活動費の使途明示などを求める野党に対して、岸田首相は“政治活動の自由”を楯に拒否を貫いた。岸田が矢面に立ったが、結局これは相も変わらぬ自民党や、同じ穴の狢の公明党や、そいつらを資金面で支えて見返りの甘い汁を享受する一味など、「権力者の自由」でしかない。「フッフッフ、越後屋、おぬしもワルよのう」の時代に後戻りした象徴的な光景だった。

 国民の一部が表現の自由や言論の自由や報道の自由を玩具にして楽しんでいるうちに、この国の権力者どもは“自由”を逆手に取って悪辣な姦計を巡らし始めている。いつの日か彼らが仮面をかなぐり捨てた時に、そこにお馴染みのプーチンや習近平のソックリさんの顔が現れるのではないか。



海軍さん、たるんじょる!part2

 2008年にこのサイトに海軍さん、たるんじょる!と題した記事を載せたことがあった。イージス艦データの機密が漏洩したり、艦内に持ち込んだ私物のヒーターで護衛艦の艦橋を炎上させたり、漁船との衝突事故の過失を小さく見せるために最新イージス艦の性能を世間の過度な好奇心に晒したりと、当時相次いだ海上自衛隊の不祥事を憂慮したもので、映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年)の中で真珠湾攻撃を想定した猛訓練に励む日本海軍航空隊に芸者たちがキャアキャア喝采するのを横目に、鹿児島湾の釣り人が苦々しく呟いた一言を当てはめた記事だった。

 最近もまだ弛みっぱなしの海上自衛隊、今年(2024年)7月、防衛省は特定秘密の取り扱い違反、潜水訓練手当の不正受給、隊内食事の不正受給、上司によるパワハラなどで幹部を含む218人もの隊員を処分したが、陸海空3自衛隊の中でも海上自衛隊が件数・人数とも圧倒的に多く、海上自衛隊のトップである海上幕僚長が辞任に追い込まれた。これはもう「海軍さん、たるんじょる!」と一喝せずして何と言うのか。

 私は高校時代から船乗りに憧れ、防衛大学校から海上自衛隊、または商船大学進学を志望しており、いまだにその血が騒ぐのか、今年(2024年)7月6日〜9日、日墨友好415周年を記念してメキシコ海軍の練習帆船クアウテモック号が横須賀に寄港したと聞けば、猛暑日の炎天下でも飛び出してしまう。横須賀の岸壁には貴婦人のような真っ白い帆船をゲストとして、背後にホストの護衛艦2隻が岸壁に繋留されていた。なかなか見事な美しい洋上のセレモニーであり、こんな晴れの舞台の一員となれたら男子の本懐これに過ぎるものはないと70歳を過ぎた今でも思うが、そんな舞台の裏で数々の不正が罷り通っていたとは残念である。

 自衛隊とは戦う組織であるが、そこに多くの人間が集まって活動している以上、一部の人間の欲望が露呈して不祥事の温床になってしまうのは致し方ないことなのだろう。医療機関、交通機関などを含む世のあらゆる組織も例外ではなく、その最たるものが裏金作り疑惑で問題となっている自民党などの政治家どもであろうが…。

 もし私が高校時代に視力が良くて海上自衛隊幹部として奉職できたとしたら、おそらくその栄誉を汚すまいと誓って日々の任務に従事したと思うし、ほとんどの自衛隊員の皆さんも同じように勤めておられるだろう。関係するすべての人間が襟を正すことは不可能で、ほんの一握りの不心得者のせいで組織全体が世の誹りを受けてしまう不条理を感じずにはおれない。

 ところで「海軍さん(海上自衛隊さん)、たるんじょる!」と一喝したいことは他にもある。もうしばらく前の今年3月、海上自衛隊最大の主力艦いずもが直上低空を飛んだドローンによって動画を撮影されてしまったという例の一件である。いずもが停泊していたのは、ちょうどこの写真でメキシコの帆船が停泊していたのと同じ場所である。この場所の危険性については、私も以前別の記事で書いたことがあった。

 JR横須賀駅前のヴェルニー公園から目と鼻の先にある岸壁に主力護衛艦を漫然と係留しておけば、手製ロケット弾やドローンで十分攻撃可能だと誰でも気付くのに、何で対策を立てようとしないのか。今は別に我が国は戦争しているわけでないから…などというのは理由になっていない。自衛隊は本来戦争するための組織であり、そのために国民の血税を注ぎ込んで高価な兵器を装備しているのである。博覧会みたいに陳列しておくためではない。

 今回上空を飛んだドローンを操縦していたのは、自衛隊が仮想敵国視している中国のマニアであり、もし攻撃の意図をもっていれば艦橋上の電子装置を破壊されて数週間以上任務に復帰できない損傷を受けていたに違いない。確かに軍港内でドローンを飛ばすといった不法行為を取り締まる警察権は自衛隊にはないし(たぶん警察に通報して取り締まって貰う)、ドローンの飛行を妨害する電波を発信することも周辺民間地区の通信に影響するので禁じられている。でもだからと言って、我が国の法律が悪いんだも〜んと居直って、高価な兵器に対する脅威を安閑と座視するのが戦争を目的として運営される組織なのか。

 2年前に始まったロシアのウクライナ侵攻では、当初鎧袖一触で壊滅すると危惧されていたウクライナ軍のドローンにより、ロシアの陸海空兵器が次々と撃破される戦訓が伝えられているというのに、関連国内法改正の要求まで含めて、敵性外国人が操縦する無線兵器への対策を怠っていたとすれば、「たるんじょる!」の一喝だけで済まされる問題ではないのではないか。



ヨーロッパ伝統オリンピック競技2選

 今年(2024年)7月からパリで第33回オリンピック大会が開かれており、昔からお家芸と言われていた柔道や男子体操や、日本のジュニアが得意とするスケートボード競技を中心に日本選手団の活躍が目立っていますが、前半戦では、エエッ、こんな競技で日本人選手がメダルを取るなんて〜と驚くようなことがありました。スラリと上背があり、彫りの深い顔立ちのヨーロッパ貴族や騎士にこそ似合いそうな競技、馬術とフェンシングですね。

 日本も競馬は盛んだし流鏑馬のような伝統行事もあるが、やはりヨーロッパの馬術とは趣が異なっているし、ヨーロッパの騎士や貴族の剣による決闘は日本刀の斬り合いとはひと味違う軽妙さがある。そんなヨーロッパの伝統を受け継いだオリンピック競技で日本人選手がメダル獲得するなんてね。今回は馬術とフェンシングの日本チームの戦績を見て感じたことを書いておきましょう。

 まず馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術の3種目で競う総合馬術競技で、英国とフランスに次いで銅メダルを獲得したのが『初老ジャパン』の愛称を掲げる平均年齢41歳超の大岩義明、戸本一真、田中利幸、北島隆三の4選手。やはり馬を乗りこなす姿はカッコイイですね。服装に規定がなければ、ぜひ次回は戦国武者の鎧兜で“出陣”して頂きたいものですが…(笑)。

 ところで初老ジャパンのメダル獲得は1932年のロサンゼルス大会以来92年ぶりと紹介されていましたが、その時の大賞典障害飛越で金メダルを獲得したのが西竹一、旧華族の男爵家を継いだため“バロン西”と呼ばれました。テレビの解説では「西竹一さん」などと気安く呼んでいますが、当時は大日本帝国陸軍の騎兵中尉、現在で言えば自衛隊員のオリンピック選手みたいなものですね。あまり頭コチコチの陸軍軍人らしくもなく、洒脱で豪放な性格だったためアメリカの社交界でも有名で、ロサンゼルスの名誉市民にもなっています。最近ではロサンゼルスで5月17日が大谷翔平の日に制定されたようなもので、当時の西竹一がアメリカでどれほどの人気だったかが分かりますね。

 西竹一は太平洋戦争末期の激戦地硫黄島へ戦車第26連隊長として赴任して戦死しています。2006年に制作されたクリント・イーストウッド監督の映画『Letters from Iwojima(硫黄島からの手紙)』では伊原剛志さんが西竹一を演じており、硫黄島の海岸を馬で疾駆する途中で栗林中将と語り合う場面とか、陣地の前で負傷したアメリカ兵を手当する場面とか、両眼を負傷して部下に本隊へ合流するよう命令した後にライフルで自決する場面などが印象的でした。

 初老ジャパンの活躍を報じる際に、西竹一を92年前の偉大なオリンピアンとして紹介するだけでなく、太平洋戦争の激戦の島で国に殉じざるを得なかった歴史的背景なども報道して欲しかったとは思います。硫黄島に上陸したアメリカ軍は、すでにロサンゼルスの英雄西竹一中佐がここに赴任していることを情報として知っていて、彼の生命と名誉を惜しんで西竹一に投降勧告の放送をしたが、それに応じることなく戦死したと言われています。

 この逸話の真偽の程は不明で、当時の日本軍将校が名指しの投降勧告に応じるはずがないことはアメリカ軍も知っていたと思いますが、だからと言ってそんなことが絶対なかったとも断言できない。アメリカ海兵隊にも西竹一の知己やファンはいたでしょうし、硫黄島内の限られた局面で一部の将校や士官がハンドスピーカーで呼びかけたことくらいあったと思いたい。もちろん西竹一がそれに応じて出てくることなど期待できませんが、勇名を轟かせたアスリートに対する最後のリスペクト、洞窟内で死を覚悟している偉大な騎手への惜別の情があったと信じたいのです。

 次にフェンシングについて。男子エペ個人で加納虹輝選手が金メダル、男子フルーレ団体も金メダル、男子エペ団体が銀メダル、女子フルーレ団体と女子サープル団体が銅メダルと、ヨーロッパ勢も顔負けの大活躍でした。本場フランスからコーチを招いての強化が実を結んだものと思われ、心から祝福する一方で、今後は各国から徹底的にマークされて大変なことになると思う次第です。

 小柄で手足が短い日本人は剣先のリーチも当然短く、フェンシングはアジア人にとっては体格的に不利なスポーツと考えられてきました。しかし加納虹輝選手が大柄なヨーロッパ選手の懐に飛び込んで剣を突く映像をテレビで見ていて、フェンシングも剣道も知らない私ですが、一つだけ思い当たることがありました。

 江田島の記事でも少し触れましたが、戦前江田島にあった海軍兵学校で英語を教えたイギリス人教師Cecil Bullock氏は、親善寄港したイギリスの巡洋艦乗組員によるフェンシングの披露試合について書いています。兵学校の生徒たちはイギリス海軍兵士たちが演じるフェンシングの試合を見て、ヨーロッパ人は臆病だと笑ったそうです。フェンシングは前へ出るかと思えば後ろへも下がる、敵に刺されるのを恐がっているに違いない、自分たちの剣道なら必殺の気合いで一気に敵を突き倒して勝負を決めてやると自慢したらしいのですね。

 フェンシングで後ろへ引くのは決して相手の剣が恐いからではない、自分の剣を突き刺す一瞬のタイミングを計っているわけです。選手たちの前進・後退のタイミングはほぼ半々、50対50で試合が推移していくうちに、51対49の一瞬のチャンスを掴んだ方が勝つと見ました。言っときますが私はフェンシングの経験も素養もまったくありませんからね(笑)。

 しかし日本人選手の試合を見ていると、ヨーロッパ人選手よりも前進のタイミングが大きく、通常なら前へ出て来ないタイミングでも相手の懐へ飛び込んで仕留めてしまう。相手選手はおそらく一瞬戸惑っているうちにやられてしまったのではないか。たぶん海軍兵学校生徒たちご自慢の剣道に近いものがあるのかも知れません。もう一度言っときますが私には剣道の経験も素養もまったくありませんからね(笑)。

 今後は日本フェンシングチームの戦法は各国とも研究してきて、なかなか簡単には勝たせてくれなくなるでしょう。日本側の対策については古来の剣道にヒントがあるような気がします。



歴史の語り間違い

 今年(2024年)のNHK大河ドラマ『光る君へ』は、8月も半ばを過ぎて紫式部が源氏物語の執筆に取りかかり、物語はいよいよ佳境に入ってきました。これまでも“雨夜の品定め”と呼ばれる部分の元になったと思われる描写がありましたが、これからは源氏物語のさまざまな名場面を彷彿とさせる展開が出てくるでしょうから、源氏物語ファンとしては楽しみですね。

 ところで今回の大河ドラマでは当時最高の権力をふるった藤原道長が紫式部と密会(不倫)して娘の賢子が生まれたことになっていて、平安時代の研究者たちに少なからず物議を醸しているようです。賢子は後に母親の紫式部を越える地位に昇っていきますが、それもこれも道長が実の父親だからこそと素人の視聴者たちを簡単に納得させてしまう恐れがある、そもそも家格が違う道長と紫式部に面識があった可能性は低いのだから、いくら物語の筋書きは作者の自由とは言っても、『光る君へ』は歴史物語としての一線を越えたとまで批判する研究者もいらっしゃるようです。

 まあ、私としては源氏物語執筆の舞台について脚本家の大石静さんの解釈を楽しみにしている面が強いので、今となっては確かめようもない平安朝の男女の色恋沙汰などはどちらでもよいのです。令和や平成の色恋沙汰にもそれほど興味はありませんが(笑)。

 私としては令和の現在、絶対に語り間違えてはいけない歴史は特攻隊の伝承だと考えています。実は今度のパリ五輪の女子卓球競技、個人で銅メダル、団体で銀メダルの大活躍を見せた早田ひな選手が、帰国後の記者会見で今は何をしたいか問われ、アンパンマンミュージアムと鹿児島の特攻資料館(知覧特攻平和会館)へ行きたいと答えた、なぜ特攻資料館へ行きたいのかという理由が私には多少の違和感があり、20年以上も前に神風特別攻撃隊のコーナーで危惧していたことがいよいよ現実になったのかなあと思いました。

 早田選手は特攻資料館を訪れたい理由として、現在自分が生きていることや卓球できることが当たり前じゃないことを感じたいからだと述べました。これまで卓球の競技者として一筋に平成・令和を生きてきた24歳の若い女性の発言としてはあまりに老成している、それが私の第一印象でした。たぶん昨年末に公開された映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』をご覧になって影響を受けたのかも知れないというのに私も同意見です。私も劇場で観ましたが、確かに早田選手と同世代の女性の観客も多かった。

 あの映画に関する記事の補遺でも書きましたが、実は大きな歴史の描き間違いがある。主人公たち特攻隊員は愛する祖国や家族を守るために自ら志願したことになっていて、まるで青春映画のように颯爽と出撃していく。中には婚約者に後ろ髪を引かれるようになった隊員もいるが、その隊員に向かって「お前は生きて愛する人を守れ。俺たちは死にに行く」というような当時としてはありえないセリフで許してしまう。これはまさに敵前逃亡ですが、軍の上層部までがその隊員が病気だったことにして“不祥事”を隠蔽してくれる。

 原作の汐見夏衛さんは早田選手よりは年長ですが、当然特攻隊など知らない若い世代の方、そういう若い世代が特攻隊を綺麗事として描き、相手は綺麗事としてのメッセージを受け取ってしまう。おそらく昭和末期から平成中期頃にかけての特攻隊伝承に何らかの齟齬があったのだと思います。

 思えば21世紀になったくらいから、特攻隊の伝承に一つの要素が加わりました。特攻隊員(戦艦大和の乗員も含む)は生命を賭けて祖国や家族や愛する者を守った、そして彼らが守った祖国の未来に我々は生きているというメッセージ。

 私が中学や高校に通っていた昭和中期頃の時代に特攻隊の伝承を担っていたのは、作戦を立案・命令した旧陸海軍の幹部、特攻で生命を落とした兵士たちの戦友、さらに特攻隊員を見送った銃後の人々でした。自分たちが若き特攻隊員たちを死地に送り込んでしまった、あるいは自分は彼らに死に遅れて生き残ってしまった、または出撃する若者たちのために声を上げることもできず、バンザイ、バンザイと歓呼して見送ってしまった、彼らにはそういう忸怩たる思いがあったのではないでしょうか。

 ところが21世紀になると、特攻など現実には知らず、深く研究することもないような人たちが特攻隊を伝承するようになった。当然忸怩たる後ろめたい視点などは抜け落ちて、祖国のため、家族や愛する者のため毅然として生命まで捧げたという“特攻讃歌”に一気に傾きました。早田選手もそういう流れの中で特攻の歴史に触れ、自分の人生をそれに重ねてみたいと純粋に考えたのでしょうし、早田選手のコメントを擁護しつつ賞賛する令和の多くの日本人も同じだと思います。

 特攻伝承がこういうふうに劇的に変化してきた中で、ここで立ち止まってもう一度だけ冷静に考えて頂きたい。我々が現在生きている自由で民主的な平成・令和の世の中は、特攻隊員の方々が生命を賭けて勝ち取ってくれたものでしょうか。歴史の必然性の流れをよく考察すれば、今の政治体制は敗戦後にアメリカやイギリスなど自由主義諸国の進駐軍からもたらされたものです。

 さらに特攻隊の人たちが守れと上層部から命令されていたのは、皇室こそ日本の中心であり、国民は1人残らず天皇陛下に忠誠を誓って、一朝事あれば生命も差し出すことまで要求される大日本帝国の秩序でした。この歴史の必然性を無視して、特攻隊員が生命を賭けて祖国を守り、その祖国の未来に我々は生きていると短絡するのは歴史の大きな語り間違いであり、未来の子孫に取り返しのつかない禍根を残すことになるでしょう。

 ちなみに今回早田選手が特攻資料館を訪れたいとコメントした直後から、中国のSNS微博(ウェイボー)上に開設したばかりの早田選手のアカウントに非難や中傷のコメントが殺到して、中国の卓球の男女エース2人がフォローを外したと伝えられています。中国人は一般にいったん心を許すと生涯の友人になりますし、まして厳しい卓球競技の世界で互いに切磋琢磨した親友同士が簡単に仲違いするなど考えられない。しかしこの中国人卓球選手は早田選手のコメントが伝えられるやいなや間髪を入れずフォローを外したらしい。気の毒ですね、その卓球の中国人エースが…。

 おそらく彼らが今後も競技者としてステートアマ的な地位と待遇を得ていくためには、特攻資料館に行きたいなどとコメントした日本人とSNSでつるんでいるわけには行かなかったのでしょう。習近平を頂点とした国家上層部に忖度して競技上の友を裏切らざるを得なかった中国人選手に同情しますし、特攻隊の人々が上層部から守れと厳命された大日本帝国の体制もまたそれと似たり寄ったりだったと思います。アカだとか非国民だとか後ろ指さされないために忖度しなければいけない国家、現在の中華人民共和国と大日本帝国には共通点が多かった。

 私は別に早田選手を非難するつもりはまったくありませんし、まして特攻隊員の方々を賤したり貶めたりする気など毛頭ありません。特攻隊員は立派だったが、彼らに忠誠心を押しつけて無理やり自殺攻撃を命じた上層部こそ万死に値する、その見解は20年以上前に別のコーナーに書いたとおり、いささかも変わっていません。


補遺:早田選手ばかりでなく、今回パリ五輪で現地コメンテーターを務めた元卓球選手の石川佳純さんの中国SNSにも非難や中傷のコメントが殺到したらしい。五輪前に卓球男子の張本智和選手と必勝祈願で、東郷平八郎元帥を祀る東郷神社に参拝したかららしいですが、大日本帝国の連合艦隊の指揮官として日清・日露戦争を戦った海軍軍人を祀る神社は確かに中国人にとっては気に食わないかも知れません。しかしそもそもあの時代に定遠・鎮遠の二大巨艦をもって我が国に先に砲艦外交の恫喝をかけてきたのはお宅の方じゃありませんかと私は言いたい。日本人は語るべき歴史を知らなすぎますね。



歴史は終わるのか

 今年の夏はまた特に猛暑の連続だった。9月の中旬になっても全国各地で気温35度越えの猛暑日、30度越えの真夏日が連日続いている。2008年の記事で当時の人類滅亡予言は外れたけれども安心するのは早いと警告した後、その記事の補遺で書いた例え話を実感をもって思い出した。

 もう15年以上も前から異常気象が少しずつ肌身に迫って感じられるようになっていたが、当時はまだ政治家や経営者など文科系の人々を中心に、事態は緩徐に直線的に進む、すなわち地球全体の平均気温が100年で1度上昇したとしても、2度上昇するまでには200年の猶予があると悠長に構えているフシがあった。しかし理科系的な実感では事態の進行は指数関数的であり、異常気象の進行も加速度的に進むと思われると書いた。

 その例え話として挙げたのが、ほとんど平地に見える緩斜面にハンドブレーキを引き忘れて停めた車のことである。車は最初は誰にも分からないくらいゆっくり、ゆっくりと動き始めて次第にスピードを上げていき、車が動いていることに多くの人々が気付いた時にはブレーキも効きにくくなっている。そしてそれでも何の手立ても打たなければ車は電柱か壁か、他の車か歩行者に衝突して突然の破局に至る。

 まさに2020年代の異常気象はこの例え話のとおりではないか。2008年の頃は昭和中期生まれの世代が以前に比べて気候が何だか変だぞと思い始めていた時代であった。しかしそれから15年ばかりしか経っていない2020年代、平成生まれの若い世代から「最近の夏は私が子供の頃とはまったく違います」と言われて私も自分の耳を疑った。昭和生まれが50年経って感じた違和感を、平成生まれは20年足らずで感じている。

 さまざまな気象データを解析しても地球温暖化の変化は急激だそうだ。かつて温帯と言われた日本列島周辺も今では亜熱帯の海水温、毎年夏に台風が発生する場所も北へ上がってきて、日本本土あたりで迷走するヤツも増えた。気温、海水温も高いので農業も漁業も林業も以前のようには行かなくなった。それでも現在はまだ海洋に低水温帯が残っているので気候調節もわずかに機能しているが、すべてが高水温帯になっていわゆる“沸騰化”するともはや気候は暴走状態に突入するらしい。

 世界各国とも同様な気象災害に見舞われていて、ハンドブレーキを引き忘れた車は間もなく暴走状態に入るかも知れないというのに、変わらないのは政治家の文科系アタマ、一神教国家や一党独裁国家のバカどもは地球温暖化にさらに地政学的なストレスを加え続けている。つまり人類一致協力してブレーキをかける気などさらさら無いらしい。

 かつて温帯だった東京の真夏の気温はいずれ40度を超すようになるとも予想されているし、もしかしたら偏西風の異常で真冬は大寒波が襲来するようになるかも知れない。そうなったらエアコン頼みの巣ごもり生活かと思うだろうが、そのエアコンを動かす電力がいつまでも潤沢に供給されるとは限らない。

 肉体的・経済的弱者ばかりでない、働き盛りのエッセンシャル・ワーカーまでが熱中症や低体温症でバタバタ倒れるような時代になったら、人類はこれまでどおり歴史を刻んでいくことができるのだろうか。

 各国政府も企業も、「未来」「希望」「夢」などという抽象的な単語の他にも、「カーボンゼロ(脱炭素社会)」「エネルギー転換」「SDGs」など少しは具体性のありそうな単語を並べて、人類の未来に救いを描くパフォーマンスは見せているけれど、実際に肌に感じる真夏の暑さは年々ひどくなるばかり。欧米で特に盛んな合法的・非合法的な環境団体の活動も何ら実効性はない。

 こういう記事を書いたら、普通は末尾に必ず「いや、そうならないように努力すべきだ」的な一文を付け加えるのが文章を書いた人間の常套的なマナーではあろうが、私は二酸化炭素を排出する“動物型エンジン”に対して、光合成で大気中の二酸化炭素から食糧の糖質を合成する“植物型プラント”の発想をもっと若い頃に得られなかったこと、また同志を募る行動力と事業化のための資金力を持っていなかったことを悔やむばかりである。



杉原千畝は間違っていたのか

 2016年の記事以来、特に昨年からイスラエルとハマスの戦闘が激化しているのを見るにつけ、何かモヤモヤしたものを感じ続けていたが、先日(2024年9月28日)『NHKスペシャル』で放送していた『祖父はユダヤ人を救った〜ガザ攻撃と“命のビザ”〜』を見て、いろいろ考えさせられることが多かった。

 私のモヤモヤと番組の概要を簡単に記しておく。昔の日本人には困っている人に国籍や宗教に関係なく救いの手を差し伸べる美徳があった。明治年間のトルコ軍艦遭難者に対する和歌山県串本漁民の救援活動然り、昭和戦前にリトアニアに赴任した外交官杉原千畝がナチスドイツに追われたユダヤ人に発給した“命のビザ”然り。しかしトルコは明治時代に受けた恩義を忘れず、1985年のイラン・イラク戦争でテヘランに取り残された邦人のためにトルコ航空が救援機を飛ばしてくれて、人間としての救いを返してくれたが、ユダヤ人は国際社会のお墨付きを貰ったイスラエルを建国して以来、新たにパレスチナ難民を生みだしたばかりか、難民たちもまた祖国としてきた地に共存しようとせず、20世紀から21世紀にかけて武力まで用いた敵視政策を取り続けている、いったいあの時の杉原千畝の善意は何だったのか。

 同じように感じる人もいるらしくて、杉原千畝関連のNPO法人には、「杉原千畝はガザに非人道攻撃を加える残虐なユダヤ人を救った、日本人として恥ずかしい」というような内容の投書も届くようになったらしい。それで番組では、杉原千畝の孫娘(杉原まどかさん)がリトアニアの日本領事館跡を訪ねたり、ユダヤ人虐殺の象徴の地であるアウシュビッツを訪問したり、あるいは“命のビザ”で救われたユダヤ人やその子孫たちにインタビューしたりしながら、いろいろ考えていくのである。

 確かにあの時、杉原千畝が救ったユダヤ人やその子孫たちの中には、今日のガザの惨劇に直接間接に関与している人物もいるだろう。では助けなければ良かったのか。この考え方を押し進めるととんでもない結論に行き着くのは明らかである。ユダヤ人は助けなければ良かった、ユダヤ人は滅びれば良かった、ナチスドイツが・・・(ここは到底文字にできない内容)と、ヒトラーを擁護することにさえなってしまう。

 実際そういう内容の文章を幼い頃に読んで衝撃を受けたことがある。私がナチスドイツによるユダヤ人虐殺の事実を知ったのは漫画週刊誌の『少年サンデー』の特集だった。後にみすず書房から出版されたフランクルの『夜と霧』の表紙に載った写真、当時の私と同年代くらいのユダヤ人少年が両手を上げて、母親らしき女性らと共にドイツ軍兵士に連行される有名な写真が紹介されている特集だった。
もし君が日本人だから生きていてはいけないと言われたらどう思うだろうか。実はそれと同じことがかつてのヨーロッパで起こっていたのだ
というような書き出しで始まる特集に私は言葉を失った。

 少年漫画誌としてはかなり気合いの入った内容だったとは思うが、以後ユダヤ人虐殺の歴史を私もまだ年少ながらかなり深く読み進むようになった。そしてたぶん中学生くらいになっていた頃に読んだ記事の末尾の文章に、私は強烈な違和感と嫌悪感を覚えたのである。
彼らにも罪はあったのである

 これはまさにヒトラーを擁護し、ナチスドイツの所業を一部肯定する文章ではないか。まだ私も世界史や世界経済などを詳しく勉強できる年齢ではなかったと思うが、たぶん世界の政治や経済の分野でユダヤ人がいかにひどいことをして金儲けしてきたかというような本文内容だったのではないか。

 それで幼いながらに思い出したのが、当時少年少女文庫で読んだ『ベニスの商人』の物語である。ヴェネチアの商人アントニオは、友人を助けるためにユダヤ人の高利貸しシャイロックから金を借りる。シャイロックは無利子で貸そうと申し出るが、もし返せなければアントニオの肉1ポンドを貰うとの条件を付ける。そしてアントニオの所有していた商船が難破したとの報せで借金返済ができなくなると、シャイロックはアントニオの肉を求めて裁判を起こした。裁判長はシャイロックの言い分を認め、アントニオの肉1ポンドを切り取るよう判決を出すが、あくまでも肉だけであり、証文に書いてない血を1滴でも出せば殺人もしくは傷害になると付け加えたので、シャイロックは敢えなく敗訴となった。

 以上は少年少女向けの内容であり、こんな一般受けする大岡越前裁きのイタリア版みたいな単純な勧善懲悪モノを天下のシェークスピアが書くはずはない(笑)。実際の戯曲には同性愛のテーマあり、ユダヤ教とキリスト教のテーマあり、マイノリティーとしてのユダヤ人のテーマありだそうだが、それは少年少女から老年老女になった現在でも難しくて読めない。

 それはともかく、このシェークスピア戯曲の中でもユダヤ人はけっこうな悪役であるが、本当はシャイロックもユダヤ人であるが故の偏見や差別に苦しんだ末に、ヴェネチア商人のアントニオを裁判の名の下に亡き者にしようと計画したのだそうだ。ユダヤ人も非ユダヤ人から見れば憎まれたり恨みを買ったりすることも多かったのだろう。昔イザヤ・ベンダサン(実は山本七平氏)の『日本人とユダヤ人』という面白い比較文化論の本があったが、ユダヤ人は安心して定住できる土地を持たない歴史があるから、宝飾品とか子孫の教育とかに金をかける、またいつ家族が敵に誘拐されるか分からないから宝物の存在は家族にも秘するなど、非ユダヤ人からは薄気味悪がられる習慣もあったのだろう。

 しかしユダヤ人が先にひどいことをしたからナチスドイツによるユダヤ人虐殺の所業を擁護する、あるいは一部弁護するなどは、やはり許されない態度である。先日中国の深セン市で日本人学校の児童が刺殺される痛ましい事件があったが、その事件を受けて現地中国人がSNSに発信した中には、日本は先の大戦で中国民衆にさんざん悪事を働いたから日本人など殺しても良いのだと、地方政治のかなり重要な役職にある者からさえも投稿があったらしい。じゃあ中国人はチベットや少数民族自治区の人々から殺されてもいいのか?

 今回のイスラエル国民もまた同じである。番組でインタビューしたユダヤ人に、杉原千畝の“命のビザ”について尋ねた後にガザ攻撃について問うと、ほぼすべてのユダヤ人がハマスが悪い、ハマスのせいだという答えが返ってきていた。ハマスが先に残虐な攻撃を仕掛けてきたからイスラエルは正当な反撃をしているのだ、日本だってもし北朝鮮がミサイルを撃ってきたら反撃するだろうと声高にまくし立てる男性もいた。

 しかし番組でインタビューしたユダヤ人に共通して欠けていることがあった。もし何百年も平和に暮らしてきた父祖の地に、国際社会の錦の御旗を掲げた他民族が侵入してきて追い立てを食らったら自分たちはどう思うかという視点である。人類文明の致命的な欠陥が露呈していると言ってもよい。“被害者としての視点”には過敏に反応するくせに、“加害者としての視点”はまったく持ち合わせようとしない。

 杉原千畝はユダヤ人だから救ったわけではない。困っている人たちがいたら国籍や宗教に関係なく救いの手を差し伸べる、それは本人も家族に話していたことだそうだ。たぶん杉原千畝が現在も元気に活動していたら、きっとガザ地区救援に一肌脱いでいただろう。それはトルコ軍艦の遭難者に手を差し伸べた串本の漁民をはじめ、昔の多くの日本人が示すことのできた美徳だと思う。


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